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毋岳峠の向こうにある世界と鞍山マンション

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あの山の向こうには何があるんだろう。
峠というのはそういう思いを抱かせるものなんだろうか。
ここ数年の私にとって、そんな峠は、独立門から鞍山と仁王山の間を通る毋岳チェ(峠)だった。
会社から近いので、独立門は何度も訪ねていたが、今まで毋岳峠は越えたことがなく、いつかは越えたいと思っていたのだ。
その機会がやってきたのは、建築家ファン・ドゥジン先生の著書「最も都市的な生き方」を読んで、三つの古いアパートが毋岳峠の向こうにあることを知った日のことだった。

地下鉄3号線の独立門駅で降りて、毋岳峠に向かう。道路の中央にあるバスの停留所から毋岳峠を撮影。

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隣にあったビルも気になる。

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峠を越える前に、道路の向かいにあったビル。

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崖に面して建てられているんだろうか。右側に付いている家とは最上階は繋がっているように見える。もしかして裏にも出入り口が?

とうとう毋岳峠を超えた! 道の向かいに「毋岳峠」の碑が見える。

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道路の向かい側にある山は鞍山。だが、少し高い位置からでないと鞍山の姿がまともに見えないくらい、アパートなどのビルが建ち並んでいる。

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しばらく歩くと毋岳チェ駅に到着。
もうそろそろ鞍山マンションが見えてくるぞと思っていると、突然目の前に現れたのが、再開発地域。引き寄せられるように足を向けると、平屋の古い家が並んでいる向こうに鞍山マンションがたたずんでいた!

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鞍山マンションは、大通りから一本脇に入った狭い路地に面している。マンションの向かって右側から近づくと、マンションの脇に銭湯の煙突があるのが分かった。

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屋上には「沐浴湯(銭湯)」とある。なんと、1970年代に建てられたアパートに銭湯があるとは!
でも、ファン先生の本によると、建てられた当時は住宅としての機能のみだったという。それが、後のなって1階が商店などに用途変更がなされたという。その時に銭湯もつくられたのでは、ということだった。でも銭湯の煙突も後から設置されたのか? これはもう少し研究する余地がありそうだぞ。

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銭湯の中はどんなんだろう。入ってみたいな。営業しているのかどうか分からないけど。


マンションの角には、「注入口」と書いたプレート。その横には上を向いたパイプ。ここに「注入」するんだろうけれど、何を注入するんだろう?

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正面を横切って角まで来ると、隣にはもう一つのアパート群があった。壁には「仁王」の文字。これが仁王アパートか。これも1968年に竣工した有名な古アパートだという。それにしても並び方がすごい。言葉で表現しにくいが、立て続けに現れるアパートに驚きを禁じ得なかった。

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さて、鞍山マンションの角を曲がると、鞍山マンションの入り口が見えた。中には警備室が見え、警備員のおじさんの姿。中に入るのは憚られたので入らなかったが、「最も都市的な生き方」によると台形の中庭があり、そして、屋上には菜園があるという。ぜひ見てみたいな…。

鞍山マンションと仁王アパートの間を過ぎると、またもう一つのアパート団地。今度は「仁王宮アパート」。「宮」という名前は、ほかのアパートとの差別化を図るための当時流行りの方法だけれど、看板周りのごちゃごちゃした感じが夜の店のような雰囲気を感じさせる。

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いやあ、ほんとにこんな所があるとは想像だにしなかった! この三つのアパート団地の織りなす空間感! まさにワンダーランドに足を踏み入れてしまったかのようだ。
毋岳峠の向こうから漂ってくる妖気はこれだったのか!

アパート群を抜けると、正面に見えた邸宅。西洋の切妻屋根の家にあこがれて建てた、いわゆる「フランス住宅」だけれど、正面がガラス張りになっていたり、ちょっと変わった雰囲気。そしてあの煙突に付いている円錐形は何だろう。まさにマッドサイエンティストの研究所のような!

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仁王アパートの表側に回ってきた。
と思ったら、大粒の雨がひと雫! 久しぶりの夕立が来そうだ。

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最後に撮ったその向かいの風景。

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大通り沿いの商街ビルと、その後ろの階段式のアパート、そして背後には建設中の高層アパート。これがこの町の持つ怪しさを語っているかのようだ。これはまだ序の口よ、と。

夕立は、新参者に対するこの町の警戒心の現れか、あるいは怪しさを際立たせるための小粋な演出か。どちらにしろ、近いうちにもう一度訪れることになるだろう。

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by matchino | 2018-08-19 12:46 | 建築 | Comments(0)

8月中の限定公開! 旧・朝鮮銀行重役社宅

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韓国古建築散歩のりうめいさんからオファー。
「高宗の道旧朝鮮銀行社宅」を見に行こうと。

なになに? 高宗の道といったら、俄館播遷の時に高宗がロシア公使館に向かった道のことだろうけれど、それと朝鮮銀行社宅というのがつながらなくて戸惑った。
で、詳細記事を教えてくれたので読んでみると、アメリカ大使官邸の裏を、俄館播遷の時に高宗の通った道のりを整備して「高宗の道」として試験的に公開するということ。そして、昔は徳寿宮の領域で、璿源殿(ソノンジョン)などの建物が建っていたけれど、日本統治時代に解体されてしまったものを復元するという。
そこまではよかった。問題は、統治時代に建てられた旧・朝鮮銀行社宅を解体する前に一般公開する、ということ。こんなところに社宅があったという事実にも驚いたが、それが間もなく解体されてしまうという事実に驚きと悲しみを感じずにはいられなかった。
まるで、生き別れた兄弟が今も生きていることが分かったものの、不治の病に侵されていて余命いくばくもないという事実を知った、ドラマの主人公のような気持ちといったらいいか。
あるいは「いい知らせと悪い知らせがある」的なシチュエーションか。

とにかく行ってみなくては。
時間ができたので、りうめいさんとはまた行くとして、とりあえず一人で行ってみることにした。
ソウル市立美術館の前のロータリーからアメリカ大使官邸の前を通っていくと、大使官邸の塀の終わりに黒い門が開いていた。

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最近になって整備されたような道があり、フェンスが立てられていた。フェンスにはこの周辺の昔の写真と、例の社宅の写真。

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そして、フェンスの上には社宅の屋根と煙突が顔を出していた。

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フェンスの中には…
おおおお!
立派な二階建て家屋!

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朝鮮貯蓄銀行の重役の社宅とあって、そうとう立派な家だ。
日本家屋的な要素を探してみると、窓の中に欄間が見えたり、戸袋があったり。

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そして1階の前にはガラス張りのテラス。増築したようだけれど、これは当時のものだろうか、それとも米大使官邸として使っていた時のものだろうか。

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1938年に建てられたということだが、思ったよりも、古そうな感じがしないのは、壁が補修されているためだろうか。
そのほかにも窓に付けられている手すりが西洋的な感じだったりと、折衷的な要素も見られる。
それにしても、柵が立てられていて、中に入れないのが残念だ、荒れ放題で危険なためだろうが、解体する前に写真をしっかり残してほしいな。

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社宅は一棟だけだと思ったら、その後ろにはもう一棟。同じくらいの規模の2階建日本家屋。サンルームがない代わりに立派なポーチのついた玄関がある。やはり和洋折衷の様式が見られる。

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この二つの家屋はそれぞれどんな人が住んでいたんだろう。今は見る影もないが、庭もきれいに整えられていたのではないだろうか。それがいつこんなに荒れ果てた姿になってしまったのだろうか。

アメリカ大使官邸側は高くなっていて、整備された「高宗の道」は数メートル高い位置にある。そして、社宅側は急な傾斜になっているのだが、手前の家屋の前に一つ、奥の家屋の前には二つの横穴式の地下室がつくられていた。

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これはもしかして、防空壕? 入り口と内部はコンクリートで壁が作られている。何かの貯蔵庫かもしれないけれど、建てられた時期的にいって、戦争に備えてつくられた防空壕ではないだろうか。


それにしても、この家屋が解体されてしまうのは惜しいことだ。残っている貴重な建物を解体して、ハリボテの璿源殿を建てることに何の意味があるんだろう。
もちろん、この家屋を修理して使うことができるようにするためにはそうとうなお金がかかると思うし、修理するための名分も立てにくいというのはしようがない理由だけれども。
文献学者の金時徳氏は、著書「ソウル宣言」の中で「日本が滅亡させた朝鮮王朝を浮きあがらせて、朝鮮王室を韓民族・韓国市民と同一視しようとする動きが21世紀に入って活発化しています」と書いている。
そして、今は共和制である大韓民国であるにもかかわらず、今あるものを壊して、滅び去った朝鮮王朝の建物を復元するのはなぜかと疑問を投げかける。
その内容に共感を覚えた矢先にこの知らせ。なんなんだ、これは。最近は統治時代の建物も残されてリノベカフェになったりしているけれど、朝鮮時代礼賛はまだまだ現在進行形で続いているということか。


さて、整備されているという「高宗の道」、アメリカ大使官邸の後ろを通って旧・ロシア公使館に抜ける道が整備されていた。
道の両側に伝統様式の塀が立てられ、地面はセメントで固められて、「観光客を迎える準備」は万全といったところか。

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それにしても、高宗が俄館播遷の時に通った道は謎のままと聞いており、ロシア公使館の後ろにある地下通路を通ったという話もあるが、今回整備された道は旧・公使館の建物から少し離れたところに出ている。しっかりとした時代考証は終わっているんだろうか。もしはっきりしていないとしたら、はっきりとしていない旨を伝えることも必要なのではないだろうか。

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と、いろんなところで疑問を感じた訪問だった。
また見に来て、最後を見届けよう。
公開は8月末まで。入場時間は9時から18時。予約は不要。

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by matchino | 2018-08-09 20:29 | 建築 | Comments(0)

京義中央線の終点、文山駅を訪ねる その1

文山。ソウル地下鉄の京義中央線の西側の終点。その駅の近くに五日市が立つということで、家族みんなで行くことになった。私が住む九里は京義中央線の比較的東の方にあたり、ほぼ2時間にわたる電車の旅だ。

龍山までは何度も行っているが、それから西の方は数回しか行ったことがないのでとても新鮮。

前から気になっていたDMC駅、水色駅は列車が集まるところで、景色が変わる。草生した何本もの線路の上に貨物列車が並び、ところどころに鉄道関係の車庫の古ぼけた屋根が見える。そしてその向こうにはキレイなオフィスビル。なんともいい風景!今度は降りて写真を撮ってこよう。

水色駅までは市街地だったが、水色駅を過ぎた途端に一気に田舎の風景に一転する。畑もあるけれど、田園風景というよりは放置された土地という雰囲気。といってもここはまだソウル市内。もう一つのソウルの姿を見て驚いた。

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その後も、変電施設があったり、また町が現れたりと、車窓を眺めていると飽きない。
畑がずっと続く所には大きな鉄塔が立っている。

そして少し行くと韓国地域暖房公社があって、何本もの煙突が並んでいる。

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鉄塔といい、煙突といい、とても気に入ったのでまた今度写真を撮りに来よう。

そしてついに文山駅に到着した。
さて、文山駅の周辺には何があるのか⁉︎
次回に続く!

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by matchino | 2018-08-03 22:56 | 建築 | Comments(0)

ソウルの暗渠・蔓草川の話

蔓草川は流れる。
暗闇の中を。
都市の下を。

なぜか。それは暗渠になっているから。

韓国では暗渠化することを「覆蓋(ポッケ)」といい、暗渠を「覆蓋川(ポッケチョン)」という。
ソウルには無数の暗渠があるというが、その中でもいろんなストーリーを持った暗渠の代表は蔓草川(マンチョチョン)だ。
たとえば、西小門アパートが蔓草川の上に建てられたアパートだったり、霊川市場の下を流れていたり、その支流が米軍基地の中を暗渠化されないままに流れていたり。数年前には「漢江の怪物」が潜んでいたり。日本統治時代には「旭川」と呼ばれた。
鞍山と仁旺山の間にある毋岳峠(ムアクジェ)から流れる蔓草川は、ほとんど暗渠化されているが、三角地の付近で少し顔を出し、また地下にもぐって漢江に注いでいる。

昔の地図を見ると川の姿は残っているが、いつ暗渠化されたのかということが気になった。
おそらく何回にも分けて暗渠化されたのだろうが、なんとか調べる方法はないものかと思っていた。

そこで思いついたのが、ソウルの航空写真。
ソウル航空写真サービス(http://aerogis.seoul.go.kr/)という神のようなサイトに1972年から現在までの航空写真がアーカイブされているのだ。

まず、現在、蔓草川が暗渠となっていない部分を探してみた。
三角地の近くにあると聞いていたからだ。

あったあった。

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でも、ここは簡単に見に行ける場所じゃないな。
どこに行ったら見られるだろう。

次に見たのが1972年。
蔓草川の上に建てられた西小門アパートの使用承認が下りたのが1971年なので、果たしてほかの所がどうなっているのかが気になった。

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西小門アパートの向かい、すぐ上流の部分はまだ暗渠になっていない!
白黒ではっきりとは分からないけれど、橋があることから、暗渠になっていないことは間違いないだろう。

で、結局他のところには開いているところは見つからなかった。

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でも、現在も開いている部分の脇は、覆蓋工事が進行中のようだ。
これはもしかしたら、丁寧に見ていくと何かの手がかりが得られるかもしれない。
それから、この後、最後に残った開いた部分がいつ蓋をされてしまうのか、以前にはいつ蓋がされたのか、気になる。
また時間ができたら調べてみよう。

…と思っていたら、建築家であるファン・ドゥジン氏の著作「最も都市的な生活」には、1962年から1977年に暗渠化されたとあった。
まあ、こうして少しずつ謎解きしていく感じが楽しいのだ。


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by matchino | 2018-08-02 21:49 | 街歩き | Comments(0)

龍山の新ランドマーク、アモーレパシフィック新社屋

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どこかで見た形だなあと思っていた。
龍山駅の前にできたアモーレパシフィックの新本社ビル。
で、何に似ていると思ったのかは後で。

去年の秋に三角地でマチノアルキをした時、丘の上にある教会から龍山駅方面を眺めた時に、白いルーバーが全体を覆う新しい建物を見つけた。それがアモーレパシフィックの本社ビルだった。遠くから見ただけでもそのかっこよさに惹かれたが、近代建築も見るべきものが多いのに、わざわざ見に行くつもりはなかったのだ。
ところが、かっこいい建築映像を撮る「キリンクリム」のキム・ジョンシンさんが誘ってくれて、そのビルで行われている建築展を見に行くことに。

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新龍山駅の2番出口から出ようとすると、地下からアモーレパシフィックのビルへ通路がつながっていた。
中に入ると、カフェやレストランが立ち並んでいる!ただの社屋かと思ったら、こんなにオープンな空間だったとは!

エスカレーターで1階へ。
3階まで吹き抜けの広いロビー。

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天井を見上げると、格子状になった窓から空が見える。そしてその窓がゆらゆらと。

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後で聞いたところによると、この上の中央に浅い池があるんだとか。ゆらゆら効果を出すために人意的に波を水面を揺らしているかもしれないな。

正面ゲート(といっても大通りに面しているというだけで、四方のゲートが同格かもしれないけれど)のすぐ隣に、アモーレパシフィックの建築展が行われている。

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デビッド・チッパーフィールドの設計によるこの本社ビルと、龍仁にある工場、烏山にある研究所のビルに関する展示で、それぞれの建築の写真や映像、建築家に対するインタビューなどで構成されている。その映像の全てを担当したのがキリンクリムだということ。あいかわらず建築と造景のよさを引き立てる映像はすばらしい。
展示は年末まで行われるということだったので、建築も合わせて一見の価値あり。

建築に関する展示はここだけだけれど、こことは別に美術館があるという。
なんでもサムソン美術館Leeumを超える美術館となる予定だという。
って、どんな作品が見られるんだろう。
ちらっと調べてみたら、入場料12000ウォン…。
むむむ…高いな…まあ、最近はこのくらいだけど。

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その他にも劇場があったり、いろいろな文化系のイベントが行われるらしい。この龍山の一等地にこれだけの空間を一般市民のための空間として提供するというのはさすがだな。
動線やピクトグラムによる独特な現在位置表示など、いろいろと気を遣っているところは多いというが、社員にとっては不便なところが多いとかいう話もあった。

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会社側としてもこの本社ビルを自慢したいらしく、建築ツアーも行われているらしいが、招待された知人の話によると一般人を対象にしたツアーは行われていないとのこと。残念。いつかやってくれることを期待しよう。

とりあえず入れる3階まで簡単に回ってみて思ったのは、動画で撮ったらかっこよさそうだなあということ。
次は動画に挑戦してみるかな。

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そうそう、冒頭に話した「何かに似ている」ということだけれど、「あ、これだな」と思ったのが、スターウォーズに出てくる「デス・スター」。
幾何学的な造形といい、巨大なスケール感といい、真ん中のくぼみといい、まさに「四角くなったデス・スター」。
…と思ったのだが、どうだろう…。んなことない…?

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夜もきれい…。

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by matchino | 2018-07-03 23:13 | 建築 | Comments(0)

感激の訪問! 駐韓アメリカ大使官邸


実のところ、それほど訪ねる価値があるとは思っていなかった。
駐韓アメリカ大使官邸の話だ。
でも、行って本当によかった。こんな貴重な機会が与えられるなんて!

アメリカ大使官邸があるのは、朝鮮時代末期に西欧諸国の公使館や領事館が多く建てられた地域である貞洞。
1882年に米韓修好条約が締結された後に公使館が設置された場所で、大使館は移転したが、大使官邸としてこの場所を使っている。
普段は高い塀に遮られ、警備員が常駐しているため、門の写真さえ撮ることができない場所だが、その鉄の門が開いた!

名簿のチェックをした後、どうしたらいいのかなとうろうろしていると、向こうから体格のよいアメリカ人が歩いてきた。なんとマーク・ナッパー代理大使!自ら案内してくださるなんて!
英語ができないのでどぎまぎしていると、流暢な日本語で挨拶。日本語も韓国語もベラベラなのだとか。とてもフレンドリーで、一気に好感がわいた。

門から入ってすぐのところにある旧・公使館の韓屋の脇を抜けて、その裏にある大使官邸のメインの建物であるハビブハウスへ。
韓屋様式ではありながら、相当な規模に驚いた。天井が高いだけでなく、奥行きもけっこうあって、家というよりは宮の建物のような印象を受けた。

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ハビブハウスが建てられたのは1974年のこと。それまでは、かつてこの土地を所有していた閔氏の家門の韓屋を何度も修理、改修して使っていたが、これ以上は修理が難しい状況になったため、建て直したのだ。
朝鮮時代末期、韓国に最初に建てられた西欧諸国の公使館や領事館は、アメリカ以外の国は西洋式の公館を建てたが、アメリカだけは韓屋をそのまま使ったのだ。そして、大使官邸を建て直すとき、当時のハビブ大使はアメリカ国務省の反対を押して韓屋スタイルの大使官邸を建てた。当時はハビブハウスという名称ではなかったが、後にグレッグ大使の働きかけによって「ハビブハウス」と呼ばれるようになったという。

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官邸の前の芝生広場で記念撮影をした後、いよいよハビブハウスの中へ。
ハビブハウスの平面はロの字型になっており、手前はレセプションホール、奥は大使の居住空間となっている。

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まず、レセプションホールの気持ちのよい空間。正面中央の煙突にはレンガでつくった装飾がある。これは「寧」の字で、もとの大使官邸の壁にあったものをそのまま復元したものだという。そういう昔のものを大事にする姿勢がいいな。
それにしても広い空間だ。建築に関する解説をしていただこうと呼んだ大学講師の先生によると、コンクリートで建てているために、中間に柱もなくこの広さが可能だというのだ。

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「韓屋の最高の職人の技術とアメリカの最新の建築技術が出会った建築」とハビブハウスについての話を聞いていたが、構造的には最新の建築技術、そして意匠的には韓屋を再現したということなのだろう。

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SNSに大使官邸の写真を上げると、ある韓国の建築家は、ハビブハウスを訪問したときに大きなインスピレーションを受けたというコメントを残してくれた。

その内容は、
  1. 韓屋は、手を伸ばせば両方の壁に届くような人間的なスケールの建築である必要はない。
  2. 韓屋の形式の中に現代の内容を入れることができる。
  3. 重要なのは韓屋の価値であって、韓屋それ自体ではない。
  4. 韓国人が韓屋をどう扱っていくべきか悩んでいる間にアメリカ人に先を越された。T T
とのことだった。

確かに、この官邸は「韓屋の表層だけを真似た」建築ではない。これはまさに韓屋であり、韓屋の美しさを感じる建物だ。
本当に美しく、ここちよい空間だった。

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韓国戦争の最中、北の軍にソウルが占領された後、仁川上陸作戦によってソウルを奪還したが、その時にアメリカ公使館を取り戻したときの記念すべき写真。

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大統領のためのベッドルーム。


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貴賓のためのベッドルーム。広くはないが、ベッドといい、部屋を囲む窓といい、ここで一晩でいいから泊まってみたいという素晴らしい空間。


もう一つ、もともと公使館の建物として使われ、現在は迎賓館として使われている韓屋を見学した。
こちらは19世紀に建てられたもので、これまで何度も改築をしてきたものだ。やはりアメリカ人の生活には不便なものだったわけだ。それでも天井の高さなどはそのまま維持されている。

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私たちがあちらこちらの部屋を見ているうちに、建築の先生は木材を一つひとつ見ていた。
「2004年に大々的な解体・修復作業を行ったと聞いたので、昔の木材がないかと見ていたんですが、ぜんぶ新しいものですね」と先生。
もともとの形式そのままに新しく建て直したというわけだ。

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その他にも、昔の写真と比較してみると、部屋自体を拡張していたり、縁側のような外に面した空間にガラス窓をつけて内部空間にしたり、軒を支える柱がなくなっていたりと、これまで行われた改修の内容が分かって面白い。そして、昔は柱を支えていた基台の石が残っているのも確認できた。

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私たちに与えられた時間は1時間。訪ねる前は「1時間も持つだろうか」と思ったが、あまりの心地よさに、官邸から出るのが惜しいほどだった。
何よりも、招待してくださった代理大使と、この訪問を実現してくださった皆さんに感謝したい。


おまけ
一緒に訪問した方たちが、それぞれのメディアに書いた訪問記




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by matchino | 2018-07-01 20:40 | 建築 | Comments(0)

クラフトビールがうまい清涼里市場の「相生場」

私には珍しくグルメ系の記事。
外食する機会があまりないし、飲む機会もほとんどないから仕方がないのだ。
でも、今回みつけたところは、お店の雰囲気もいいし、ビールもうまい!
さて、行ってみたのは、清凉里青果市場の中にある「相生場(サンセンジャン)」。
クラフトビールの店なのかと思っていたら、「フードコート」と紹介されていた。

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ここを知ったのは昨年のこと。
清凉里の市場といえば、私にとっては旧正月や秋夕の準備のためにうちの妻とおばあちゃんが買い物に行く時に荷物持ちとして行くところだ。市場を見物するのはそれなりに面白いけれど、私にとってもっと関心があるのは建物。ある日、青果市場のレンガ造りでちょっと古そうな建物をみつけた。1972年に建てられたらしい。
そしてある日、その建物を眺めていると、屋上に電球がぶらさがっているのが見えた。
屋上でパーティーでもやるんだろうか。この建物の屋上で!
わくわくしながら検索してみると、「相生場」という店になっていることが分かった。
この古い建物で飲めるなんて。これはイカネバ。

でも、なかなか機会が訪れない中で、清凉里でマチノアルキを開催することになったのだ。
そうなると、打ち上げの食事はここでやるしかない!
そうしてついにここで飲むこととなった。わーい!

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賑やかな市場の、店と店の間にあるドアを入って2階に上がると、なかなかおしゃれな空間が広がっていた。
市場の倉庫として使われていた空間なんだろう。
いい雰囲気に参加者の皆さんも大喜び!

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この日は「ちょっと事情があって(店員談)」、半分くらいの料理ができず、カクテルもないとのこと。
フライドチキンと、ソーセージとサラダの盛り合わせをつまみに、それぞれがクラフトビールを注文した。
料理はまあ普通だけれど、クラフトビールはうまかった。
私が飲んだのは「ミノリ・セッション」というビールで、一口ひとくち味わうたびに幸せ感がこみ上げる。
「ミノリ」? 「実り」かな?と思ったけれど、調べてみると、美老里(ミノリ)という江原道は江陵の村の名前らしい。「ポドゥナム・ブリュワリー」というところでつくっていて、美老里産の米を40%使っているのがウリなんだとか。
「ポドゥナム」の店は江陵のうまい店として人気らしいが、ソウルでこの「ポドゥナム」のビールが飲めるところはまだ少ないようだ。いいとこみつけた!

この他にもビールだけでもけっこうたくさんのメニューがあった。ちゃんと料理が出てくる時にまた行きたいな。
ルーフトップは工事中ということだったので、そちらも期待しよう。

なかなかよかったので、うちの会社の同僚(30代前半/韓国女性)に話してみると、「ああ、そのビールはインスタで大人気ですよね」と。「知らなかったんですか?」的にいわれてプチショック。オヂサン、シラナカッタヨ…。


*** 追記 ***

この店で飲めるウマウマのクラフトビールについては、コリアンフードコラムニストの八田靖史さんと日韓酒文化研究会室長の堀田ナホさんが、江陵のボドゥナム・ブリュワリーを訪問した動画が最近公開された。


行ってみたい…。ビールもいいし、醸造所が気になる…。

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by matchino | 2018-05-28 21:39 | 街歩き | Comments(0)

藤の花が香る幸せな空間、牛耳洞・天道教彰義修道院

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ソウルの慶運洞に天道教の中央大教堂があるが、牛耳洞にも天道教の教育機関である「鳳凰閣」があるという。中村輿資平が設計した中央大教堂に似た様式の西洋建築があるということで、連休の最終日に行ってみることにした。
去年、尹克栄家屋を訪ねた時に乗った牛耳新設線の終点の北漢山牛耳で降りて、10分ほど歩いた所にあった。道詵寺(トソンサ)や北漢山に行く人たちで賑わう道をしばらく歩くと、天道教の第3代教主である孫秉煕氏の墓地の標識があり、まもなく鳳凰閣の看板が現れた。門柱には「天道教彰義修道院」とある。

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門を通ると木々の間に煉瓦造りの建物が見えた。

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これが慶運洞の中央大教堂の隣から移築したという建物。大教堂と同じく1921年に中村輿資平の設計によって建てられた。大教堂と比べるとおとなしいが、二つの建物が調和していたことを思わせる。

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様式は「ウイーン分離派」といわれる「ゼツェッション」。といっても、ゼツェッションの特徴というのはよく分からない。でも、「ムジゲトク建築」で知られる建築家のファン・ドゥジン氏によるとゼツェッションというのはこれといった様式的な特徴は少ないとのこと。以前の社会や理念からの「分離」という思想がより先立っていたということなんだろうか。
ここで天道教や、彼らが主導したという東学農民運動、3・1独立運動などについての説明を聞けるということだったけれど、残念ながら門は閉まっていた。側面のドアから中をのぞくと教室のような空間があった。右側には、韓国のこどもの日を提唱したことで知られる方定煥(パン・ジョンファン)氏の肖像画がかかっていた。方定煥氏は天道教が運営する普成専門学校の出身で天道教少年会をつくり、巡回講演を行ったという。

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建物の裏の方へ回っていくと、一段高い基壇があってマダン(前庭)があり、韓屋が建っていた。これがここの中心の建物である「鳳凰閣」。青い字で書かれた扁額の字はとても自由な印象を受ける。

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板の間には集会の様子が描かれた絵と、第3代教主である孫秉煕氏の写真。後から調べてみると、この集会は3・1独立運動の33人の民族代表の姿なんだという。独立宣言をした3月1日に先立って、ここ鳳凰閣で2月28日に事前集会を行ったという。そんなに意味がある場所だったとは…。

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そして、なんといってもこの庭が気持ちのよい空間だった。周りにはツツジや牡丹などが植えられていて、一角には藤の棚がつくられている。ちょうど藤の花が満開を少し過ぎた頃で、地面いっぱいに藤の花が落ちている。そして藤の花の香りが辺りに満ちているのだ。藤の花がこんなに香るなんて!

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私たちの家族の他には管理しているおばさんくらいしかいない。静かで美しく、和やかな、そして幸せな空間。こんなところが知られていないのはもったいない。いや、知られない方がいいかもしれない。

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さきほど案内板があったが、近くに孫秉煕氏の墓地があるということで探してみると、敷地の傍に、外に出る小さな門があって、山の上へと遊歩道が続いている。墓地に続く道っぽかったので登ってみると、やはりそうだった。

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立派なお墓だと思って後ろを振り返って、思わず「おお」という声が出た。ここで祭祀を行うんだろうか、小高い丘の麓まできれいに芝生が敷かれていて、向こうの山までよく見渡せる。いい墓だなあ。

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お墓の前で手を合わせると、どこからか白い犬がやってきて周りをうろついていた。ここを守っているのかな? お墓の上にはタンポポの綿毛が揺れ、ちょうちょが飛んで、とってものどか。

この後、どうせここまで来たのだからと、道詵寺まで登ってみたけれど、個人的には天道教の修道院のほうがよかったな。韓国の近代史に興味がある人はおすすめ。

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by matchino | 2018-05-18 21:46 | 建築 | Comments(0)

慶煕大建築巡り2 音楽大学・学生会館ほか

慶煕大の建築巡りのつづき。
文科大学の他にも興味深い建物はたくさんあった。

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まずは音楽大学とその隣の学生会館の建物。

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王冠の形をした音楽大学! 「クラウン館」と名付けられている。ある人はミルククラウンみたいだと表現していた。

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それでも王冠の形だけではなく、ひさしの形や花のガクを思わせる造形など、興味深い部分がたくさん。弧を描く窓も格子状になっていて私の好み。裏に回ると円形の冷却塔。兄弟みたいだ。

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その隣の学生会館も王冠に負けず劣らず不思議な造形だ。上に行くほど細くなるように見えながらも、そう見えるのは角の突起によるもののようだ。屋上にメッシュを思わせる装飾があったり、全体的に彫刻的な雰囲気を感じさせる。

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正門から向かって左側に少し上がると出てくる建物も不思議な形。

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国際教育院というから、語学堂なんかがあるんだろうか。
ここで韓国語を勉強してもよかったかな?w


あと、不思議だったのがネオルネサンス館と名付けられた建物。
何がネオルネサンスなのかはよく分からない。

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で、正面から見るとあんまり特徴を感じないけれど、
裏に回ってみると、グラウンドの観客席(?)との調和がなんか寂れた東欧の町を思わせる感じ。(行ったこととはないケドw)

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ついでに焼却炉の煙突らしいのが立っていて、それもいい感じ。

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それにしても、この大学、登山道のような散策路があって、とても気持ちがよい。
桜の木が多いようだったので、もう少し早く来ていればすばらしい眺めだっただろう。
来年また来よう。

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by matchino | 2018-05-02 21:24 | 建築 | Comments(0)

慶煕大建築巡り1 文科大学

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ある日、知り合いの建築科の先生がツイッターに上げた慶煕大の建物の一枚に目が止まった。慶煕大の文科大学の建物だったが、それが建国大の人文学館にとても似ていたのだ。
以前にも紹介したこの人文学館は、後から金煕春の設計であることが分かった。それで、この慶煕大の建物も金煕春によるものなのかが気になったが、知り合いの建築の専門家も知らないとのこと。
それで、何か手がかりでも見つかるのではないかと、慶煕大を訪ねてみることにした。

妻に話すと、慶煕大は何度もいったことがあるという。見応えのある建築がたくさんあって、昔から建築を見に行く人が多いのだという。実際に訪ねてみると、古典主義、ゴシック、バロックなど、何でも揃う建築見本市的な大学だった。

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規模もそうとうなもので、確かに圧倒される。カメラを持った中国人や東南アジアの人がたくさん来ていた。ウェディング写真の撮影やコスプレの撮影に来ている人もいた。

それらの建築を見ながら、目的の文科大学を探す。その建物は正門から入って右のほうへ行ったところ、週末で人もまばらだった。
前に立って正面から眺めてみる。

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あれ? 建国大の校舎とけっこう違う…。

入り口部分を強調した直方体の塊に縦長の窓、キャノピーを支えるV寺型の柱など、大きな構造は似ているけど、細かいディテールは少しずつ違う。まあ、同じ建築家だといってもまったく同じものを建てたりはしないよな。

気になったのは内部。入り口には鍵が掛かっていて入れなかったけれど、窓から覗くと、だいぶ改装された模様。建てられた当時はどんな感じだったのかも分からない。右側にある三角形の窓が気になった。

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建国大の人文学館のロビーのような吹き抜けの空間はなくて、ちょっとつまらない印象。
それでも、建物の両サイドのデザインの違いは興味深い。向かって右側は単純に四角の窓が並んでいるだけだけれど、左側は中央の部分が少し突出していて、その突出部を支えるようにV字型の柱が二つ設置されている。四角い窓が全面にはめ込まれたこの突出部はテラスのような空間なんだろうか。気になる。

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定礎石も見つからず、結局何の手がかりも掴めなかったけれど、直接見れただけでもよかったかな。

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そして、この他にも興味深い建物がたくさん見つかった。つづく。

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by matchino | 2018-04-22 16:33 | 建築 | Comments(0)