タグ:ソウル ( 21 ) タグの人気記事

藤の花が香る幸せな空間、牛耳洞・天道教彰義修道院

e0160774_21400097.jpg
ソウルの慶運洞に天道教の中央大教堂があるが、牛耳洞にも天道教の教育機関である「鳳凰閣」があるという。中村輿資平が設計した中央大教堂に似た様式の西洋建築があるということで、連休の最終日に行ってみることにした。
去年、尹克栄家屋を訪ねた時に乗った牛耳新設線の終点の北漢山牛耳で降りて、10分ほど歩いた所にあった。道詵寺(トソンサ)や北漢山に行く人たちで賑わう道をしばらく歩くと、天道教の第3代教主である孫秉煕氏の墓地の標識があり、まもなく鳳凰閣の看板が現れた。門柱には「天道教彰義修道院」とある。

e0160774_21364826.jpg

門を通ると木々の間に煉瓦造りの建物が見えた。

e0160774_21364868.jpg

これが慶運洞の中央大教堂の隣から移築したという建物。大教堂と同じく1921年に中村輿資平の設計によって建てられた。大教堂と比べるとおとなしいが、二つの建物が調和していたことを思わせる。

e0160774_21364825.jpg
e0160774_21400056.jpg
e0160774_21400054.jpg
e0160774_21364976.jpg

様式は「ウイーン分離派」といわれる「ゼツェッション」。といっても、ゼツェッションの特徴というのはよく分からない。でも、「ムジゲトク建築」で知られる建築家のファン・ドゥジン氏によるとゼツェッションというのはこれといった様式的な特徴は少ないとのこと。以前の社会や理念からの「分離」という思想がより先立っていたということなんだろうか。
ここで天道教や、彼らが主導したという東学農民運動、3・1独立運動などについての説明を聞けるということだったけれど、残念ながら門は閉まっていた。側面のドアから中をのぞくと教室のような空間があった。右側には、韓国のこどもの日を提唱したことで知られる方定煥(パン・ジョンファン)氏の肖像画がかかっていた。方定煥氏は天道教が運営する普成専門学校の出身で天道教少年会をつくり、巡回講演を行ったという。

e0160774_21364927.jpg

建物の裏の方へ回っていくと、一段高い基壇があってマダン(前庭)があり、韓屋が建っていた。これがここの中心の建物である「鳳凰閣」。青い字で書かれた扁額の字はとても自由な印象を受ける。

e0160774_21364979.jpg
板の間には集会の様子が描かれた絵と、第3代教主である孫秉煕氏の写真。後から調べてみると、この集会は3・1独立運動の33人の民族代表の姿なんだという。独立宣言をした3月1日に先立って、ここ鳳凰閣で2月28日に事前集会を行ったという。そんなに意味がある場所だったとは…。

e0160774_21364971.jpg
そして、なんといってもこの庭が気持ちのよい空間だった。周りにはツツジや牡丹などが植えられていて、一角には藤の棚がつくられている。ちょうど藤の花が満開を少し過ぎた頃で、地面いっぱいに藤の花が落ちている。そして藤の花の香りが辺りに満ちているのだ。藤の花がこんなに香るなんて!

e0160774_21365044.jpg
e0160774_21365004.jpg
e0160774_21395827.jpg
e0160774_21395836.jpg
e0160774_21395900.jpg
私たちの家族の他には管理しているおばさんくらいしかいない。静かで美しく、和やかな、そして幸せな空間。こんなところが知られていないのはもったいない。いや、知られない方がいいかもしれない。

e0160774_21395865.jpg
e0160774_21364932.jpg

さきほど案内板があったが、近くに孫秉煕氏の墓地があるということで探してみると、敷地の傍に、外に出る小さな門があって、山の上へと遊歩道が続いている。墓地に続く道っぽかったので登ってみると、やはりそうだった。

e0160774_21395977.jpg
e0160774_21395980.jpg
立派なお墓だと思って後ろを振り返って、思わず「おお」という声が出た。ここで祭祀を行うんだろうか、小高い丘の麓まできれいに芝生が敷かれていて、向こうの山までよく見渡せる。いい墓だなあ。

e0160774_21395995.jpg
お墓の前で手を合わせると、どこからか白い犬がやってきて周りをうろついていた。ここを守っているのかな? お墓の上にはタンポポの綿毛が揺れ、ちょうちょが飛んで、とってものどか。

この後、どうせここまで来たのだからと、道詵寺まで登ってみたけれど、個人的には天道教の修道院のほうがよかったな。韓国の近代史に興味がある人はおすすめ。

[PR]
by matchino | 2018-05-18 21:46 | 建築 | Comments(0)

慶煕大建築巡り2 音楽大学・学生会館ほか

慶煕大の建築巡りのつづき。
文科大学の他にも興味深い建物はたくさんあった。

e0160774_21154307.jpg

まずは音楽大学とその隣の学生会館の建物。

e0160774_21154454.jpg

王冠の形をした音楽大学! 「クラウン館」と名付けられている。ある人はミルククラウンみたいだと表現していた。

e0160774_21154416.jpg

それでも王冠の形だけではなく、ひさしの形や花のガクを思わせる造形など、興味深い部分がたくさん。弧を描く窓も格子状になっていて私の好み。裏に回ると円形の冷却塔。兄弟みたいだ。

e0160774_21154472.jpg


その隣の学生会館も王冠に負けず劣らず不思議な造形だ。上に行くほど細くなるように見えながらも、そう見えるのは角の突起によるもののようだ。屋上にメッシュを思わせる装飾があったり、全体的に彫刻的な雰囲気を感じさせる。

e0160774_21154437.jpg


正門から向かって左側に少し上がると出てくる建物も不思議な形。

e0160774_21182541.jpg
e0160774_21182527.jpg
e0160774_21182549.jpg

国際教育院というから、語学堂なんかがあるんだろうか。
ここで韓国語を勉強してもよかったかな?w


あと、不思議だったのがネオルネサンス館と名付けられた建物。
何がネオルネサンスなのかはよく分からない。

e0160774_21154564.jpg

で、正面から見るとあんまり特徴を感じないけれど、
裏に回ってみると、グラウンドの観客席(?)との調和がなんか寂れた東欧の町を思わせる感じ。(行ったこととはないケドw)

e0160774_21154579.jpg
e0160774_21154572.jpg

ついでに焼却炉の煙突らしいのが立っていて、それもいい感じ。

e0160774_21230754.jpg


それにしても、この大学、登山道のような散策路があって、とても気持ちがよい。
桜の木が多いようだったので、もう少し早く来ていればすばらしい眺めだっただろう。
来年また来よう。

[PR]
by matchino | 2018-05-02 21:24 | 建築 | Comments(0)

慶煕大建築巡り1 文科大学

e0160774_16220554.jpg
ある日、知り合いの建築科の先生がツイッターに上げた慶煕大の建物の一枚に目が止まった。慶煕大の文科大学の建物だったが、それが建国大の人文学館にとても似ていたのだ。
以前にも紹介したこの人文学館は、後から金煕春の設計であることが分かった。それで、この慶煕大の建物も金煕春によるものなのかが気になったが、知り合いの建築の専門家も知らないとのこと。
それで、何か手がかりでも見つかるのではないかと、慶煕大を訪ねてみることにした。

妻に話すと、慶煕大は何度もいったことがあるという。見応えのある建築がたくさんあって、昔から建築を見に行く人が多いのだという。実際に訪ねてみると、古典主義、ゴシック、バロックなど、何でも揃う建築見本市的な大学だった。

e0160774_16220495.jpg
e0160774_16220586.jpg
e0160774_16220506.jpg
e0160774_16220594.jpg
e0160774_16220523.jpg

規模もそうとうなもので、確かに圧倒される。カメラを持った中国人や東南アジアの人がたくさん来ていた。ウェディング写真の撮影やコスプレの撮影に来ている人もいた。

それらの建築を見ながら、目的の文科大学を探す。その建物は正門から入って右のほうへ行ったところ、週末で人もまばらだった。
前に立って正面から眺めてみる。

e0160774_16220660.jpg

あれ? 建国大の校舎とけっこう違う…。

入り口部分を強調した直方体の塊に縦長の窓、キャノピーを支えるV寺型の柱など、大きな構造は似ているけど、細かいディテールは少しずつ違う。まあ、同じ建築家だといってもまったく同じものを建てたりはしないよな。

気になったのは内部。入り口には鍵が掛かっていて入れなかったけれど、窓から覗くと、だいぶ改装された模様。建てられた当時はどんな感じだったのかも分からない。右側にある三角形の窓が気になった。

e0160774_16235045.jpg

建国大の人文学館のロビーのような吹き抜けの空間はなくて、ちょっとつまらない印象。
それでも、建物の両サイドのデザインの違いは興味深い。向かって右側は単純に四角の窓が並んでいるだけだけれど、左側は中央の部分が少し突出していて、その突出部を支えるようにV字型の柱が二つ設置されている。四角い窓が全面にはめ込まれたこの突出部はテラスのような空間なんだろうか。気になる。

e0160774_16235049.jpg
e0160774_16264285.jpg

定礎石も見つからず、結局何の手がかりも掴めなかったけれど、直接見れただけでもよかったかな。

e0160774_16235055.jpg
e0160774_16235089.jpg

そして、この他にも興味深い建物がたくさん見つかった。つづく。

[PR]
by matchino | 2018-04-22 16:33 | 建築 | Comments(0)

童謡「半月」の作者、尹克栄の家を訪ねる

ソウル市から毎日送られてくるニュースレターがある。その中で一つ気になった記事があった。尹克栄(ユン・クギョン)氏が晩年を過ごした家屋が記念館になっていると。「日本式家屋」ということで興味を持ったのだが、有名な童謡作家ということで調べてみると、代表曲は「半月」、「ソルラル」、「魚獲り」など。
「あれ、半月ってどんな歌だっけ?」と思ったが、「ぷ〜るんは〜ぬるう〜な〜す〜」だ。うちの子供たちがよく歌っている、韓国で最も有名な童謡の一つだ。
「ソルラル」も「か〜っちかっち〜そるら〜るん」のおなじみの歌。題名を錯覚している人が多いな。

さて、去年新しく開通した地下鉄「牛耳新設線」に乗って「419民主墓地」駅へ。そこから歩いて10分ほど。

e0160774_21393413.jpg

切妻屋根が真ん中で少しずれた形になっている平屋の家屋で、外壁は石が貼られている。1960年代に建てられた日本式家屋だという説明。玄関があって、廊下で各部屋に通じるという構造が日本家屋の様式ということだった。

玄関を入ると、奥から「オソオセヨ(いらっしゃいませ)」という声がして、案内の女性が出てきた。自由に観覧してもいいけれど、案内をしてくれるというので、お願いした。
2〜3言会話しただけで、私が日本人だということが分かってしまった。(発音がまだまだだな…)記念館として開館してから3年間で訪ねた日本人は私で3組目だという。日本からわざわざ訪ねてきた老夫婦が初めだったと話してくれた。

e0160774_21393551.jpg

尹克栄さんが生まれたのは鍾路区だったが、今その家はなく、その後、韓国戦争の時に釜山に避難して戻ってきてからは、この水踰洞に住んだという。何度か家を転々とした後、この家を買って住み、ここで亡くなった。
その後も息子さんが住んでいたが、2013年にソウル市が買い取って記念館として使用している。

e0160774_21393522.jpg

作曲家として多くの童謡を残したが、「半月」や「ソルラル」などの作品は作詞と作曲の両方をしているんだという。

e0160774_21393515.jpg

「ソルラル」の額。これは尹氏が最初につくった童謡で、韓国で最初の創作童謡。それまでは「童謡」といわれる歌はなかったが、「ソルラル」から童謡というジャンルが始まった。

e0160774_21393511.jpg
「半月」の額。尹氏はこのように童謡を絵とともに額にして、多く残していたという。

尹氏は若い時から音楽の才能を認められ、日本人の先生の勧めによって東京に留学した。しかし、関東大震災の時に「井戸に毒を入れた」などの根も葉もない疑いがかけられて多くの韓国人が殺された時、尹氏も命からがら韓国に逃げ帰ったという。
帰国して1年後、もう一つの悲しみが彼を訪れた。早くに嫁いだ彼の姉が亡くなったというのだ。悲しみにくれていたある日、空を見上げると昼間の白い半月が空に浮かんでいた。彼はそれを見て、大海に浮かぶ小舟のようだと思い、姉を亡くした悲しみと亡国の民の悲しみを込めた歌をつくった。


「半月」

青空わたる  小舟には
桂木とウサギ ひとりずつ
帆柱も立てず 竿もなく
よくも行けるよ 西の国へ

天の川越えて 雲の国へ
雲の国過ぎたら どこへ行く
遠くでキラキラ 照らしてる
明星の灯台だ 舵をとれ

日本語の歌詞はこちらから

悲しみを歌いながらもそれだけで終わりたくないと、最後に希望を託した歌詞を付け加えたという。

とても落ち着く家で、胸にじいんと来る話が聞けたいい日だった。

e0160774_21393542.jpg

[PR]
by matchino | 2018-01-29 21:43 | 建築 | Comments(0)

阿峴洞の正教会聖堂で思いがけないクリスマス

クリスマス、どこに遊びに行こうかと考えたけれど、いいところが見つからなくて、次のマチノアルキのコースとして考えている忠正路に下見に行くことに。クリスマスに一人で路地歩きか…と思ったけれど、意外にもクリスマスらしいアルキになった。

e0160774_20225955.jpg
e0160774_20225912.jpg
e0160774_20225784.jpg
e0160774_20225725.jpg
e0160774_20225883.jpg
e0160774_20225882.jpg

コースは次のアルキの時のお楽しみということで、写真だけ。

そして阿峴洞まで来たので、以前「オープンハウス・ソウル」の時に訪ねた正教会の聖堂に行くことに。

e0160774_20225802.jpg

正教会というとピンと来ないけれど、ロシア正教会とかギリシャ正教会という名前なら聞いたことがある。それで、ここはロシア正教会なのかと思ったが、実は正教会の前に付く国名はその国のものなので、韓国では大韓正教会というらしい。
そして、外から見た立場では「キリスト教の一派」ということだが、初代教会の伝統を正しく受け継いでいる教会ということらしい。
そのためか、ロシアの教会にありそうなイコンが聖堂の内部を覆っている。調度品もとても装飾的で古風なものばかり。これだけでも、まだ見ぬ異国の地に来たような雰囲気で、感動した。

e0160774_20225960.jpg

前回にとてもいい印象だったので、再訪は嬉しかった。
聖堂に着いたのは9時過ぎ。入れるかどうか心配したが、正面の扉が開いていた。
入るやいなや、お香で少し曇った室内の空気の向こうに豪華な祭壇とイコンがたたずんでいた。礼拝の最中なのか、信徒の方たちが座っており、祭壇では儀式が行われていた。

ぼうっと見ていると、すぐに案内の女性がやってきて、「初めて来た方ですよね?」と、2冊の本を渡しながら前の方の席に案内してくれた。そこに座っていたおじいさんを指して「この方についてしてください」と言われ、「ちらっと見て帰ります」とも言えないままに席に座った。見物に来たなんて失礼だと思ったので、とりあえず最後まで礼拝を受けていくことにした。
おじいさんに「どのくらいかかりますか?」と訊くと、「1時間」と。まあ、それくらいならいいか…。

礼拝は、非常に儀式的な印象。
荘厳な雰囲気の聖堂によく合っている。祭壇で儀式を行う聖職者たちも、後ろのコーラスの人たちも、決められた文句を節をつけて唱え、信徒たちが全員で唱える「我らを憐れみたまえ」などの言葉も節をつける。それらの言葉の全てが韓国語に訳されているのも興味深い。基本的には韓国語で進められ、ロシア人の信徒たちのためにときどきロシア語が入る。儀式を執り行う一番上の人らしい方はロシア人のようだ。ちなみに、信徒席に座っているロシア人の女性たちは皆スカーフを被っており、皆びっくりするほど美しかった。

礼拝の様子を写真に撮りたかったけれど、失礼かと思って遠慮した。
後から探してみると、Youtubeに礼拝の動画があったので、リンク。



教会のイコンも、お香の香りも、儀式のための衣装も、聖句を唱える声も、窓から差し込む光も、全てが神々しく感じる時間はとてもよかったが、問題はなかなか終わらなかったこと。まだ1時間経っていないのだろうか。そのうちお腹が痛くなってきた。途中で立つのも失礼だしと思いつつ、そろそろ限界だという頃に時計を取り出してみると、すでに2時間が経とうとしている!数分前に入ってきた人もいるし、すぐに終わりそうな感じではなく、おじいさんに断って出てきた。
ふう、なんとか逃れられた…。

それにしても、おじいさんはなぜ1時間と言ったんだろうか。時間がかかるといったら帰ると思ったのだろうか。もしかしたら、いつもどのくらいの時間がかかっているか気にしたことがなかったのかもしれない。どちらにしろ、「1時間」という言葉があったから座っていられたので、よかったなと。


でも、この後、家に帰ると、知り合いから電話がかかってきた。
「今、阿峴の正教会聖堂にいるんだけど、来る?」と。
なにいいい!

その知り合いは、9時から行くつもりが12時過ぎに礼拝が終わってから行って、昼食をごちそうになっているという。
もう少しあそこで我慢していたら、間もなく終わっていたかもしれないのに...。
まあ、次にまた行ってみるかな。

[PR]
by matchino | 2017-12-28 20:35 | 建築 | Comments(0)

傷心の奨忠洞 その2 105チョコレート+コーヒー

大好きな洋館が消えてしまった傷心を抱えながら京東教会のほうに戻っていく。
教会の裏手には文化住宅がいくつか残っており、その一つがカフェになっているという話を聞いてやってきたのだ。

けっこう経っていそうな石垣に囲まれた家。1956年に建てられたらしい。韓国戦争の終戦間もない頃か。
広い門の上には「105 Chocolate + Coffee」と店の名前が出ている。

e0160774_21584651.jpg

門のすぐ前は駐車場で、すでに2台の車が入っていた。
その左手には広い庭!

e0160774_21574228.jpg

テーブルがたくさん置いてあって、春や秋には外でくつろぐのもいいかもしれない。
そしてその向こうには大きな石造りの家!切妻がいくつか組み合わさった屋根で、お金持ちが住んでいました、という雰囲気。

e0160774_21412165.jpg
e0160774_21412258.jpg

玄関の前の階段も時代を感じさせる。

e0160774_21412187.jpg
e0160774_21412214.jpg

玄関に入るとすぐに注文するコーナー。娘用にはオレンジエード、私には「105コーヒー」3000ウォン。チョコレートの専門店でおいしいらしい。上の子たちを連れてくるほうがよかったな。(ついてこないケド)

さて、コーヒーより重要なのが、2階の部屋。住宅として使っていたものを家具などもそのまま使っているといううわさを聞いていたのだ。
人がいて写真を撮れなかったけれど、階段を上ると大きな円形の窓があって、板張りの部屋。ここが門の正面にくる場所だな。ベランダの手すりが重厚なデザイン。

e0160774_21411909.jpg

その隣には二つの部屋。一つの部屋は古めかしいソファのセット。元から使っていたものをそのまま使っているのだろうか。座り心地は悪そうだけど、レトロ感たっぷりでいい。犬のぬいぐるみも古そう。

e0160774_21412079.jpg

もう一つの部屋には楽な椅子が置いてあり、居心地がよくて眠くなるほど。窓の外には隣の文化住宅が見えていい感じ。

e0160774_21412137.jpg

なんだけど、窓際の席はおばさま三人組が陣取っていて、仕方なく壁側でくつろいだ。

e0160774_21411943.jpg
e0160774_21412051.jpg
ちょっとくつろぎすぎじゃね?


娘が東大門を見にいこうというので、外に出た。さっきは暑かったけれど、夕方になって少し涼しくなっていたので、庭でブランコに乗る。いろんな木が植えられており、リンゴの木もあって、小さな実をつけていた。

e0160774_21412278.jpg

娘の相手をしていてコーヒーもまともに味わえなかったけれど、コーヒーもケーキもおいしいということだったので、今度はゆっくり行ってこよう。一緒に行きたい人、募集!

[PR]
by matchino | 2017-08-14 22:05 | 建築 | Comments(0)

傷心の奨忠洞 その1

e0160774_17434430.jpg

知り合いの先生が奨忠洞を歩いているのに刺激されて、娘を連れて奨忠洞へ。
一昨年、京東教会とウェルカムシティなどを見に来てから気に入って何回か訪ねていたところだった。
マチノアルキのプレイベントでも歩き、マチノアルキの次回の場所としても考えていたので、その下見も兼ねた踏査だった。

東大門歴史文化公園駅から奨忠洞に向かって歩く。
まずは京東教会。夏だから蔦に覆われていると思ったら蔦がすっかり払われていた。

e0160774_17434379.jpg

補修も兼ねてのことだろうか。蔦が根を下ろしていた花壇には新しい蔦の若葉が育っていた。

e0160774_17434403.jpg

奨忠壇の前の十字路まで出て、太極堂の前を右に折れる。そのすぐ裏は、ドーマーが三つ並んだ古い洋館があった場所だ。数ヶ月前に解体されてしまい、とても残念だった。

e0160774_17541488.jpg

e0160774_17572120.jpg
これが2年前の姿


その洋館がなくなったことで、その裏にある2階建文化住宅がよく見える。ここには4軒の文化住宅があって、少しずつ形は違うものの、似たような要素を持った家だ。

e0160774_17541404.jpg

空き家のようにみえるが、夕方に訪れた時に路地には灯りが灯っており、一つの家屋の窓から灯りがもれていたので、少なくとも1軒は今も住んでいるのだと思っていた。しかし、実はパラダイスホテルの所有となっているということで、倉庫として使われているのかもしれない。


ここからさらに道に沿って登っていくと、もう一つの謎の洋館がある。庭付きのけっこう大きな家で、外観だけでも普通の家でないことを感じさせる家だ。

いや、「だった」のだ。

今回、とてもショックだったのが、この家が消えていたこと。ウェルカムシティを過ぎると路地から、石垣の上にあの家の姿が見えたのに、今日訪ねてみると、石垣の上には白い仮の塀が立てられ、その上には青い空が見えたのだ。思わず目を疑った。
正面に回ってみると、やはりそこにあの家屋の姿はなかった。敷地に入る門の方へと回ってみると、門柱の一番下の段だけが残されており、後は消え失せてしまっていた。

e0160774_17541595.jpg
e0160774_17541591.jpg
e0160774_17541518.jpg

敷地全体に雑草が茂っているのをみると、解体してから数ヶ月は経っているのではないだろうか。もしかしたら、先ほどの洋館と共に解体されたのかもしれない。

e0160774_17585953.jpg
これが2年前の姿。すでにフェンスはあった。


e0160774_17590005.jpg
2年前の姿。サンルームとかアーチの窓がいい。


e0160774_17590086.jpg
2年前の姿。緩やかにカーブする屋根。


e0160774_17590089.jpg
レンガ造りの塀もなくなっていた。


放心状態になりながら、知り合いの先生が上げていたカフェに向かう。これがよくって私の傷心をわずかながら癒してくれた。そのカフェについては更新を待て!

[PR]
by matchino | 2017-08-13 18:12 | 建築 | Comments(0)

徽慶洞の再開発地域を歩く

e0160774_12034281.jpg

ソウル建物年齢地図というサイトがあることを最近知った。ソウルのすべての建物の使用承認を得た年度を記載したというものすごい地図。それで気になっていた建物の年代を興奮しながら調べまくった。
そして、思いついたのが、古い家屋がある辺りを歩いてみようかと。

徽慶洞の古い家屋について昔書いたことがあったが、その反対側のあたりにも古い家がけっこう残っていることを最近発見して、歩いてみることにした。
地下鉄1号線の回基駅に着く前に電車の窓からだいたいの位置の目星を付ける。
が、解体作業用の幕が張られている!再開発されてしまうのか!

回基駅を出てしばらく歩くと、気になっていた連立住宅があった。年代は1980年。

e0160774_12034256.jpg
e0160774_12034378.jpg

その向こうにも古そうな建物が見える。


そこから少し歩いていくと、空き家が並んでいた。やはり再開発の地域になっており、住民はすでに出ていたのだ。
古い一階建ての家屋がいくつもあった。こういう瓦屋根の家は1960年代のものらしい。

e0160774_12034347.jpg
e0160774_12034465.jpg
e0160774_12072667.jpg

すでに撤去された残骸の向こうに古い家屋が見える。

e0160774_12072544.jpg

その中で見つけたとんがり屋根の家。何の家だろうかと気になって前まで行ってみると、「荷居堂」という文字。巫堂の家なんだろうか。
とんがり屋根の中の窓も面白いが、その脇に書かれた「永存」が何を意味するのかと気になる。

e0160774_12072645.jpg

この屋根に気を取られて気付かなかったけれど、家に入る細い路地の両側の塀には絵が描かれていた。

e0160774_12072729.jpg

e0160774_12072753.jpg
アングルの「泉」とか

e0160774_12072850.jpg
朝鮮戦争のときに空に現れたイエスの姿とか
(その上のはダリの描いたイエス?)

e0160774_12072792.jpg

虎とか。
元の絵が分かるものもあれば、分からないものもあって、不思議な感じだ。
どんな人が、何の目的で描いたんだろうか。まあ、ただの趣味なのかもしれないけれど。

さらに路地を回っていると、古い倉庫のような建物を見つけた。

e0160774_12034352.jpg
e0160774_12034440.jpg

通りの表側に回ってみると、道路から少し奥まったところにこの建物の入口があった。
今も使われているようだ。

e0160774_12072859.jpg

写真を撮っていると、一人のおじさんが現れた。
「何かの工場なんですか?」と訊いてみると、
「そう。11の小さい工場が入ってるんだ」とおじさん。
「ここも再開発の地域なんですか?」
「いや、再開発はこの裏側だよ。この建物の2階が再開発の事務所」といって、隣のビルを指差した。
よかった。とりあえずこの建物は残りそうだ。
今度中を見せてもらおう。

[PR]
by matchino | 2017-06-18 12:19 | 街歩き | Comments(0)

中林洞・ホバクマウル

e0160774_22112893.jpg

最近、中林洞(チュンニムドン)がアツい。らしい。
来週(5月20日)にはソウル駅の高架道路が歩道としてオープンするし、聖ヨセフアパートがKBSの「ドキュメンタリー3日」という番組で紹介されたりしていた。

その日の放送内容はこちらから視聴できる。(会員登録が必要)

ちょっと調べたいこともあって、中林洞へ。
ソウル駅で降りて、いつものように文化駅ソウル284の前を通る。
そうすると、道を塞ぐ大量の靴!

e0160774_22112781.jpg
e0160774_22112804.jpg

ソウル駅の高架道路のオープンに合わせたオブジェなんだろうか。
今思うと、近くに塩川橋の靴屋通りにちなんでのことかな。

その塩川橋に行ったら、解説板が立てられていた。
解説によると、塩川橋のいわれについて、「火薬を製造する焔硝庁(ヨムチョチョン)があったということで『ヨムチョチョン橋』といわれていたが、音が変わって『塩川橋(ヨムチョンギョ)』となった」とある。
以前、ネットで調べたときは、毋岳川(蔓草川)に架けられていた塩川橋という橋があったが、川が暗渠化したことで橋がなくなり、その名前を持ってきてつけたとあった。どれが本当なんだろうか。
今の塩川橋ができたのは鉄道が敷かれた後だから、なくなった以前の塩川橋は1900年以前にすでに暗渠になっていたところにあるはず。
それで地図を調べてみると、1908年の地図では、独立門のあたりから下流は暗渠になっていないので、以前の塩川橋は独立門より上流にあるはずだな。
どこにあった橋なんだか気になる…。

さて、塩川橋を渡って薬峴聖堂の前を通って聖ヨセフアパートへ。前から行きたかったカフェ「コーヒーパンアッカン」に寄ろうかと思ったけれど、残念ながら店じまい中で、次回に行くことに。

さあ、今回の目的の中林洞のタルトンネにやってきた。
以前、訪ねた時に気になっていた地域だけれど、最初に紹介した番組によると、「ホバクマウル」というらしい。
でも、ちかぢか再開発されるようで、ところどころに赤いスプレーでバツ印が付けられていた。

e0160774_22112992.jpg

路地に入っていくと、思いがけないバラのトンネル。
韓国では珍しい白バラだった。

e0160774_22112864.jpg

今まで注意してみたことはなかったけれど、つぼみにうっすらと薄紅色が指していた。
開いた花は真っ白なのに、あの紅色はどこに行ってしまうんだろう。

このブロックを回っていくとなかなか面白い。
カラフルなシートが窓に貼られた床屋。
外から見えないようになっているっていうことは、あの噂のいかがわしい床屋なんだろうか…?

e0160774_22112966.jpg

大通り側に出ると、資材を売る店。
茶房(タバン)的な看板がいい。けれど、閉店して久しいようだ。

e0160774_22112944.jpg

この並びにも撤去のバツ印が。なんとか残って欲しいけれど、難しいかな…。

[PR]
by matchino | 2017-05-14 22:15 | 街歩き | Comments(0)

「トッケビの家」雲峴宮洋館を訪ねる

e0160774_20300736.jpg


コン・ユ主演のドラマ「トッケビ」。
娘たちが観ているのを横からときどき観ていただけだけれど、ちょっと気になったことがあった。
それは、トッケビの家として出てきた洋館。雲峴宮(ウニョングン)の隣にある「雲峴宮洋館」と呼ばれている建物だ。

実はこの洋館、徳誠女子大の事務所として使われていて、普段は関係者以外は入れなくなっている。以前、外観だけでも見たいと思って学校の門を通過しようと思ったら、守衛のおじさんに呼び止められて入れなかったことがある。
でも最近、「トッケビの家を見てきました!」というブログがいくつか見られたので、敷地内に入れるようになったのかと思った。それで、旧正月の連休、娘に「トッケビの家を見に行こう」とうまく誘い出して行ってみることにした。

鍾路三街駅を出て、昔のピカデリー劇場を通り、益善洞へ。
そこから楽園商街の通りを北上して、徳誠女子大の門の前へ。
でも、連休中で門がしっかりと閉まっていた。そりゃそうだよなあ。
でも「トッケビ」のためか、外国人たちが門の前でうろうろしていた。

仕方がないので、塀越しにでも見ようかと、雲峴宮に入った。

e0160774_20300525.jpg

雲峴宮は朝鮮第26代王・高宗の父親である興宣大院君(フンソンテウォングン)の私邸。立派な韓屋が並んでいる。
そして、その向こうに雲峴宮の洋館が見える。

e0160774_20300578.jpg



ところで、実はこの次の日、私がよく聞いている「トコトコ歴史紀行」というポッドキャストで雲峴宮の話が出てきた。その話がなかなか面白かったので紹介しよう。

+ + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +

まず、雲峴宮という名称の由来。
今、現代の社屋がある辺りに、現在の気象庁にあたる「書雲観(ソウングァン)」という官庁があったという。その「雲」の字を取って、地形が少し丘になっているため、丘を意味する「峴」の字をつけて、この辺りは「雲峴」と呼ばれた。
高宗がここで生まれ、12歳までここで暮らしていた。そして12歳で幼くして王となったため、父親の興宣大院君が摂関政治を行い、雲峴宮は政治の中心となった。当時は昌徳宮と接しており、興宣大院君が昌徳宮と行き来する門をつくったという。
後に興宣大院君の権力は弱くなり、大院君は雲峴宮で死を迎えた。

日本統治時代を経て、解放された時、雲峴宮は高宗の孫である李鍝(イウ)の所有となっていた。
李鍝は日本政府の政策で強制的に日本で住まわされていた。しかし、李鍝の妻である朴贊珠(パク・チャンジュ)は気が強い人で、政府に「朝鮮に帰してほしい」と要求していた。結局、李鍝は帰れなかったが、朴贊珠は許可されて朝鮮に帰ってくることができたという。どれほど気が強い人だったんだろうか。
李鍝は日本で軍人として階級を与えられて広島で勤務していたが、不幸にも原爆が投下されて広島で爆死した。

韓国の解放後、朴贊珠は息子の李清(イチョン)と共に帰国して雲峴宮に住んでいた。
その時、韓国では皇室の財産を国有化する政策をとっており、すべての宮は国有化された。国有化の手はもちろん雲峴宮にも及んだ。
しかし、朴贊珠は最後まで雲峴宮は私有財産であると主張し、ロビー活動まで行いながら国会から許可を得て個人所有として残すこととなったという。

その後、李清に対し、李承晩大統領は養子となることを勧めたという。自分が朝鮮王朝の子孫であると主張していた李承晩は、王室の子孫を養子にすることでさらに権力者としての正当性を強化しようとしていたのだ。もちろん、朴贊珠はそれを断固として拒絶した。
しかし、李承晩の要求を拒んだしっぺ返しが帰ってきた。それまで李王朝の子孫に与えられていた財政支援が断ち切られのだ。朴贊珠は雲峴宮の一部を売却せざるを得なくなり、徳誠学院はそれを買い取って徳誠女子大を創設した。長い間、徳誠女子大の土地となっていたのはこのようないきさつがあったのだ。
現在はソウル市が買い取って雲峴宮を復元した。

+ + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +

これがポッドキャストで紹介していた雲峴宮の話だ。

そして、その数日後にソウル歴史博物館を訪ねると、雲峴宮の遺物がたくさん展示されていた。
雲峴宮洋館で使われていた家具や、朴贊珠の服などが展示されている。

e0160774_20300715.jpg


雲峴宮で使われていた食器もある。これらはすべて特注で制作され、底には「雲峴」の字が入っていた。

e0160774_20300820.jpg


この展示も細かく見ていくと面白そうなので、また行ってみよう。


この日は洋館は塀越しにしか見られなかったけれど、その後のある日曜日、もう一度訪ねた時に敷地内に入ることができた!
守衛のおじさんがいなかったのだ。私の他にも「トッケビの家」を見に来た人がたくさんいた。もちろん男たちも!

e0160774_20300696.jpg
e0160774_20320824.jpg

e0160774_20300603.jpg
e0160774_20300786.jpg
e0160774_20300609.jpg


やっと目の前で見られたので感無量。
でも、この美しい洋館、実は韓国の建築の本では「西洋の歴史的様式を真似しただけのあまり価値がないもの」と評されていることが多い。日本人が建てた建物だからだろうか。

今は建物の中に入ることはできないが、近々開放されるようになるという噂があるという。早く入れるようになったらいいな。

[PR]
by matchino | 2017-03-04 20:39 | 建築 | Comments(0)