〈秋の原州旅行〉原州駅の給水塔

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原州近代建築旅行の続き。

神林駅からムグンファ号で原州駅へ。
原州駅には日本統治時代に建てられた給水塔があり、前から見に行きたいと思っていた。
汽車を降りてホームを歩いていくと、線路2本ほど向こうに白い給水塔が立っていた。

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ひとしきり写真を撮って駅舎の方へ行くと、観光案内所があったので、近くで見ることはできないかと訊いてみた。観光案内所にいた案内士のおじいさんが外に出てきて、自ら案内してくださった。
駅から出て右手に少し行くと、駐車場のような駅の敷地への入り口があった。
その正面に給水塔が立っていた。長い間、ここに立っていた威厳を感じさせる。

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歩きながら案内士の方が説明してくれた。
この給水塔が建てられたのは1942年ごろ。中央線の開通と共に建てられた。当時は蒸気機関車だったので、石炭と共に水を補給する必要があったのだ。
「安東から走ってきた機関車が、ここで一息入れながら水を飲んだんですよ」と解説士のおじいさん。
そういえば安東駅にも給水塔が残っていたな。

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私は安東駅の給水塔は近くに行けなかったが、韓国古建築散歩のりうめいさんは駅長さんに案内してもらったらしい。
安東駅の給水塔は、列車の清掃などに今でも現役で使用しているとのこと。原州の給水塔は役目を終えて久しい。文化財に指定されているため、観光資源として残されて行くだろうけれど。

給水塔の他にもこのプラットフォームの屋根が古そう。いろいろなブログなどを見てみると、給水塔を見にいった人は皆この屋根のことも書いていた。これも残してくれたらいいなあ。

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あと、りうめいさんがもう一つ気にしていたのが「キジ駅長」。「クォンビン」という名のキジが飼われていて、名誉駅長となっているらしい。原州駅が移転するので、彼はどうなってしまうのだろうといっていたのだ。
それでオリを見にいってみると、キジの姿はなかった。
解説士のおじいさんに訊いてみると、列車の音に対するストレスがたいへんだったらしく、飼うのもたいへんなので他に移したんだとか。

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案内を終えて駅に戻る案内士のおじいさんの後ろ姿に、もうすぐその役目を終える原州駅の姿が重なる。案内士のおじいさん、ありがとう。そして原州駅、お疲れ様!

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# by matchino | 2018-10-10 23:32 | 建築 | Comments(0)

〈秋の原州旅行〉龍召幕聖堂

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原州の龍召幕聖堂は、中央線・神林駅から歩いて10分ほどのところにあった。
車がビュンビュンと通り過ぎる田舎の国道を右に折れ、田舎道を少し歩くと、聖堂の尖塔が見えた。ガイドブックで見た印象の通り、そうとう細長い尖塔らしい。

聖堂に向かう道にはところどころに紫陽花のような白い花が咲いていた。もう少し前に来たらもっと美しい姿を見られたかもしれない。

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花を撮っていると、すぐ隣で妻の嬉しそうな声が聞こえた。「こんな早く見つかるなんて!」。四つ葉のクローバーを探していたらしい。妻が四つ葉のクローバーを見つける時は、四つ葉のクローバーがにっこりと微笑みかけてくるのが見えるんだという。

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カトリックの聖堂が好きで、巡礼でもするかのように訪ねているけれど、その精誠が実ったのだろうか? 別にカトリックの信者ではないけれど。

聖堂の前に立っている大きな木を回って正面の階段から見上げる。

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鐘楼と三廊式の身廊、そしてその奥に祭壇がある典型的なカトリックの聖堂だが、やはり鐘楼が細長い。設計者がどんな人なのか気になる。

この教会が創設されたのは1898年のこと。1866年に起きた興宣大院君によるカトリック教徒の虐殺事件「丙寅迫害」を逃れた信徒たちによって建てられた。最初は韓屋で礼拝を行なっていたが、1915年に現在のレンガ造りの聖堂が建てられた。

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ここに聖堂を建てる時にも不思議なエピソードが伝わっている。白い髭を生やした白髪の老人が現れて、「ここは30年後に鉄馬が通ることになるから場所を移しなさい」と助言し、その助言に従って最初に計画した場所から離れた現在の場所に聖堂を建てたという。
そして30年後、その老人の予言通り、元に計画していた場所は鉄道が通ることになった。信徒たちはその不思議な老人が聖ヨセフではないかといっているとのこと。
それにしても、なぜ聖ヨセフなんだろう? 大工だったということで、教会の守護神的な位置なのかな?

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聖堂の周りには大きな木が何本もあり、とても気持ちがいい空間になっている。時間がなくて長居はできなかったが、しばらくここで遊んでいてもいい感じ。

聖堂の左側に回ると、さまざまな施設がありり、階段の上にはいい感じのレンガ造りの建物。司祭館と修道院の建物らしく、階段の途中に「上がらないでください」とあった。建物を見たかったけれど、礼儀は守らないとね。

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もう一つ気になったのが、聖堂の後ろに見える鐘塔。

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こういう鉄塔の上に鐘だけある粗末な鐘塔が好きなので、近くまで行ってみた。
聖堂の後ろに伸びる田舎道をたどっていくと、道の脇に聖書に関するイラストが描かれていた。白いラインで描かれた線画がかわいいし、はげた感じがまたいい。

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鐘塔へ登る横道を登ると、なんと、先程の司祭館。写真を一枚だけ撮って静かにその場を後にした。

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残念だったのは、日曜日の礼拝中で中に入れなかったこと。それでも入り口から見た祭壇のステンドグラスは遠目に見ても美しかった。

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さて、神林駅周辺で許された時間は2時間。原州行きの電車に乗らないと、いつ来るのかもわからないバスで1時間半かけて原州市内まで出ないといけないので、このあたりでは唯一の食堂で簡単に昼食を済ませてから神林駅へ。次は原州駅。

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# by matchino | 2018-09-26 06:47 | 建築 | Comments(0)

〈秋の原州旅行〉田舎の神林駅に降り立つ

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秋になったら行きたいと思っていたところ、原州。
今年の春に訪ねたが、いろいろと行きそこねた所が多かったので、また来ないとと思っていたのだ。折しも原州駅を通る鉄道路線の変更に伴って、原州駅が廃駅になるということで、9月に入るや否や、行ってみることにした。
今回の訪問先は、龍召幕聖堂と韓紙テーマパーク。ついでに原州駅も行こうと思っていたので、鉄道で行くことに。思いがけず、龍召幕聖堂が鉄道の駅に近いところにあることが分かったので、まずは鉄道で神林駅へ向かった。

清凉駅でチケットを買って、江陵行きのムグンファ号に乗り込んだ。神林駅に停車するのは一日4本のみ。レアな場所に行く感じが興奮を高める。

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座席は狭めの一般席だったが、ほかの車両に行ってみると、食堂車らしい車両があって、がらがら! 窓の方を向いた席もあって、客席よりはるかにいい。最初からこっちに来ててもよかったな…。

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1時間40分で神林駅に到着した。
神林駅は、簡易駅ではないものの、田舎の何にもない駅で、ホームもとても簡素なもの。

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ゆるーい踏切だけがある線路を渡って小さな駅舎へ出る。踏切がカンカン鳴り出す前は、線路で遊んでいても何も怒られたりはしなかった。

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駅の前には、蔦に覆われた倉庫。

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そして近くには古びた商店。店の前に唐辛子を干していて、なんとものどか。
自販機と公衆電話はいつごろから使っていないんだろうか。

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駅の周辺には、山と川と田んぼ、そして樹木の畑。「木が必要な方はご連絡を」という看板。これは初めて見た!

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さて、駅から歩いて龍召幕聖堂へ向かう。続きは次回に!

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# by matchino | 2018-09-16 23:11 | 旅行 | Comments(0)

毋岳峠の向こうにある世界と鞍山マンション

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あの山の向こうには何があるんだろう。
峠というのはそういう思いを抱かせるものなんだろうか。
ここ数年の私にとって、そんな峠は、独立門から鞍山と仁王山の間を通る毋岳チェ(峠)だった。
会社から近いので、独立門は何度も訪ねていたが、今まで毋岳峠は越えたことがなく、いつかは越えたいと思っていたのだ。
その機会がやってきたのは、建築家ファン・ドゥジン先生の著書「最も都市的な生き方」を読んで、三つの古いアパートが毋岳峠の向こうにあることを知った日のことだった。

地下鉄3号線の独立門駅で降りて、毋岳峠に向かう。道路の中央にあるバスの停留所から毋岳峠を撮影。

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隣にあったビルも気になる。

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峠を越える前に、道路の向かいにあったビル。

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崖に面して建てられているんだろうか。右側に付いている家とは最上階は繋がっているように見える。もしかして裏にも出入り口が?

とうとう毋岳峠を超えた! 道の向かいに「毋岳峠」の碑が見える。

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道路の向かい側にある山は鞍山。だが、少し高い位置からでないと鞍山の姿がまともに見えないくらい、アパートなどのビルが建ち並んでいる。

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しばらく歩くと毋岳チェ駅に到着。
もうそろそろ鞍山マンションが見えてくるぞと思っていると、突然目の前に現れたのが、再開発地域。引き寄せられるように足を向けると、平屋の古い家が並んでいる向こうに鞍山マンションがたたずんでいた!

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鞍山マンションは、大通りから一本脇に入った狭い路地に面している。マンションの向かって右側から近づくと、マンションの脇に銭湯の煙突があるのが分かった。

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屋上には「沐浴湯(銭湯)」とある。なんと、1970年代に建てられたアパートに銭湯があるとは!
でも、ファン先生の本によると、建てられた当時は住宅としての機能のみだったという。それが、後のなって1階が商店などに用途変更がなされたという。その時に銭湯もつくられたのでは、ということだった。でも銭湯の煙突も後から設置されたのか? これはもう少し研究する余地がありそうだぞ。

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銭湯の中はどんなんだろう。入ってみたいな。営業しているのかどうか分からないけど。


マンションの角には、「注入口」と書いたプレート。その横には上を向いたパイプ。ここに「注入」するんだろうけれど、何を注入するんだろう?

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正面を横切って角まで来ると、隣にはもう一つのアパート群があった。壁には「仁王」の文字。これが仁王アパートか。これも1968年に竣工した有名な古アパートだという。それにしても並び方がすごい。言葉で表現しにくいが、立て続けに現れるアパートに驚きを禁じ得なかった。

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さて、鞍山マンションの角を曲がると、鞍山マンションの入り口が見えた。中には警備室が見え、警備員のおじさんの姿。中に入るのは憚られたので入らなかったが、「最も都市的な生き方」によると台形の中庭があり、そして、屋上には菜園があるという。ぜひ見てみたいな…。

鞍山マンションと仁王アパートの間を過ぎると、またもう一つのアパート団地。今度は「仁王宮アパート」。「宮」という名前は、ほかのアパートとの差別化を図るための当時流行りの方法だけれど、看板周りのごちゃごちゃした感じが夜の店のような雰囲気を感じさせる。

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いやあ、ほんとにこんな所があるとは想像だにしなかった! この三つのアパート団地の織りなす空間感! まさにワンダーランドに足を踏み入れてしまったかのようだ。
毋岳峠の向こうから漂ってくる妖気はこれだったのか!

アパート群を抜けると、正面に見えた邸宅。西洋の切妻屋根の家にあこがれて建てた、いわゆる「フランス住宅」だけれど、正面がガラス張りになっていたり、ちょっと変わった雰囲気。そしてあの煙突に付いている円錐形は何だろう。まさにマッドサイエンティストの研究所のような!

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仁王アパートの表側に回ってきた。
と思ったら、大粒の雨がひと雫! 久しぶりの夕立が来そうだ。

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最後に撮ったその向かいの風景。

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大通り沿いの商街ビルと、その後ろの階段式のアパート、そして背後には建設中の高層アパート。これがこの町の持つ怪しさを語っているかのようだ。これはまだ序の口よ、と。

夕立は、新参者に対するこの町の警戒心の現れか、あるいは怪しさを際立たせるための小粋な演出か。どちらにしろ、近いうちにもう一度訪れることになるだろう。

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# by matchino | 2018-08-19 12:46 | 建築 | Comments(0)

8月中の限定公開! 旧・朝鮮銀行重役社宅

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韓国古建築散歩のりうめいさんからオファー。
「高宗の道旧朝鮮銀行社宅」を見に行こうと。

なになに? 高宗の道といったら、俄館播遷の時に高宗がロシア公使館に向かった道のことだろうけれど、それと朝鮮銀行社宅というのがつながらなくて戸惑った。
で、詳細記事を教えてくれたので読んでみると、アメリカ大使官邸の裏を、俄館播遷の時に高宗の通った道のりを整備して「高宗の道」として試験的に公開するということ。そして、昔は徳寿宮の領域で、璿源殿(ソノンジョン)などの建物が建っていたけれど、日本統治時代に解体されてしまったものを復元するという。
そこまではよかった。問題は、統治時代に建てられた旧・朝鮮銀行社宅を解体する前に一般公開する、ということ。こんなところに社宅があったという事実にも驚いたが、それが間もなく解体されてしまうという事実に驚きと悲しみを感じずにはいられなかった。
まるで、生き別れた兄弟が今も生きていることが分かったものの、不治の病に侵されていて余命いくばくもないという事実を知った、ドラマの主人公のような気持ちといったらいいか。
あるいは「いい知らせと悪い知らせがある」的なシチュエーションか。

とにかく行ってみなくては。
時間ができたので、りうめいさんとはまた行くとして、とりあえず一人で行ってみることにした。
ソウル市立美術館の前のロータリーからアメリカ大使官邸の前を通っていくと、大使官邸の塀の終わりに黒い門が開いていた。

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最近になって整備されたような道があり、フェンスが立てられていた。フェンスにはこの周辺の昔の写真と、例の社宅の写真。

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そして、フェンスの上には社宅の屋根と煙突が顔を出していた。

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フェンスの中には…
おおおお!
立派な二階建て家屋!

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朝鮮貯蓄銀行の重役の社宅とあって、そうとう立派な家だ。
日本家屋的な要素を探してみると、窓の中に欄間が見えたり、戸袋があったり。

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そして1階の前にはガラス張りのテラス。増築したようだけれど、これは当時のものだろうか、それとも米大使官邸として使っていた時のものだろうか。

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1938年に建てられたということだが、思ったよりも、古そうな感じがしないのは、壁が補修されているためだろうか。
そのほかにも窓に付けられている手すりが西洋的な感じだったりと、折衷的な要素も見られる。
それにしても、柵が立てられていて、中に入れないのが残念だ、荒れ放題で危険なためだろうが、解体する前に写真をしっかり残してほしいな。

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社宅は一棟だけだと思ったら、その後ろにはもう一棟。同じくらいの規模の2階建日本家屋。サンルームがない代わりに立派なポーチのついた玄関がある。やはり和洋折衷の様式が見られる。

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この二つの家屋はそれぞれどんな人が住んでいたんだろう。今は見る影もないが、庭もきれいに整えられていたのではないだろうか。それがいつこんなに荒れ果てた姿になってしまったのだろうか。

アメリカ大使官邸側は高くなっていて、整備された「高宗の道」は数メートル高い位置にある。そして、社宅側は急な傾斜になっているのだが、手前の家屋の前に一つ、奥の家屋の前には二つの横穴式の地下室がつくられていた。

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これはもしかして、防空壕? 入り口と内部はコンクリートで壁が作られている。何かの貯蔵庫かもしれないけれど、建てられた時期的にいって、戦争に備えてつくられた防空壕ではないだろうか。


それにしても、この家屋が解体されてしまうのは惜しいことだ。残っている貴重な建物を解体して、ハリボテの璿源殿を建てることに何の意味があるんだろう。
もちろん、この家屋を修理して使うことができるようにするためにはそうとうなお金がかかると思うし、修理するための名分も立てにくいというのはしようがない理由だけれども。
文献学者の金時徳氏は、著書「ソウル宣言」の中で「日本が滅亡させた朝鮮王朝を浮きあがらせて、朝鮮王室を韓民族・韓国市民と同一視しようとする動きが21世紀に入って活発化しています」と書いている。
そして、今は共和制である大韓民国であるにもかかわらず、今あるものを壊して、滅び去った朝鮮王朝の建物を復元するのはなぜかと疑問を投げかける。
その内容に共感を覚えた矢先にこの知らせ。なんなんだ、これは。最近は統治時代の建物も残されてリノベカフェになったりしているけれど、朝鮮時代礼賛はまだまだ現在進行形で続いているということか。


さて、整備されているという「高宗の道」、アメリカ大使官邸の後ろを通って旧・ロシア公使館に抜ける道が整備されていた。
道の両側に伝統様式の塀が立てられ、地面はセメントで固められて、「観光客を迎える準備」は万全といったところか。

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それにしても、高宗が俄館播遷の時に通った道は謎のままと聞いており、ロシア公使館の後ろにある地下通路を通ったという話もあるが、今回整備された道は旧・公使館の建物から少し離れたところに出ている。しっかりとした時代考証は終わっているんだろうか。もしはっきりしていないとしたら、はっきりとしていない旨を伝えることも必要なのではないだろうか。

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と、いろんなところで疑問を感じた訪問だった。
また見に来て、最後を見届けよう。
公開は8月末まで。入場時間は9時から18時。予約は不要。

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# by matchino | 2018-08-09 20:29 | 建築 | Comments(0)