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毋岳峠の向こうにある世界と鞍山マンション

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あの山の向こうには何があるんだろう。
峠というのはそういう思いを抱かせるものなんだろうか。
ここ数年の私にとって、そんな峠は、独立門から鞍山と仁王山の間を通る毋岳チェ(峠)だった。
会社から近いので、独立門は何度も訪ねていたが、今まで毋岳峠は越えたことがなく、いつかは越えたいと思っていたのだ。
その機会がやってきたのは、建築家ファン・ドゥジン先生の著書「最も都市的な生き方」を読んで、三つの古いアパートが毋岳峠の向こうにあることを知った日のことだった。

地下鉄3号線の独立門駅で降りて、毋岳峠に向かう。道路の中央にあるバスの停留所から毋岳峠を撮影。

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隣にあったビルも気になる。

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峠を越える前に、道路の向かいにあったビル。

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崖に面して建てられているんだろうか。右側に付いている家とは最上階は繋がっているように見える。もしかして裏にも出入り口が?

とうとう毋岳峠を超えた! 道の向かいに「毋岳峠」の碑が見える。

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道路の向かい側にある山は鞍山。だが、少し高い位置からでないと鞍山の姿がまともに見えないくらい、アパートなどのビルが建ち並んでいる。

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しばらく歩くと毋岳チェ駅に到着。
もうそろそろ鞍山マンションが見えてくるぞと思っていると、突然目の前に現れたのが、再開発地域。引き寄せられるように足を向けると、平屋の古い家が並んでいる向こうに鞍山マンションがたたずんでいた!

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鞍山マンションは、大通りから一本脇に入った狭い路地に面している。マンションの向かって右側から近づくと、マンションの脇に銭湯の煙突があるのが分かった。

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屋上には「沐浴湯(銭湯)」とある。なんと、1970年代に建てられたアパートに銭湯があるとは!
でも、ファン先生の本によると、建てられた当時は住宅としての機能のみだったという。それが、後のなって1階が商店などに用途変更がなされたという。その時に銭湯もつくられたのでは、ということだった。でも銭湯の煙突も後から設置されたのか? これはもう少し研究する余地がありそうだぞ。

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銭湯の中はどんなんだろう。入ってみたいな。営業しているのかどうか分からないけど。


マンションの角には、「注入口」と書いたプレート。その横には上を向いたパイプ。ここに「注入」するんだろうけれど、何を注入するんだろう?

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正面を横切って角まで来ると、隣にはもう一つのアパート群があった。壁には「仁王」の文字。これが仁王アパートか。これも1968年に竣工した有名な古アパートだという。それにしても並び方がすごい。言葉で表現しにくいが、立て続けに現れるアパートに驚きを禁じ得なかった。

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さて、鞍山マンションの角を曲がると、鞍山マンションの入り口が見えた。中には警備室が見え、警備員のおじさんの姿。中に入るのは憚られたので入らなかったが、「最も都市的な生き方」によると台形の中庭があり、そして、屋上には菜園があるという。ぜひ見てみたいな…。

鞍山マンションと仁王アパートの間を過ぎると、またもう一つのアパート団地。今度は「仁王宮アパート」。「宮」という名前は、ほかのアパートとの差別化を図るための当時流行りの方法だけれど、看板周りのごちゃごちゃした感じが夜の店のような雰囲気を感じさせる。

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いやあ、ほんとにこんな所があるとは想像だにしなかった! この三つのアパート団地の織りなす空間感! まさにワンダーランドに足を踏み入れてしまったかのようだ。
毋岳峠の向こうから漂ってくる妖気はこれだったのか!

アパート群を抜けると、正面に見えた邸宅。西洋の切妻屋根の家にあこがれて建てた、いわゆる「フランス住宅」だけれど、正面がガラス張りになっていたり、ちょっと変わった雰囲気。そしてあの煙突に付いている円錐形は何だろう。まさにマッドサイエンティストの研究所のような!

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仁王アパートの表側に回ってきた。
と思ったら、大粒の雨がひと雫! 久しぶりの夕立が来そうだ。

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最後に撮ったその向かいの風景。

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大通り沿いの商街ビルと、その後ろの階段式のアパート、そして背後には建設中の高層アパート。これがこの町の持つ怪しさを語っているかのようだ。これはまだ序の口よ、と。

夕立は、新参者に対するこの町の警戒心の現れか、あるいは怪しさを際立たせるための小粋な演出か。どちらにしろ、近いうちにもう一度訪れることになるだろう。

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by matchino | 2018-08-19 12:46 | 建築 | Comments(0)

8月中の限定公開! 旧・朝鮮銀行重役社宅

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韓国古建築散歩のりうめいさんからオファー。
「高宗の道旧朝鮮銀行社宅」を見に行こうと。

なになに? 高宗の道といったら、俄館播遷の時に高宗がロシア公使館に向かった道のことだろうけれど、それと朝鮮銀行社宅というのがつながらなくて戸惑った。
で、詳細記事を教えてくれたので読んでみると、アメリカ大使官邸の裏を、俄館播遷の時に高宗の通った道のりを整備して「高宗の道」として試験的に公開するということ。そして、昔は徳寿宮の領域で、璿源殿(ソノンジョン)などの建物が建っていたけれど、日本統治時代に解体されてしまったものを復元するという。
そこまではよかった。問題は、統治時代に建てられた旧・朝鮮銀行社宅を解体する前に一般公開する、ということ。こんなところに社宅があったという事実にも驚いたが、それが間もなく解体されてしまうという事実に驚きと悲しみを感じずにはいられなかった。
まるで、生き別れた兄弟が今も生きていることが分かったものの、不治の病に侵されていて余命いくばくもないという事実を知った、ドラマの主人公のような気持ちといったらいいか。
あるいは「いい知らせと悪い知らせがある」的なシチュエーションか。

とにかく行ってみなくては。
時間ができたので、りうめいさんとはまた行くとして、とりあえず一人で行ってみることにした。
ソウル市立美術館の前のロータリーからアメリカ大使官邸の前を通っていくと、大使官邸の塀の終わりに黒い門が開いていた。

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最近になって整備されたような道があり、フェンスが立てられていた。フェンスにはこの周辺の昔の写真と、例の社宅の写真。

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そして、フェンスの上には社宅の屋根と煙突が顔を出していた。

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フェンスの中には…
おおおお!
立派な二階建て家屋!

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朝鮮貯蓄銀行の重役の社宅とあって、そうとう立派な家だ。
日本家屋的な要素を探してみると、窓の中に欄間が見えたり、戸袋があったり。

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そして1階の前にはガラス張りのテラス。増築したようだけれど、これは当時のものだろうか、それとも米大使官邸として使っていた時のものだろうか。

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1938年に建てられたということだが、思ったよりも、古そうな感じがしないのは、壁が補修されているためだろうか。
そのほかにも窓に付けられている手すりが西洋的な感じだったりと、折衷的な要素も見られる。
それにしても、柵が立てられていて、中に入れないのが残念だ、荒れ放題で危険なためだろうが、解体する前に写真をしっかり残してほしいな。

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社宅は一棟だけだと思ったら、その後ろにはもう一棟。同じくらいの規模の2階建日本家屋。サンルームがない代わりに立派なポーチのついた玄関がある。やはり和洋折衷の様式が見られる。

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この二つの家屋はそれぞれどんな人が住んでいたんだろう。今は見る影もないが、庭もきれいに整えられていたのではないだろうか。それがいつこんなに荒れ果てた姿になってしまったのだろうか。

アメリカ大使官邸側は高くなっていて、整備された「高宗の道」は数メートル高い位置にある。そして、社宅側は急な傾斜になっているのだが、手前の家屋の前に一つ、奥の家屋の前には二つの横穴式の地下室がつくられていた。

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これはもしかして、防空壕? 入り口と内部はコンクリートで壁が作られている。何かの貯蔵庫かもしれないけれど、建てられた時期的にいって、戦争に備えてつくられた防空壕ではないだろうか。


それにしても、この家屋が解体されてしまうのは惜しいことだ。残っている貴重な建物を解体して、ハリボテの璿源殿を建てることに何の意味があるんだろう。
もちろん、この家屋を修理して使うことができるようにするためにはそうとうなお金がかかると思うし、修理するための名分も立てにくいというのはしようがない理由だけれども。
文献学者の金時徳氏は、著書「ソウル宣言」の中で「日本が滅亡させた朝鮮王朝を浮きあがらせて、朝鮮王室を韓民族・韓国市民と同一視しようとする動きが21世紀に入って活発化しています」と書いている。
そして、今は共和制である大韓民国であるにもかかわらず、今あるものを壊して、滅び去った朝鮮王朝の建物を復元するのはなぜかと疑問を投げかける。
その内容に共感を覚えた矢先にこの知らせ。なんなんだ、これは。最近は統治時代の建物も残されてリノベカフェになったりしているけれど、朝鮮時代礼賛はまだまだ現在進行形で続いているということか。


さて、整備されているという「高宗の道」、アメリカ大使官邸の後ろを通って旧・ロシア公使館に抜ける道が整備されていた。
道の両側に伝統様式の塀が立てられ、地面はセメントで固められて、「観光客を迎える準備」は万全といったところか。

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それにしても、高宗が俄館播遷の時に通った道は謎のままと聞いており、ロシア公使館の後ろにある地下通路を通ったという話もあるが、今回整備された道は旧・公使館の建物から少し離れたところに出ている。しっかりとした時代考証は終わっているんだろうか。もしはっきりしていないとしたら、はっきりとしていない旨を伝えることも必要なのではないだろうか。

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と、いろんなところで疑問を感じた訪問だった。
また見に来て、最後を見届けよう。
公開は8月末まで。入場時間は9時から18時。予約は不要。

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by matchino | 2018-08-09 20:29 | 建築 | Comments(0)

京義中央線の終点、文山駅を訪ねる その2

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京義中央線の終点を訪ねる文山行きの続き。

文山駅の周りに何があるのか、五日市が立つという情報だけを手に駅を降り立った。

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駅前の通りから、人が歩いて来る方向へ向かう。軍の部隊が近くにあるのか迷彩服のお兄さんとよくすれ違った。駅前の通りにも階級章やら軍関係の店が多い。

少し行くと音楽が聞こえてきた。五日市の方向は合っていたらしい。
それにしても、期待したよりも面白そうな町だ。といっても特別な何かがあるわけではなく、私が好きな古ぼけた建物があるだけなんだが。

まず最初に目に入ったのは、チョンド・ファミリーコアというショッピングセンターの上に建てられたチョンド・ファミリーマンション。

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上と下でデザインがはっきりと分かれているのもいい。名前や形式からして清凉里駅前にある現代コアと同じコンセプトなんだろうか。

テントが並ぶ市場まで来ると、他の建物群が目に入った。古ぼけ方から見て1970〜80年代だろうか。あれを撮らずしては帰れぬということで、妻に「後で電話する」と言い残してアパートを撮りに走った。

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五日市のテントが並ぶ通り沿いにアパート団地があった。7棟のアパートが2列に並んでいるが、古ぼけ加減がほんとうにいい。アパートの側面には、韓国住宅公社のマーク。文山住公アパートで、後で調べたところによると、1980年築。


その隣にも古いアパート。こちらは1、2階が店舗となっているもので、側面に「文山複合商街アパート」と書かれていた。1990年築。


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このブログで最近よく言及する建築家のファン・ドゥジン氏によると、単独型の商街アパートは1980年には絶滅したということなので、1970年代に多く建てられた「商街アパート」とは違う概念なんだろうか?
これも古ぼけ方がすばらしくいい。

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裏にはむき出しになった電気関係の施設。大丈夫なんだろうかという心配よりは、「絵になるなあ」という思いが先立ってしまう。

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さらにその隣にはもっと大規模な住商複合施設。2階建の中央市場の上に大規模なアパートが載っている。
人通りの多い場所にあるため、住商複合になるのは当然なのだけれど、韓国の住宅の歴史と合わせて整理してみたいな。

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ここから少し行ったところには繁華街があった。そして繁華街の路地に入り込むと夜専用の街。

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さらに入ると古い住宅街に出たが、再開発地域になっているらしく、すでに空き家になっているところが多く見られ、街の雰囲気も閑散としている。それでもまだ残っている人は多いようで、再開発反対の旗もかかっていた。

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文山、まったく下調べもなく歩いてみたけれど、いろんなものが見えて面白い街歩きだった。もっと調べて行ったら見えてくるものがさらに増えてくるんだろうけれど、妻の話によると五日市が期待したほどでなかったらしく、再訪はないかも知れない。もしかしたら、非武装地帯に行くとかいいだすかも知れないけど。そういう唐突さが楽しいのだ。

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by matchino | 2018-08-04 22:46 | 建築 | Comments(0)

京義中央線の終点、文山駅を訪ねる その1

文山。ソウル地下鉄の京義中央線の西側の終点。その駅の近くに五日市が立つということで、家族みんなで行くことになった。私が住む九里は京義中央線の比較的東の方にあたり、ほぼ2時間にわたる電車の旅だ。

龍山までは何度も行っているが、それから西の方は数回しか行ったことがないのでとても新鮮。

前から気になっていたDMC駅、水色駅は列車が集まるところで、景色が変わる。草生した何本もの線路の上に貨物列車が並び、ところどころに鉄道関係の車庫の古ぼけた屋根が見える。そしてその向こうにはキレイなオフィスビル。なんともいい風景!今度は降りて写真を撮ってこよう。

水色駅までは市街地だったが、水色駅を過ぎた途端に一気に田舎の風景に一転する。畑もあるけれど、田園風景というよりは放置された土地という雰囲気。といってもここはまだソウル市内。もう一つのソウルの姿を見て驚いた。

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その後も、変電施設があったり、また町が現れたりと、車窓を眺めていると飽きない。
畑がずっと続く所には大きな鉄塔が立っている。

そして少し行くと韓国地域暖房公社があって、何本もの煙突が並んでいる。

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鉄塔といい、煙突といい、とても気に入ったのでまた今度写真を撮りに来よう。

そしてついに文山駅に到着した。
さて、文山駅の周辺には何があるのか⁉︎
次回に続く!

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by matchino | 2018-08-03 22:56 | 建築 | Comments(0)

ソウルの暗渠・蔓草川の話

蔓草川は流れる。
暗闇の中を。
都市の下を。

なぜか。それは暗渠になっているから。

韓国では暗渠化することを「覆蓋(ポッケ)」といい、暗渠を「覆蓋川(ポッケチョン)」という。
ソウルには無数の暗渠があるというが、その中でもいろんなストーリーを持った暗渠の代表は蔓草川(マンチョチョン)だ。
たとえば、西小門アパートが蔓草川の上に建てられたアパートだったり、霊川市場の下を流れていたり、その支流が米軍基地の中を暗渠化されないままに流れていたり。数年前には「漢江の怪物」が潜んでいたり。日本統治時代には「旭川」と呼ばれた。
鞍山と仁旺山の間にある毋岳峠(ムアクジェ)から流れる蔓草川は、ほとんど暗渠化されているが、三角地の付近で少し顔を出し、また地下にもぐって漢江に注いでいる。

昔の地図を見ると川の姿は残っているが、いつ暗渠化されたのかということが気になった。
おそらく何回にも分けて暗渠化されたのだろうが、なんとか調べる方法はないものかと思っていた。

そこで思いついたのが、ソウルの航空写真。
ソウル航空写真サービス(http://aerogis.seoul.go.kr/)という神のようなサイトに1972年から現在までの航空写真がアーカイブされているのだ。

まず、現在、蔓草川が暗渠となっていない部分を探してみた。
三角地の近くにあると聞いていたからだ。

あったあった。

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でも、ここは簡単に見に行ける場所じゃないな。
どこに行ったら見られるだろう。

次に見たのが1972年。
蔓草川の上に建てられた西小門アパートの使用承認が下りたのが1971年なので、果たしてほかの所がどうなっているのかが気になった。

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西小門アパートの向かい、すぐ上流の部分はまだ暗渠になっていない!
白黒ではっきりとは分からないけれど、橋があることから、暗渠になっていないことは間違いないだろう。

で、結局他のところには開いているところは見つからなかった。

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でも、現在も開いている部分の脇は、覆蓋工事が進行中のようだ。
これはもしかしたら、丁寧に見ていくと何かの手がかりが得られるかもしれない。
それから、この後、最後に残った開いた部分がいつ蓋をされてしまうのか、以前にはいつ蓋がされたのか、気になる。
また時間ができたら調べてみよう。

…と思っていたら、建築家であるファン・ドゥジン氏の著作「最も都市的な生活」には、1962年から1977年に暗渠化されたとあった。
まあ、こうして少しずつ謎解きしていく感じが楽しいのだ。


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by matchino | 2018-08-02 21:49 | 街歩き | Comments(0)