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毋岳峠の向こうにある世界と鞍山マンション

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あの山の向こうには何があるんだろう。
峠というのはそういう思いを抱かせるものなんだろうか。
ここ数年の私にとって、そんな峠は、独立門から鞍山と仁王山の間を通る毋岳チェ(峠)だった。
会社から近いので、独立門は何度も訪ねていたが、今まで毋岳峠は越えたことがなく、いつかは越えたいと思っていたのだ。
その機会がやってきたのは、建築家ファン・ドゥジン先生の著書「最も都市的な生き方」を読んで、三つの古いアパートが毋岳峠の向こうにあることを知った日のことだった。

地下鉄3号線の独立門駅で降りて、毋岳峠に向かう。道路の中央にあるバスの停留所から毋岳峠を撮影。

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隣にあったビルも気になる。

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峠を越える前に、道路の向かいにあったビル。

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崖に面して建てられているんだろうか。右側に付いている家とは最上階は繋がっているように見える。もしかして裏にも出入り口が?

とうとう毋岳峠を超えた! 道の向かいに「毋岳峠」の碑が見える。

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道路の向かい側にある山は鞍山。だが、少し高い位置からでないと鞍山の姿がまともに見えないくらい、アパートなどのビルが建ち並んでいる。

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しばらく歩くと毋岳チェ駅に到着。
もうそろそろ鞍山マンションが見えてくるぞと思っていると、突然目の前に現れたのが、再開発地域。引き寄せられるように足を向けると、平屋の古い家が並んでいる向こうに鞍山マンションがたたずんでいた!

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鞍山マンションは、大通りから一本脇に入った狭い路地に面している。マンションの向かって右側から近づくと、マンションの脇に銭湯の煙突があるのが分かった。

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屋上には「沐浴湯(銭湯)」とある。なんと、1970年代に建てられたアパートに銭湯があるとは!
でも、ファン先生の本によると、建てられた当時は住宅としての機能のみだったという。それが、後のなって1階が商店などに用途変更がなされたという。その時に銭湯もつくられたのでは、ということだった。でも銭湯の煙突も後から設置されたのか? これはもう少し研究する余地がありそうだぞ。

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銭湯の中はどんなんだろう。入ってみたいな。営業しているのかどうか分からないけど。


マンションの角には、「注入口」と書いたプレート。その横には上を向いたパイプ。ここに「注入」するんだろうけれど、何を注入するんだろう?

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正面を横切って角まで来ると、隣にはもう一つのアパート群があった。壁には「仁王」の文字。これが仁王アパートか。これも1968年に竣工した有名な古アパートだという。それにしても並び方がすごい。言葉で表現しにくいが、立て続けに現れるアパートに驚きを禁じ得なかった。

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さて、鞍山マンションの角を曲がると、鞍山マンションの入り口が見えた。中には警備室が見え、警備員のおじさんの姿。中に入るのは憚られたので入らなかったが、「最も都市的な生き方」によると台形の中庭があり、そして、屋上には菜園があるという。ぜひ見てみたいな…。

鞍山マンションと仁王アパートの間を過ぎると、またもう一つのアパート団地。今度は「仁王宮アパート」。「宮」という名前は、ほかのアパートとの差別化を図るための当時流行りの方法だけれど、看板周りのごちゃごちゃした感じが夜の店のような雰囲気を感じさせる。

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いやあ、ほんとにこんな所があるとは想像だにしなかった! この三つのアパート団地の織りなす空間感! まさにワンダーランドに足を踏み入れてしまったかのようだ。
毋岳峠の向こうから漂ってくる妖気はこれだったのか!

アパート群を抜けると、正面に見えた邸宅。西洋の切妻屋根の家にあこがれて建てた、いわゆる「フランス住宅」だけれど、正面がガラス張りになっていたり、ちょっと変わった雰囲気。そしてあの煙突に付いている円錐形は何だろう。まさにマッドサイエンティストの研究所のような!

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仁王アパートの表側に回ってきた。
と思ったら、大粒の雨がひと雫! 久しぶりの夕立が来そうだ。

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最後に撮ったその向かいの風景。

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大通り沿いの商街ビルと、その後ろの階段式のアパート、そして背後には建設中の高層アパート。これがこの町の持つ怪しさを語っているかのようだ。これはまだ序の口よ、と。

夕立は、新参者に対するこの町の警戒心の現れか、あるいは怪しさを際立たせるための小粋な演出か。どちらにしろ、近いうちにもう一度訪れることになるだろう。

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by matchino | 2018-08-19 12:46 | 建築 | Comments(0)

8月中の限定公開! 旧・朝鮮銀行重役社宅

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韓国古建築散歩のりうめいさんからオファー。
「高宗の道旧朝鮮銀行社宅」を見に行こうと。

なになに? 高宗の道といったら、俄館播遷の時に高宗がロシア公使館に向かった道のことだろうけれど、それと朝鮮銀行社宅というのがつながらなくて戸惑った。
で、詳細記事を教えてくれたので読んでみると、アメリカ大使官邸の裏を、俄館播遷の時に高宗の通った道のりを整備して「高宗の道」として試験的に公開するということ。そして、昔は徳寿宮の領域で、璿源殿(ソノンジョン)などの建物が建っていたけれど、日本統治時代に解体されてしまったものを復元するという。
そこまではよかった。問題は、統治時代に建てられた旧・朝鮮銀行社宅を解体する前に一般公開する、ということ。こんなところに社宅があったという事実にも驚いたが、それが間もなく解体されてしまうという事実に驚きと悲しみを感じずにはいられなかった。
まるで、生き別れた兄弟が今も生きていることが分かったものの、不治の病に侵されていて余命いくばくもないという事実を知った、ドラマの主人公のような気持ちといったらいいか。
あるいは「いい知らせと悪い知らせがある」的なシチュエーションか。

とにかく行ってみなくては。
時間ができたので、りうめいさんとはまた行くとして、とりあえず一人で行ってみることにした。
ソウル市立美術館の前のロータリーからアメリカ大使官邸の前を通っていくと、大使官邸の塀の終わりに黒い門が開いていた。

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最近になって整備されたような道があり、フェンスが立てられていた。フェンスにはこの周辺の昔の写真と、例の社宅の写真。

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そして、フェンスの上には社宅の屋根と煙突が顔を出していた。

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フェンスの中には…
おおおお!
立派な二階建て家屋!

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朝鮮貯蓄銀行の重役の社宅とあって、そうとう立派な家だ。
日本家屋的な要素を探してみると、窓の中に欄間が見えたり、戸袋があったり。

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そして1階の前にはガラス張りのテラス。増築したようだけれど、これは当時のものだろうか、それとも米大使官邸として使っていた時のものだろうか。

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1938年に建てられたということだが、思ったよりも、古そうな感じがしないのは、壁が補修されているためだろうか。
そのほかにも窓に付けられている手すりが西洋的な感じだったりと、折衷的な要素も見られる。
それにしても、柵が立てられていて、中に入れないのが残念だ、荒れ放題で危険なためだろうが、解体する前に写真をしっかり残してほしいな。

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社宅は一棟だけだと思ったら、その後ろにはもう一棟。同じくらいの規模の2階建日本家屋。サンルームがない代わりに立派なポーチのついた玄関がある。やはり和洋折衷の様式が見られる。

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この二つの家屋はそれぞれどんな人が住んでいたんだろう。今は見る影もないが、庭もきれいに整えられていたのではないだろうか。それがいつこんなに荒れ果てた姿になってしまったのだろうか。

アメリカ大使官邸側は高くなっていて、整備された「高宗の道」は数メートル高い位置にある。そして、社宅側は急な傾斜になっているのだが、手前の家屋の前に一つ、奥の家屋の前には二つの横穴式の地下室がつくられていた。

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これはもしかして、防空壕? 入り口と内部はコンクリートで壁が作られている。何かの貯蔵庫かもしれないけれど、建てられた時期的にいって、戦争に備えてつくられた防空壕ではないだろうか。


それにしても、この家屋が解体されてしまうのは惜しいことだ。残っている貴重な建物を解体して、ハリボテの璿源殿を建てることに何の意味があるんだろう。
もちろん、この家屋を修理して使うことができるようにするためにはそうとうなお金がかかると思うし、修理するための名分も立てにくいというのはしようがない理由だけれども。
文献学者の金時徳氏は、著書「ソウル宣言」の中で「日本が滅亡させた朝鮮王朝を浮きあがらせて、朝鮮王室を韓民族・韓国市民と同一視しようとする動きが21世紀に入って活発化しています」と書いている。
そして、今は共和制である大韓民国であるにもかかわらず、今あるものを壊して、滅び去った朝鮮王朝の建物を復元するのはなぜかと疑問を投げかける。
その内容に共感を覚えた矢先にこの知らせ。なんなんだ、これは。最近は統治時代の建物も残されてリノベカフェになったりしているけれど、朝鮮時代礼賛はまだまだ現在進行形で続いているということか。


さて、整備されているという「高宗の道」、アメリカ大使官邸の後ろを通って旧・ロシア公使館に抜ける道が整備されていた。
道の両側に伝統様式の塀が立てられ、地面はセメントで固められて、「観光客を迎える準備」は万全といったところか。

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それにしても、高宗が俄館播遷の時に通った道は謎のままと聞いており、ロシア公使館の後ろにある地下通路を通ったという話もあるが、今回整備された道は旧・公使館の建物から少し離れたところに出ている。しっかりとした時代考証は終わっているんだろうか。もしはっきりしていないとしたら、はっきりとしていない旨を伝えることも必要なのではないだろうか。

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と、いろんなところで疑問を感じた訪問だった。
また見に来て、最後を見届けよう。
公開は8月末まで。入場時間は9時から18時。予約は不要。

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by matchino | 2018-08-09 20:29 | 建築 | Comments(0)

京義中央線の終点、文山駅を訪ねる その2

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京義中央線の終点を訪ねる文山行きの続き。

文山駅の周りに何があるのか、五日市が立つという情報だけを手に駅を降り立った。

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駅前の通りから、人が歩いて来る方向へ向かう。軍の部隊が近くにあるのか迷彩服のお兄さんとよくすれ違った。駅前の通りにも階級章やら軍関係の店が多い。

少し行くと音楽が聞こえてきた。五日市の方向は合っていたらしい。
それにしても、期待したよりも面白そうな町だ。といっても特別な何かがあるわけではなく、私が好きな古ぼけた建物があるだけなんだが。

まず最初に目に入ったのは、チョンド・ファミリーコアというショッピングセンターの上に建てられたチョンド・ファミリーマンション。

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上と下でデザインがはっきりと分かれているのもいい。名前や形式からして清凉里駅前にある現代コアと同じコンセプトなんだろうか。

テントが並ぶ市場まで来ると、他の建物群が目に入った。古ぼけ方から見て1970〜80年代だろうか。あれを撮らずしては帰れぬということで、妻に「後で電話する」と言い残してアパートを撮りに走った。

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五日市のテントが並ぶ通り沿いにアパート団地があった。7棟のアパートが2列に並んでいるが、古ぼけ加減がほんとうにいい。アパートの側面には、韓国住宅公社のマーク。文山住公アパートで、後で調べたところによると、1980年築。


その隣にも古いアパート。こちらは1、2階が店舗となっているもので、側面に「文山複合商街アパート」と書かれていた。1990年築。


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このブログで最近よく言及する建築家のファン・ドゥジン氏によると、単独型の商街アパートは1980年には絶滅したということなので、1970年代に多く建てられた「商街アパート」とは違う概念なんだろうか?
これも古ぼけ方がすばらしくいい。

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裏にはむき出しになった電気関係の施設。大丈夫なんだろうかという心配よりは、「絵になるなあ」という思いが先立ってしまう。

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さらにその隣にはもっと大規模な住商複合施設。2階建の中央市場の上に大規模なアパートが載っている。
人通りの多い場所にあるため、住商複合になるのは当然なのだけれど、韓国の住宅の歴史と合わせて整理してみたいな。

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ここから少し行ったところには繁華街があった。そして繁華街の路地に入り込むと夜専用の街。

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さらに入ると古い住宅街に出たが、再開発地域になっているらしく、すでに空き家になっているところが多く見られ、街の雰囲気も閑散としている。それでもまだ残っている人は多いようで、再開発反対の旗もかかっていた。

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文山、まったく下調べもなく歩いてみたけれど、いろんなものが見えて面白い街歩きだった。もっと調べて行ったら見えてくるものがさらに増えてくるんだろうけれど、妻の話によると五日市が期待したほどでなかったらしく、再訪はないかも知れない。もしかしたら、非武装地帯に行くとかいいだすかも知れないけど。そういう唐突さが楽しいのだ。

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by matchino | 2018-08-04 22:46 | 建築 | Comments(0)

京義中央線の終点、文山駅を訪ねる その1

文山。ソウル地下鉄の京義中央線の西側の終点。その駅の近くに五日市が立つということで、家族みんなで行くことになった。私が住む九里は京義中央線の比較的東の方にあたり、ほぼ2時間にわたる電車の旅だ。

龍山までは何度も行っているが、それから西の方は数回しか行ったことがないのでとても新鮮。

前から気になっていたDMC駅、水色駅は列車が集まるところで、景色が変わる。草生した何本もの線路の上に貨物列車が並び、ところどころに鉄道関係の車庫の古ぼけた屋根が見える。そしてその向こうにはキレイなオフィスビル。なんともいい風景!今度は降りて写真を撮ってこよう。

水色駅までは市街地だったが、水色駅を過ぎた途端に一気に田舎の風景に一転する。畑もあるけれど、田園風景というよりは放置された土地という雰囲気。といってもここはまだソウル市内。もう一つのソウルの姿を見て驚いた。

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その後も、変電施設があったり、また町が現れたりと、車窓を眺めていると飽きない。
畑がずっと続く所には大きな鉄塔が立っている。

そして少し行くと韓国地域暖房公社があって、何本もの煙突が並んでいる。

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鉄塔といい、煙突といい、とても気に入ったのでまた今度写真を撮りに来よう。

そしてついに文山駅に到着した。
さて、文山駅の周辺には何があるのか⁉︎
次回に続く!

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by matchino | 2018-08-03 22:56 | 建築 | Comments(0)

講演「北韓の都市と建築」に驚愕!

北朝鮮の建築ってどんなんだろう。
数年前にベネチアビエンナーレ建築展の帰国展示で見たことがあるが、北における建築の流れについては考えたこともなかった。
そんな中で、「北韓の都市と建築」についての講演があるということで、さっそく参加してきた。

講義の開始時間には間に合わず、今回聴いたのは第2講「社会主義建築と金正恩の建築、その間」。
講演を担当するのは、なんと脱北者。「前・朝鮮労働党財政経理部39号室大成総局」という肩書きだった。朝鮮労働党の出身者ということで、北関係のニュースに出てくるような人を想像したが、30歳前後の韓国の普通の会社員を思わせる若い雰囲気で驚いた。会場からも驚きの声が上がっていた。

講義は北朝鮮の代表的な建築物の写真を見せながら説明を加える形で進められたのだが、印象に残った内容を書くと

・北の建築は100年後を考えて計画される。
・多くの建築物の名称に「人民」という言葉が入るが、人民のことを考えて建てたものはなく、最高指導者の気に入るものしか建てられない。

そして、彼が終始主張していたのは、「南の建築家たちは、統一されたら北でどんな建築を建てようかと思っているかもしれないが、北の人たちが望む建築を設計してほしい」ということだった。
彼の話によると、北の建築は、北の人民がその建物の形を見たらすぐに何の建物か分かる形をしているのだという。
たとえば、アイスリンクは毛糸の帽子の形だったり、学校は両手を広げて子供たちを迎える人の形だったり、科学館は原子の形をしていたり。
それに比べて南の建築は何の建物か分からないというのだ。南が北に建てた競技場もあるけれど、「美しくないので不評」なんだという。

後で質疑応答の時間に、建築家のファン・ドゥジン氏が、南でもかつてそのような試みがなされたことを説明し、それがあまりにも短絡的すぎると指摘した。それでも、ファン建築家は、それを北の民の率直な意見として受け止める必要についても強調していた。

講義を聞いていて思ったのは、南の人と北の人では建築に対する考え方がまったく違うということだった。
そして、それ以上に強烈に印象に残ったのは、その北出身の人の主張の強さ。「今のような南側のアプローチは間違っていますよ」といわんばかりだ。「最後に一言」といわれて「議論ばかりしている時ではありません。行動を起こすことが大事です」と訴え出す始末。そして、話をする目的意識がはっきりしているのを感じられる。頭もよさそうだし、訓練されているようにも感じる。これにはほんとうに驚いた。

このように主張が強いのは、彼自身の性格なのか、北の人たちがみんなそうなのか、いろんな修羅場を経験してきて切迫感を持っているのか、それは私には分からない。
それでも確かなことは、統一に向けての歯車が動き出した今、このような人々が隣人となることを想定して準備をしなければならないということだ。

うーむ、単なる建築に対する関心から来たのに、こんなに考えるようになるとは思ってもいなかった。
このような場を持とうと考え、実現した関係者の方々に敬意を表したい。

これから12月まで6回にわたって講演が行われるという。また行かねば。

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by matchino | 2018-07-25 22:48 | 建築 | Comments(0)

〈康津旅行〉切妻屋根の極楽宝殿が美しい無為寺

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康津旅行、街歩きの次に書きたいことといえば、無為寺。
寺誌によると、西暦617年に創建され、それから何度も寺の名前が変わった末に現在の「無為寺」になったのだという。
617年は新羅の眞平王39年と寺誌には書かれているというが、ここはその時代には百済の地。なぜ新羅の年号が書いてあっただろう?

さて、無為寺は「国宝13号がある」という情報だけで訪問した。
時間も限られている中、国宝13号を探してみた。

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一柱門、四天王門を通過して、普済閣の下をくぐる。

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他の門は普通にくぐるけれど、普済閣の下は階段を登りながらくぐる形になっていて、ここを通り抜けながらだんだんと見えてくる正面の殿閣と、通り抜けた途端に開ける視野が、感動的な視覚的な装置となっている。

そうして目の前に現れたのは、相当古そうな極楽宝殿。

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韓国の多くの寺が丹青を何度も塗り直してきれいになっていたりするけれど、ここは丹青がはげるままにしてあり、古さをひときわ感じさせる。

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ひと目でこれが国宝ではないかと感じさせたが、解説士に確認すると、これが国宝13号の極楽宝殿だということだった。
切妻屋根なので、以前訪ねた修徳寺と同じ高麗時代のものかと思ったら、朝鮮時代の世宗の時に建てられたものだという。
以前読んだ韓屋に関する本には、切妻屋根が最も古い屋根のタイプだとあったので、時代が関係するのだと思ったのだ。
でも、写真をFBに上げたところ、知り合いのおじいさんが「百済風の屋根」だというコメントをくださった。なるほど、百済なのか。時代的には朝鮮時代だけれど、もと百済の土地だったため、その伝統が残っていたのかもしれないな。

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中を簡単に見てから、極楽宝殿の脇に回ってみた。

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壁土の色なんだろうか、鮮やかな黄色!

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そして、壁に露出している柱や栱包が美しい。八作屋根(入母屋)だったらあり得ない光景に、しばらく見とれた。

国宝のほかにも宝物があって、隣の展示館にあるということだったけれど、時間がなくて見られず。
後でこれを書いていて分かったのが、韓国で文化財に関する本といったらこれ、という本「私の文化遺産踏査記」で最初に紹介されたのが康津で、ここ無為寺も紹介されているらしい。ここの部分だけでも読んできたらよかったな。

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by matchino | 2018-07-18 22:19 | 建築 | Comments(0)

〈康津旅行〉康津邑の市街を歩く

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康津、全羅南道で私が初めて足を踏み入れる場所となった。
ソウルからバスで5時間ほどかかる康津を訪ねるには物足りない1泊2日という日程で訪れたが、思いもよらない楽しく興味深い旅となった。
しばらく康津についての投稿をするが、書きたいところから書くのをご了承願いたい。

康津旅行でもっとも楽しかったのは駕牛島のトレッキングとクルージングだが、もっとも書きたくてうずうずしているのは、康津市内の街歩き。
田舎街ならではの風情と、なんといっても日本統治時代の痕跡が残っているのがとても興味深い。

康津の地理を簡単に説明すると、康津湾を中心に鋭角の山形を形成しており、湾の真ん中に駕牛島があるため、Aの字に似ているということで「Aへの招待」というキャッチフレーズがあったりする。
今回歩いた康津の市街はAのてっぺんあたりにある。

歩いたきっかけは、康津をすでに5回も訪れているという「韓国古建築散歩」のりうめいさん。彼女が私に「マチノさんにぜひ見せたいものがある」といって案内してくれたのだ。

その一番目は「天父教」の教会。プロテスタントから派生した一派だったが、今ではプロテスタントと断絶を宣言して完全な別の宗教となっているという。
この教会の特徴の一つが、十字架を掲げず、ハトの像を掲げていること。ソウル駅の近くにもこの教会の建物があるが、四角い塔の上に、月桂樹を思わせる輪とハトが乗っている。そしてそのスタイルがどこにいってもあるようで、浦項でも見たことがある。
それがここ、康津にもあるというのだ。

康津郡庁を少し東に行ったところから目印の四角いマスとハトが見えた。あれだ!

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ソウルとは違って、塔がすっかり蔦に覆われており、ハトがなければ天父教のものとは分からない。門は固く閉ざされており、使われていないような雰囲気だった。
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この教会自体、かっこいいから好きなんだが、蔦が絡まって廃墟となった感じもいい。

りうめいさんによると、まだまだ見るべきものはあるという。
その一つ、古い倉庫。

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キャノピーを支える部分が丸くなっていてオシャレだな。
いつ頃のものか気になる。

この並びにもう一つあったのが、この立派な鬼瓦の家。

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この後ろの方にある瓦屋根もこの家の続きだろう。けっこうな規模だ。
おそらく日本統治時代に建てられたこの家、どんな人が住んでいたんだろう。

鬼瓦の家の後ろは幹線道路。といっても一車線ずつしかない。
道の両側に商店が並んでいるが、その商店の屋根を見ていくと、統治時代に建てられたものと思わせるものがたくさん。

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というより、この並び、ほとんどが日本式の商店建築で、看板をつけて店の中を改装しただけだ。
多くの商店が平屋だけれど、ところどころにある二階建ての二階は当時の姿を残している。
二階はおそらく倉庫として使っているんだろうけれど、中がどうなっているのか見てみたいな。

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おそらくこの道が昔のメインストリートだったんだろう。ずっと続くこの通りは昔もほとんど変わりがないだろうなと思う。

もう一度、郡庁の方向へ。
先ほどの幹線道路と直角に交わって北に伸びる道の突き当たりには警察署。その隣が郡庁。
道の左側には郵便局。おそらく統治時代に置かれたこの三つの機関の場所は変わっていないだろう。
郵便局の向かいには、広い敷地に二階建の日本家屋っぽい家。ここは郡庁や警察署の幹部が住んでいた家かもしれない。

もしかしたら、この康津の市街は日本統治時代に区画整理されたのかも知れない。
幹線道路沿いが日本家屋が並んでいることからして、その可能性は高い。
山を背景にした郡庁、警察署を中心に格子状の街が造られたわけだ。
そうすると、山の中腹に神社があったかもしれない。郡庁の後ろかなと思って調べてみた。
なかなか出てこなかったが、あるブログに康津農高(全南生命科学高校)の辺りに神社があったということで、その跡を探しにいったが見つからなかった、という内容を見つけた。キム・ジョンレ作家の小説「アリラン」にその記述があるという。
もう少し調べてみると、キム・ジョンレ作家の作品ではあるけれど、小説「漢江」にある記述だということが分かった。両方とも有名な作品だから間違えたのだろうか。

とにかく、神社は郡庁の後ろではなく、郡庁から東に行った、中心街のはずれにあったのだろうということが分かった。

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でも、後から得た情報によると、郡庁の後ろには「忠魂塔」があったとのこと。やはり私の予想は間違っていなかったのだ!
忠魂塔が何なのかよく分からないけど。
と考えると神社についてもよく知らないな。勉強してみよう。

当時の街がどのような様子だったのか、もう少し歩いて探ってみたいな。遠いからなかなか行けないけれど、機会が来ることを願いたい。


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by matchino | 2018-07-15 16:14 | 建築 | Comments(0)

扶余のある給水塔

目の端に黒い影が見えた。

なにっ、この高さと大きさ、もしや給水塔!

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街路樹の後ろに隠れた影を確認すると、やはり給水塔だった。
一瞬目に入った影を見落とさないとは、我ながらなかなか腕を上げたものだ。

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扶余に取材に行った時、米の倉庫をリノベしたカフェ「G430」を出て帰ろうとした時のことだ。ターミナルの方向とは逆方向だったので、この給水塔を見つけたのは天の計らいか。

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大韓住宅公社が建てた扶余東南住公アパートにある給水塔。団地の一角の集会所らしい建物の裏に建っていた。
白い十字形の柱の上に円筒型のタンクが乗っており、円筒の外装はレンガ。コンクリートだけでない給水塔を見たのは初めてかな。
アパートは1986年に竣工したということなので、給水塔もその時のものだろう。

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いいな、扶余。地味ーに面白いものがたくさんある。
それにしても、最近、鉄道の駅にある給水塔は近代遺産として注目を浴びているのに、同じ給水塔なのに見向きをされないのはなぜだろう。比較的新しいからかな…? 30年じゃだめか…?

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by matchino | 2018-07-13 22:20 | 建築 | Comments(0)

龍山の新ランドマーク、アモーレパシフィック新社屋

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どこかで見た形だなあと思っていた。
龍山駅の前にできたアモーレパシフィックの新本社ビル。
で、何に似ていると思ったのかは後で。

去年の秋に三角地でマチノアルキをした時、丘の上にある教会から龍山駅方面を眺めた時に、白いルーバーが全体を覆う新しい建物を見つけた。それがアモーレパシフィックの本社ビルだった。遠くから見ただけでもそのかっこよさに惹かれたが、近代建築も見るべきものが多いのに、わざわざ見に行くつもりはなかったのだ。
ところが、かっこいい建築映像を撮る「キリンクリム」のキム・ジョンシンさんが誘ってくれて、そのビルで行われている建築展を見に行くことに。

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新龍山駅の2番出口から出ようとすると、地下からアモーレパシフィックのビルへ通路がつながっていた。
中に入ると、カフェやレストランが立ち並んでいる!ただの社屋かと思ったら、こんなにオープンな空間だったとは!

エスカレーターで1階へ。
3階まで吹き抜けの広いロビー。

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天井を見上げると、格子状になった窓から空が見える。そしてその窓がゆらゆらと。

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後で聞いたところによると、この上の中央に浅い池があるんだとか。ゆらゆら効果を出すために人意的に波を水面を揺らしているかもしれないな。

正面ゲート(といっても大通りに面しているというだけで、四方のゲートが同格かもしれないけれど)のすぐ隣に、アモーレパシフィックの建築展が行われている。

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デビッド・チッパーフィールドの設計によるこの本社ビルと、龍仁にある工場、烏山にある研究所のビルに関する展示で、それぞれの建築の写真や映像、建築家に対するインタビューなどで構成されている。その映像の全てを担当したのがキリンクリムだということ。あいかわらず建築と造景のよさを引き立てる映像はすばらしい。
展示は年末まで行われるということだったので、建築も合わせて一見の価値あり。

建築に関する展示はここだけだけれど、こことは別に美術館があるという。
なんでもサムソン美術館Leeumを超える美術館となる予定だという。
って、どんな作品が見られるんだろう。
ちらっと調べてみたら、入場料12000ウォン…。
むむむ…高いな…まあ、最近はこのくらいだけど。

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その他にも劇場があったり、いろいろな文化系のイベントが行われるらしい。この龍山の一等地にこれだけの空間を一般市民のための空間として提供するというのはさすがだな。
動線やピクトグラムによる独特な現在位置表示など、いろいろと気を遣っているところは多いというが、社員にとっては不便なところが多いとかいう話もあった。

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会社側としてもこの本社ビルを自慢したいらしく、建築ツアーも行われているらしいが、招待された知人の話によると一般人を対象にしたツアーは行われていないとのこと。残念。いつかやってくれることを期待しよう。

とりあえず入れる3階まで簡単に回ってみて思ったのは、動画で撮ったらかっこよさそうだなあということ。
次は動画に挑戦してみるかな。

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そうそう、冒頭に話した「何かに似ている」ということだけれど、「あ、これだな」と思ったのが、スターウォーズに出てくる「デス・スター」。
幾何学的な造形といい、巨大なスケール感といい、真ん中のくぼみといい、まさに「四角くなったデス・スター」。
…と思ったのだが、どうだろう…。んなことない…?

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夜もきれい…。

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by matchino | 2018-07-03 23:13 | 建築 | Comments(0)

感激の訪問! 駐韓アメリカ大使官邸


実のところ、それほど訪ねる価値があるとは思っていなかった。
駐韓アメリカ大使官邸の話だ。
でも、行って本当によかった。こんな貴重な機会が与えられるなんて!

アメリカ大使官邸があるのは、朝鮮時代末期に西欧諸国の公使館や領事館が多く建てられた地域である貞洞。
1882年に米韓修好条約が締結された後に公使館が設置された場所で、大使館は移転したが、大使官邸としてこの場所を使っている。
普段は高い塀に遮られ、警備員が常駐しているため、門の写真さえ撮ることができない場所だが、その鉄の門が開いた!

名簿のチェックをした後、どうしたらいいのかなとうろうろしていると、向こうから体格のよいアメリカ人が歩いてきた。なんとマーク・ナッパー代理大使!自ら案内してくださるなんて!
英語ができないのでどぎまぎしていると、流暢な日本語で挨拶。日本語も韓国語もベラベラなのだとか。とてもフレンドリーで、一気に好感がわいた。

門から入ってすぐのところにある旧・公使館の韓屋の脇を抜けて、その裏にある大使官邸のメインの建物であるハビブハウスへ。
韓屋様式ではありながら、相当な規模に驚いた。天井が高いだけでなく、奥行きもけっこうあって、家というよりは宮の建物のような印象を受けた。

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ハビブハウスが建てられたのは1974年のこと。それまでは、かつてこの土地を所有していた閔氏の家門の韓屋を何度も修理、改修して使っていたが、これ以上は修理が難しい状況になったため、建て直したのだ。
朝鮮時代末期、韓国に最初に建てられた西欧諸国の公使館や領事館は、アメリカ以外の国は西洋式の公館を建てたが、アメリカだけは韓屋をそのまま使ったのだ。そして、大使官邸を建て直すとき、当時のハビブ大使はアメリカ国務省の反対を押して韓屋スタイルの大使官邸を建てた。当時はハビブハウスという名称ではなかったが、後にグレッグ大使の働きかけによって「ハビブハウス」と呼ばれるようになったという。

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官邸の前の芝生広場で記念撮影をした後、いよいよハビブハウスの中へ。
ハビブハウスの平面はロの字型になっており、手前はレセプションホール、奥は大使の居住空間となっている。

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まず、レセプションホールの気持ちのよい空間。正面中央の煙突にはレンガでつくった装飾がある。これは「寧」の字で、もとの大使官邸の壁にあったものをそのまま復元したものだという。そういう昔のものを大事にする姿勢がいいな。
それにしても広い空間だ。建築に関する解説をしていただこうと呼んだ大学講師の先生によると、コンクリートで建てているために、中間に柱もなくこの広さが可能だというのだ。

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「韓屋の最高の職人の技術とアメリカの最新の建築技術が出会った建築」とハビブハウスについての話を聞いていたが、構造的には最新の建築技術、そして意匠的には韓屋を再現したということなのだろう。

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SNSに大使官邸の写真を上げると、ある韓国の建築家は、ハビブハウスを訪問したときに大きなインスピレーションを受けたというコメントを残してくれた。

その内容は、
  1. 韓屋は、手を伸ばせば両方の壁に届くような人間的なスケールの建築である必要はない。
  2. 韓屋の形式の中に現代の内容を入れることができる。
  3. 重要なのは韓屋の価値であって、韓屋それ自体ではない。
  4. 韓国人が韓屋をどう扱っていくべきか悩んでいる間にアメリカ人に先を越された。T T
とのことだった。

確かに、この官邸は「韓屋の表層だけを真似た」建築ではない。これはまさに韓屋であり、韓屋の美しさを感じる建物だ。
本当に美しく、ここちよい空間だった。

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韓国戦争の最中、北の軍にソウルが占領された後、仁川上陸作戦によってソウルを奪還したが、その時にアメリカ公使館を取り戻したときの記念すべき写真。

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大統領のためのベッドルーム。


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貴賓のためのベッドルーム。広くはないが、ベッドといい、部屋を囲む窓といい、ここで一晩でいいから泊まってみたいという素晴らしい空間。


もう一つ、もともと公使館の建物として使われ、現在は迎賓館として使われている韓屋を見学した。
こちらは19世紀に建てられたもので、これまで何度も改築をしてきたものだ。やはりアメリカ人の生活には不便なものだったわけだ。それでも天井の高さなどはそのまま維持されている。

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私たちがあちらこちらの部屋を見ているうちに、建築の先生は木材を一つひとつ見ていた。
「2004年に大々的な解体・修復作業を行ったと聞いたので、昔の木材がないかと見ていたんですが、ぜんぶ新しいものですね」と先生。
もともとの形式そのままに新しく建て直したというわけだ。

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その他にも、昔の写真と比較してみると、部屋自体を拡張していたり、縁側のような外に面した空間にガラス窓をつけて内部空間にしたり、軒を支える柱がなくなっていたりと、これまで行われた改修の内容が分かって面白い。そして、昔は柱を支えていた基台の石が残っているのも確認できた。

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私たちに与えられた時間は1時間。訪ねる前は「1時間も持つだろうか」と思ったが、あまりの心地よさに、官邸から出るのが惜しいほどだった。
何よりも、招待してくださった代理大使と、この訪問を実現してくださった皆さんに感謝したい。


おまけ
一緒に訪問した方たちが、それぞれのメディアに書いた訪問記




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by matchino | 2018-07-01 20:40 | 建築 | Comments(0)