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「川辺ホテル、3・1アパート」

昌信洞を歩いた日、いつもより少し足を伸ばして東廟の方まで歩いてみた。
東廟の周りの旧制市場という蚤の市を通り、清渓川沿いを歩いた。
そうして見つけた2階建の商店建築。

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よくは見なかったけれど、けっこう古そうで、とても気になった。
この辺りも歩いたら面白そうだなと思いながら、次回を期待してみた。

ところが、それからしばらくして、清渓川博物館の企画展示の告知が目に入った。

「川辺ホテル、3・1アパート」

3・1アパート? 金重業が設計した3・1ビルは知ってるけど、3・1アパートというのは知らないなあ。
それで、ネイバーの地図で調べてみると、なんとあの2階建の商店建築があった位置を指すではないか。
なるほど、あれはアパートだったのか!
で、調べてみると、もともとは7階建のアパートで、1、2階はもとから商店だったらしい。そして後になって3階以上の住居部分が撤去されたのだ。

さっそく展示を見に行ってきた。
展示室の入口で迎えてくれるのが、3・1アパートを描いた絵画。チョン・ジェホ作家は古いアパートを描くことで有名。

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3・1アパートが建てられたのは、3・1独立運動の50周年にあたる1969年。前述した3・1ビルや3・1路と共に建てられた。
その時代は、ソウルの人口があふれ、住宅問題を解決するために、「ブルドーザー」の異名をとる金玄玉ソウル市長の号令の下に、市民アパートが建てられた時代だった。3・1アパートもその一環で、7階建、24棟が建てられた。
またその時代は清渓川が暗渠化され、高架道路が建てられる時期でもあった。
しかし、臥牛アパートの崩壊と共に市民アパートに対して問題が提起され、老朽化による安全の問題によって1997年には市民アパートの整理計画が立てられた。高架道路も老朽化し、高架道路は2003年に、3・1アパートも2003年に「災難の危険による警戒区域」に指定された。
その後、24棟のうち清渓川の南側の12棟は再開発、北側の12棟は2階までを残して住居部分は撤去された。

ソウルのいろいろな古アパートの歴史を追っているけれど、3・1アパートについては知らなかったな。不覚。

この日は妻と一緒だったので、実際のアパートは見に行くことができなかったけれど、今度また行ってみよう。

清渓川博物館でのこの展示は6月30日まで。
チョン・ジェホ作家の作品も見ものだけれど、解体直前の3・1アパートの写真もいい。

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それから当時アパートに住んでいた人たちの生活の様子が見られるのも面白い。

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それにしても、こんな地味な展示を見に妻はよくついてきたなあ。付き合わせる方もアレだけど。

by matchino | 2019-05-04 18:37 | ソウル | Comments(0)
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