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〈康津旅行〉康津邑の市街を歩く

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康津、全羅南道で私が初めて足を踏み入れる場所となった。
ソウルからバスで5時間ほどかかる康津を訪ねるには物足りない1泊2日という日程で訪れたが、思いもよらない楽しく興味深い旅となった。
しばらく康津についての投稿をするが、書きたいところから書くのをご了承願いたい。

康津旅行でもっとも楽しかったのは駕牛島のトレッキングとクルージングだが、もっとも書きたくてうずうずしているのは、康津市内の街歩き。
田舎街ならではの風情と、なんといっても日本統治時代の痕跡が残っているのがとても興味深い。

康津の地理を簡単に説明すると、康津湾を中心に鋭角の山形を形成しており、湾の真ん中に駕牛島があるため、Aの字に似ているということで「Aへの招待」というキャッチフレーズがあったりする。
今回歩いた康津の市街はAのてっぺんあたりにある。

歩いたきっかけは、康津をすでに5回も訪れているという「韓国古建築散歩」のりうめいさん。彼女が私に「マチノさんにぜひ見せたいものがある」といって案内してくれたのだ。

その一番目は「天父教」の教会。プロテスタントから派生した一派だったが、今ではプロテスタントと断絶を宣言して完全な別の宗教となっているという。
この教会の特徴の一つが、十字架を掲げず、ハトの像を掲げていること。ソウル駅の近くにもこの教会の建物があるが、四角い塔の上に、月桂樹を思わせる輪とハトが乗っている。そしてそのスタイルがどこにいってもあるようで、浦項でも見たことがある。
それがここ、康津にもあるというのだ。

康津郡庁を少し東に行ったところから目印の四角いマスとハトが見えた。あれだ!

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ソウルとは違って、塔がすっかり蔦に覆われており、ハトがなければ天父教のものとは分からない。門は固く閉ざされており、使われていないような雰囲気だった。
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この教会自体、かっこいいから好きなんだが、蔦が絡まって廃墟となった感じもいい。

りうめいさんによると、まだまだ見るべきものはあるという。
その一つ、古い倉庫。

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キャノピーを支える部分が丸くなっていてオシャレだな。
いつ頃のものか気になる。

この並びにもう一つあったのが、この立派な鬼瓦の家。

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この後ろの方にある瓦屋根もこの家の続きだろう。けっこうな規模だ。
おそらく日本統治時代に建てられたこの家、どんな人が住んでいたんだろう。

鬼瓦の家の後ろは幹線道路。といっても一車線ずつしかない。
道の両側に商店が並んでいるが、その商店の屋根を見ていくと、統治時代に建てられたものと思わせるものがたくさん。

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というより、この並び、ほとんどが日本式の商店建築で、看板をつけて店の中を改装しただけだ。
多くの商店が平屋だけれど、ところどころにある二階建ての二階は当時の姿を残している。
二階はおそらく倉庫として使っているんだろうけれど、中がどうなっているのか見てみたいな。

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おそらくこの道が昔のメインストリートだったんだろう。ずっと続くこの通りは昔もほとんど変わりがないだろうなと思う。

もう一度、郡庁の方向へ。
先ほどの幹線道路と直角に交わって北に伸びる道の突き当たりには警察署。その隣が郡庁。
道の左側には郵便局。おそらく統治時代に置かれたこの三つの機関の場所は変わっていないだろう。
郵便局の向かいには、広い敷地に二階建の日本家屋っぽい家。ここは郡庁や警察署の幹部が住んでいた家かもしれない。

もしかしたら、この康津の市街は日本統治時代に区画整理されたのかも知れない。
幹線道路沿いが日本家屋が並んでいることからして、その可能性は高い。
山を背景にした郡庁、警察署を中心に格子状の街が造られたわけだ。
そうすると、山の中腹に神社があったかもしれない。郡庁の後ろかなと思って調べてみた。
なかなか出てこなかったが、あるブログに康津農高(全南生命科学高校)の辺りに神社があったということで、その跡を探しにいったが見つからなかった、という内容を見つけた。キム・ジョンレ作家の小説「アリラン」にその記述があるという。
もう少し調べてみると、キム・ジョンレ作家の作品ではあるけれど、小説「漢江」にある記述だということが分かった。両方とも有名な作品だから間違えたのだろうか。

とにかく、神社は郡庁の後ろではなく、郡庁から東に行った、中心街のはずれにあったのだろうということが分かった。

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でも、後から得た情報によると、郡庁の後ろには「忠魂塔」があったとのこと。やはり私の予想は間違っていなかったのだ!
忠魂塔が何なのかよく分からないけど。
と考えると神社についてもよく知らないな。勉強してみよう。

当時の街がどのような様子だったのか、もう少し歩いて探ってみたいな。遠いからなかなか行けないけれど、機会が来ることを願いたい。


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by matchino | 2018-07-15 16:14 | 建築 | Comments(0)
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