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童謡「半月」の作者、尹克栄の家を訪ねる

ソウル市から毎日送られてくるニュースレターがある。その中で一つ気になった記事があった。尹克栄(ユン・クギョン)氏が晩年を過ごした家屋が記念館になっていると。「日本式家屋」ということで興味を持ったのだが、有名な童謡作家ということで調べてみると、代表曲は「半月」、「ソルラル」、「魚獲り」など。
「あれ、半月ってどんな歌だっけ?」と思ったが、「ぷ〜るんは〜ぬるう〜な〜す〜」だ。うちの子供たちがよく歌っている、韓国で最も有名な童謡の一つだ。
「ソルラル」も「か〜っちかっち〜そるら〜るん」のおなじみの歌。題名を錯覚している人が多いな。

さて、去年新しく開通した地下鉄「牛耳新設線」に乗って「419民主墓地」駅へ。そこから歩いて10分ほど。

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切妻屋根が真ん中で少しずれた形になっている平屋の家屋で、外壁は石が貼られている。1960年代に建てられた日本式家屋だという説明。玄関があって、廊下で各部屋に通じるという構造が日本家屋の様式ということだった。

玄関を入ると、奥から「オソオセヨ(いらっしゃいませ)」という声がして、案内の女性が出てきた。自由に観覧してもいいけれど、案内をしてくれるというので、お願いした。
2〜3言会話しただけで、私が日本人だということが分かってしまった。(発音がまだまだだな…)記念館として開館してから3年間で訪ねた日本人は私で3組目だという。日本からわざわざ訪ねてきた老夫婦が初めだったと話してくれた。

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尹克栄さんが生まれたのは鍾路区だったが、今その家はなく、その後、韓国戦争の時に釜山に避難して戻ってきてからは、この水踰洞に住んだという。何度か家を転々とした後、この家を買って住み、ここで亡くなった。
その後も息子さんが住んでいたが、2013年にソウル市が買い取って記念館として使用している。

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作曲家として多くの童謡を残したが、「半月」や「ソルラル」などの作品は作詞と作曲の両方をしているんだという。

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「ソルラル」の額。これは尹氏が最初につくった童謡で、韓国で最初の創作童謡。それまでは「童謡」といわれる歌はなかったが、「ソルラル」から童謡というジャンルが始まった。

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「半月」の額。尹氏はこのように童謡を絵とともに額にして、多く残していたという。

尹氏は若い時から音楽の才能を認められ、日本人の先生の勧めによって東京に留学した。しかし、関東大震災の時に「井戸に毒を入れた」などの根も葉もない疑いがかけられて多くの韓国人が殺された時、尹氏も命からがら韓国に逃げ帰ったという。
帰国して1年後、もう一つの悲しみが彼を訪れた。早くに嫁いだ彼の姉が亡くなったというのだ。悲しみにくれていたある日、空を見上げると昼間の白い半月が空に浮かんでいた。彼はそれを見て、大海に浮かぶ小舟のようだと思い、姉を亡くした悲しみと亡国の民の悲しみを込めた歌をつくった。


「半月」

青空わたる  小舟には
桂木とウサギ ひとりずつ
帆柱も立てず 竿もなく
よくも行けるよ 西の国へ

天の川越えて 雲の国へ
雲の国過ぎたら どこへ行く
遠くでキラキラ 照らしてる
明星の灯台だ 舵をとれ

日本語の歌詞はこちらから

悲しみを歌いながらもそれだけで終わりたくないと、最後に希望を託した歌詞を付け加えたという。

とても落ち着く家で、胸にじいんと来る話が聞けたいい日だった。

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by matchino | 2018-01-29 21:43 | ソウル | Comments(0)
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