SeMA 2010「イメージの隙間」展を観てきた。
ソウル市立美術館で支援してきた韓国の若い作家を紹介する展示会だが、今回は「イメージの問題、すなわち視角性」に注目した作家を集めたという。 このうち幾人かは、去年、COEXで開催されたアートフェアに出品していた作家だった。 作品のうち、半分くらいは題名の横にその作品の説明があり、ドーセントがいなくても作家のメッセージなどが分かってよかった。 私が説明を読んだ中で、二人の作家が、韓国の龍山区で起こったデモ隊が警察と退治中に火災で死亡した事件に関して言及しており、この事件の国内での反響の大きさを知らされた。 いずれもマスコミの報道で接する「イメージ」について、私たちの感覚がどう変わってくるかということを作品で言及していた。 「報道」ということ、「情報」の意味の変容ということ、そして「国家」や「権力」ということについて言及している作品に多く接してきたが、今回はそういうメッセージと自分との関係について考えさせられた。 実際、そのような意見は、私にとってはリアリティーが薄い。私が生活してきた日本の社会は、政治について関心を持たなくても問題なく生きていけたために、そのようなリアリティーを持てなかったのかもしれない。 それに比べて、韓国では、軍事独裁政権を遠くない過去に体験し、今でも北と軍事的、政治的に対峙しているという現実を、今なお持っている。それがこのような問題意識を持つようにさせるのかもしれない。 この二人の作家のうち、ハ・テボムという作家の作品がさらに考えさせるものだった。 龍山区や9・11テロの惨事に関する題名がついた写真作品で、それぞれの惨事によって破壊された建物の写真だが、すべてが真っ白になっている。 どうやって撮ったのかと思ったら、ニュースなどでよく接する惨事の写真をもとに真っ白な模型をつくり、それを再び写真に撮った作品だという。CGにしてはリアルだと思っていたら、模型だったのだ。 「写真」というと、「虚構」であるという感覚がある。そして、CGが発達した今、あり得ないようなイメージはすべてCGではないかと思ってしまう。ところが、この作品は、手の込んだ模型だったのだ。しかし、それを模型として作品にするのではなく、もう一度、写真という「イメージ」に変換して作品にしている。最後まで一貫した「イメージ」に対する問題提起があるわけだ。 ある意味、思考の遊びのようにも感じられるけれど、「イメージ」という問題は「虚構」に関する問題ではなく、リアルな生活に密着した問題なのだということを再確認させられた。 平日は9時まで開いているし、無料だから、また行ってみるか…。
by matchino
| 2011-01-10 21:05
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