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徽慶洞の再開発地域を歩く

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ソウル建物年齢地図というサイトがあることを最近知った。ソウルのすべての建物の使用承認を得た年度を記載したというものすごい地図。それで気になっていた建物の年代を興奮しながら調べまくった。
そして、思いついたのが、古い家屋がある辺りを歩いてみようかと。

徽慶洞の古い家屋について昔書いたことがあったが、その反対側のあたりにも古い家がけっこう残っていることを最近発見して、歩いてみることにした。
地下鉄1号線の回基駅に着く前に電車の窓からだいたいの位置の目星を付ける。
が、解体作業用の幕が張られている!再開発されてしまうのか!

回基駅を出てしばらく歩くと、気になっていた連立住宅があった。年代は1980年。

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その向こうにも古そうな建物が見える。


そこから少し歩いていくと、空き家が並んでいた。やはり再開発の地域になっており、住民はすでに出ていたのだ。
古い一階建ての家屋がいくつもあった。こういう瓦屋根の家は1960年代のものらしい。

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すでに撤去された残骸の向こうに古い家屋が見える。

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その中で見つけたとんがり屋根の家。何の家だろうかと気になって前まで行ってみると、「荷居堂」という文字。巫堂の家なんだろうか。
とんがり屋根の中の窓も面白いが、その脇に書かれた「永存」が何を意味するのかと気になる。

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この屋根に気を取られて気付かなかったけれど、家に入る細い路地の両側の塀には絵が描かれていた。

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アングルの「泉」とか

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朝鮮戦争のときに空に現れたイエスの姿とか
(その上のはダリの描いたイエス?)

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虎とか。
元の絵が分かるものもあれば、分からないものもあって、不思議な感じだ。
どんな人が、何の目的で描いたんだろうか。まあ、ただの趣味なのかもしれないけれど。

さらに路地を回っていると、古い倉庫のような建物を見つけた。

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通りの表側に回ってみると、道路から少し奥まったところにこの建物の入口があった。
今も使われているようだ。

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写真を撮っていると、一人のおじさんが現れた。
「何かの工場なんですか?」と訊いてみると、
「そう。11の小さい工場が入ってるんだ」とおじさん。
「ここも再開発の地域なんですか?」
「いや、再開発はこの裏側だよ。この建物の2階が再開発の事務所」といって、隣のビルを指差した。
よかった。とりあえずこの建物は残りそうだ。
今度中を見せてもらおう。

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by matchino | 2017-06-18 12:19 | 街歩き | Comments(0)

中林洞・ホバクマウル

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最近、中林洞(チュンニムドン)がアツい。らしい。
来週(5月20日)にはソウル駅の高架道路が歩道としてオープンするし、聖ヨセフアパートがKBSの「ドキュメンタリー3日」という番組で紹介されたりしていた。

その日の放送内容はこちらから視聴できる。(会員登録が必要)

ちょっと調べたいこともあって、中林洞へ。
ソウル駅で降りて、いつものように文化駅ソウル284の前を通る。
そうすると、道を塞ぐ大量の靴!

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ソウル駅の高架道路のオープンに合わせたオブジェなんだろうか。
今思うと、近くに塩川橋の靴屋通りにちなんでのことかな。

その塩川橋に行ったら、解説板が立てられていた。
解説によると、塩川橋のいわれについて、「火薬を製造する焔硝庁(ヨムチョチョン)があったということで『ヨムチョチョン橋』といわれていたが、音が変わって『塩川橋(ヨムチョンギョ)』となった」とある。
以前、ネットで調べたときは、毋岳川(蔓草川)に架けられていた塩川橋という橋があったが、川が暗渠化したことで橋がなくなり、その名前を持ってきてつけたとあった。どれが本当なんだろうか。
今の塩川橋ができたのは鉄道が敷かれた後だから、なくなった以前の塩川橋は1900年以前にすでに暗渠になっていたところにあるはず。
それで地図を調べてみると、1908年の地図では、独立門のあたりから下流は暗渠になっていないので、以前の塩川橋は独立門より上流にあるはずだな。
どこにあった橋なんだか気になる…。

さて、塩川橋を渡って薬峴聖堂の前を通って聖ヨセフアパートへ。前から行きたかったカフェ「コーヒーパンアッカン」に寄ろうかと思ったけれど、残念ながら店じまい中で、次回に行くことに。

さあ、今回の目的の中林洞のタルトンネにやってきた。
以前、訪ねた時に気になっていた地域だけれど、最初に紹介した番組によると、「ホバクマウル」というらしい。
でも、ちかぢか再開発されるようで、ところどころに赤いスプレーでバツ印が付けられていた。

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路地に入っていくと、思いがけないバラのトンネル。
韓国では珍しい白バラだった。

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今まで注意してみたことはなかったけれど、つぼみにうっすらと薄紅色が指していた。
開いた花は真っ白なのに、あの紅色はどこに行ってしまうんだろう。

このブロックを回っていくとなかなか面白い。
カラフルなシートが窓に貼られた床屋。
外から見えないようになっているっていうことは、あの噂のいかがわしい床屋なんだろうか…?

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大通り側に出ると、資材を売る店。
茶房(タバン)的な看板がいい。けれど、閉店して久しいようだ。

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この並びにも撤去のバツ印が。なんとか残って欲しいけれど、難しいかな…。

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by matchino | 2017-05-14 22:15 | 街歩き | Comments(0)

益山・旧益沃水利組合事務所(現・益山文化財団)

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公州に行った前日、百済文化のもう一つの遺跡地、益山を訪ねた。
本当は益山の旧市街を歩き回りたかったけれど、時間がなくて帰り道にちょっとだけ近代建築を見てきた。
弥勒寺址の解説士に教えてもらったのが、益山文化財団として使われている建物。

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もともとは益沃水利組合の事務所として使われていた建物で、1930年に建てられたもの。後に全北農地改良組合の庁舎として使われた。

調べてみると、この水利組合というのは農業の灌漑や水害対策のための組合だということだけれど、韓国内では日本統治時代に行われた収奪のための団体として悪名が高いようだ。灌漑のためにダムを建設したりするのだけれど、農業用水を使うことに対して水税を取って小作農を苦しめたりと問題が多かったらしく、組合に対する反対運動も起こったという。

そんな水利組合の建物だから、韓国の人たちにとっては痛みの歴史が刻まれた場所といえる。
それでも建築的には価値が認められて、2005年には登録文化財に指定されている。

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レンガの外装で、1階は鉄筋コンクリート造、2階はレンガ造となっている。
そして、水色に塗装された屋根は2段階の傾斜があるマンサード屋根。屋根裏は倉庫として使われたらしい。
この屋根の中を見てみたかったけれど、事務所の建物なので入れないだろうなあ。
でも、文化財庁が行なった調査報告書があり、屋根裏の写真もあった。写真を見たらもっと入りたくなってしまったけど。

その隣りにあったレンガ造りの倉庫。

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レンガ造の建物もいいけれど、その右側にあった新庁舎もなかなかいい。
1975年に建てられたらしい。

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モダニズム的な直線とか、上の円形とか、後ろの煙突とか、萌え要素はたくさん。
もとは農地改良組合として使われていた時代の建物で、組合が場所を移してから放置されていたようだ。
そして今は芸術家のレジデンスとして使われているようだ。ここで展示も行なったらしく、痕迹が残っていた。

このあたりは益山の旧市街で、日本人もたくさん住んでいたらしい。少し歩いただけでも古びた日本家屋がところどころに見つけられる。

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ずっとこの辺りを歩き回りたかったけれど、次回に。益山、また行くぞ。





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by matchino | 2017-05-09 20:00 | 建築 | Comments(0)

公州、錦江の鉄橋を渡れ!

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「錦江の鉄橋を渡れ」
なんだか戦争映画のタイトルみたいだが、前回、公州を訪れた時に私に課せられたミッションだった。
しかし、冬で小さい娘を連れてだったので、そのときは果たせなかったミッションなのだ。
今回の取材が公山城だったので、バスターミナルから鉄橋を渡って歩いて行くことに。

この錦江鉄橋がつくられたのは、日本統治時代の1933年。当時、漢江以南では最も長い橋だったという。
1932年に忠清南道庁が公州から大田に移す代わりに架けられ、これによって公州は交通の要地となったわけだ。
ワーレントラス構造の上弦材をアーチ形状にした、当時としては珍しいものだという。

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昔は車道が2車線だったが、その横に大きな橋がつくられ、交通においては重要な橋ではなくなった。

そしてもう一つ、映像展示館の近くをふらついていて見つけたのがこの劇場。
韓国古建築散歩のりうめいさんが見つけていて、湖西劇場と似ているようで違うらしい形なので、どこにあるのかと思っていたところだった。
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今回、公山城を案内してくださった文化解説士が、公州の旧都心について詳しい人だったので訊いてみると、公州劇場といって、湖西劇場と共に70〜80年代の公州を代表する劇場(映画館)なんだという。
湖西劇場の脇の絵について訊いてみると、最近行われた撮影イベントのために描いたものだという。「公山城の血闘」という映画は実際にあった映画で、そのポスターを模写したものなんだとか。
で、一つ残念だったのは、草花文学館にまた入れなかったこと。


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by matchino | 2017-05-07 10:13 | 建築 | Comments(0)

筆洞のストリートミュージアムが楽しい!

FB友達が筆洞の「ストリートミュージアム」に関する記事を上げていた。週末、特に行くところもなかったので、娘を連れて行ってみることに。
地下鉄4号線忠武路駅4番出口を出て、毎日経済新聞社の裏の路地に入ってみる。どこだかはっきりは分からないで行ったけれど、うろついていたら、これを見つけた。
道端に設置されたギャラリー。

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スタンプラリーのスタンプもあるため、どこかに用紙がないかと探してみた。

さらにうろついてみると、記事にあった「マイクロミュージアム」という映像作品の展示があった。

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そして、その前には「チケットボックス24」という店。美術書籍の店で、スタンプラリーの用紙を備置してあった。スタンプを全部押すと、隣のカフェでコーヒーをもらえるという。さっそくスタンプラリーに出発した。

ここから出発!↓


ギャラリーがあったり、立体駐車場のビル全体が作品になっていたり、道端に作品があったりと、展示の仕方も多様で面白い。作品のレベルも高い。パブリックアートって今まで関心がなかったけれど、これはなかなかよかった。

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全部回ると30分くらいかかったけれど、スタンプラリーがあるので、うちの娘も楽しんで最後まで回れた。

近くにある南山韓屋マウルの中にも3つの作品ブースがあった。

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全部回って、最後のスタンプは「チケットボックス24」の隣のカフェで押してもらった。そして、私はコーヒー、娘はアイスティーを。

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このカフェも、韓屋を改造したようで、なかなかいい空間。
実はここ(なのか、このあたりなのか)は「南學堂」という朝鮮時代の教育機関があったところなんだとか。

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パンフレットをゆっくり読んでみると、2014年から行っているプロジェクトだという。今まで知らなかったことが不覚!
毎年5月と10月にはストリートアート・フェスティバルを開催しているということなので、ぜひ行ってみよう。

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by matchino | 2017-03-11 21:30 | 展覧会 | Comments(0)

「トッケビの家」雲峴宮洋館を訪ねる

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コン・ユ主演のドラマ「トッケビ」。
娘たちが観ているのを横からときどき観ていただけだけれど、ちょっと気になったことがあった。
それは、トッケビの家として出てきた洋館。雲峴宮(ウニョングン)の隣にある「雲峴宮洋館」と呼ばれている建物だ。

実はこの洋館、徳誠女子大の事務所として使われていて、普段は関係者以外は入れなくなっている。以前、外観だけでも見たいと思って学校の門を通過しようと思ったら、守衛のおじさんに呼び止められて入れなかったことがある。
でも最近、「トッケビの家を見てきました!」というブログがいくつか見られたので、敷地内に入れるようになったのかと思った。それで、旧正月の連休、娘に「トッケビの家を見に行こう」とうまく誘い出して行ってみることにした。

鍾路三街駅を出て、昔のピカデリー劇場を通り、益善洞へ。
そこから楽園商街の通りを北上して、徳誠女子大の門の前へ。
でも、連休中で門がしっかりと閉まっていた。そりゃそうだよなあ。
でも「トッケビ」のためか、外国人たちが門の前でうろうろしていた。

仕方がないので、塀越しにでも見ようかと、雲峴宮に入った。

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雲峴宮は朝鮮第26代王・高宗の父親である興宣大院君(フンソンテウォングン)の私邸。立派な韓屋が並んでいる。
そして、その向こうに雲峴宮の洋館が見える。

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ところで、実はこの次の日、私がよく聞いている「トコトコ歴史紀行」というポッドキャストで雲峴宮の話が出てきた。その話がなかなか面白かったので紹介しよう。

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まず、雲峴宮という名称の由来。
今、現代の社屋がある辺りに、現在の気象庁にあたる「書雲観(ソウングァン)」という官庁があったという。その「雲」の字を取って、地形が少し丘になっているため、丘を意味する「峴」の字をつけて、この辺りは「雲峴」と呼ばれた。
高宗がここで生まれ、12歳までここで暮らしていた。そして12歳で幼くして王となったため、父親の興宣大院君が摂関政治を行い、雲峴宮は政治の中心となった。当時は昌徳宮と接しており、興宣大院君が昌徳宮と行き来する門をつくったという。
後に興宣大院君の権力は弱くなり、大院君は雲峴宮で死を迎えた。

日本統治時代を経て、解放された時、雲峴宮は高宗の孫である李鍝(イウ)の所有となっていた。
李鍝は日本政府の政策で強制的に日本で住まわされていた。しかし、李鍝の妻である朴贊珠(パク・チャンジュ)は気が強い人で、政府に「朝鮮に帰してほしい」と要求していた。結局、李鍝は帰れなかったが、朴贊珠は許可されて朝鮮に帰ってくることができたという。どれほど気が強い人だったんだろうか。
李鍝は日本で軍人として階級を与えられて広島で勤務していたが、不幸にも原爆が投下されて広島で爆死した。

韓国の解放後、朴贊珠は息子の李清(イチョン)と共に帰国して雲峴宮に住んでいた。
その時、韓国では皇室の財産を国有化する政策をとっており、すべての宮は国有化された。国有化の手はもちろん雲峴宮にも及んだ。
しかし、朴贊珠は最後まで雲峴宮は私有財産であると主張し、ロビー活動まで行いながら国会から許可を得て個人所有として残すこととなったという。

その後、李清に対し、李承晩大統領は養子となることを勧めたという。自分が朝鮮王朝の子孫であると主張していた李承晩は、王室の子孫を養子にすることでさらに権力者としての正当性を強化しようとしていたのだ。もちろん、朴贊珠はそれを断固として拒絶した。
しかし、李承晩の要求を拒んだしっぺ返しが帰ってきた。それまで李王朝の子孫に与えられていた財政支援が断ち切られのだ。朴贊珠は雲峴宮の一部を売却せざるを得なくなり、徳誠学院はそれを買い取って徳誠女子大を創設した。長い間、徳誠女子大の土地となっていたのはこのようないきさつがあったのだ。
現在はソウル市が買い取って雲峴宮を復元した。

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これがポッドキャストで紹介していた雲峴宮の話だ。

そして、その数日後にソウル歴史博物館を訪ねると、雲峴宮の遺物がたくさん展示されていた。
雲峴宮洋館で使われていた家具や、朴贊珠の服などが展示されている。

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雲峴宮で使われていた食器もある。これらはすべて特注で制作され、底には「雲峴」の字が入っていた。

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この展示も細かく見ていくと面白そうなので、また行ってみよう。


この日は洋館は塀越しにしか見られなかったけれど、その後のある日曜日、もう一度訪ねた時に敷地内に入ることができた!
守衛のおじさんがいなかったのだ。私の他にも「トッケビの家」を見に来た人がたくさんいた。もちろん男たちも!

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やっと目の前で見られたので感無量。
でも、この美しい洋館、実は韓国の建築の本では「西洋の歴史的様式を真似しただけのあまり価値がないもの」と評されていることが多い。日本人が建てた建物だからだろうか。

今は建物の中に入ることはできないが、近々開放されるようになるという噂があるという。早く入れるようになったらいいな。

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by matchino | 2017-03-04 20:39 | 建築 | Comments(0)

公州建築巡り 5 トンボが遊んでいった路地と草花文学館

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公州近代建築巡りの続き。ルチアの庭の前の路地は「トンボが遊んでいった路地」と名付けられており、昔の様子がけっこう残っている。
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倉庫のような建物なのに、なぜか旅館の看板。旅館は別のところにあるのかな?
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怪しげな大きな壁!
壁には「公山城の血闘」という映画なのか演劇なのか、広報のための絵が描かれている。
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建物の表側に回ってみると、角が丸くなった古い劇場っぼい建物だった。
でも看板には「学生百貨店」とある。
そしてその学生百貨店も閉店しているようだった。
後から調べてみると、湖西劇場という劇場だったことが分かった。
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それから、「公山城の血闘」の壁画の向かいにあったゲストハウス、キレイそうだなと思っていたら、1泊3万ウォンだとあるブログで紹介されていた。泊まるとしたらここかな。まあ、日帰りで充分なんだけど…。

その向かいには古い商店。この辺りは昔の繁華街なんだという。もう少し歩いたら昔の痕跡が見つかるかもしれない。
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それから、前回、少し話した「草花文学館」。
旧市街を見下ろす山の麓に建っている日本統治時代の裁判所の官舎を改装したものだった。
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詳しくはこちら

黒く塗り直しているけれど、当時の構造はそのまま残っている。
この日は閉館時間後に訪れたので入れなかった。
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裏の方に回ってみると、外に面した廊下があって、まさに日本家屋。
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窓から中を覗くとアコーディオンが置いてあった。いいなああ。
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公州、そんなに頻繁に訪れることはできないけれど、1年に一度くらいは訪れて歩き回りたいな。
草花文学館も入れなかったし、今回見に行けなかった洋館もあるし、鉄橋を歩いて渡ってみないとだし、やるべきことは多いのだ。




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by matchino | 2017-01-12 21:15 | 建築 | Comments(0)

公州建築巡り 4 ルチアの庭

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公州近代建築巡りの続き。
公州の旧市街には昔の家屋がたくさん残っている。そんな家屋の一つを改造したカフェ、「ルチアの庭」。いろいろな雑誌などで紹介されており、一度行ってみたいと思っていた。

公州の旧市街を流れる済民川に沿って歩くと細い路地の入り口に木でできた小さな案内板があった。素朴な雰囲気を求めて多くの人が訪れるようになったのか、「トンボが遊んでいった路地」という名が付いていた。
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路地に入って曲がり角にある青い門の家、そこが「ルチアの庭」だった。小さな庭には簡単に花が植えられている。
話題になっていたカフェなので、席はないかもしれないと思っていたが、奥の小さなテーブルが一つ空いていて、そこに三人で座った。
入り口で靴を脱いで上がりこむかたちになっていて、私たちが座った部屋と縁側を改造したと思われる板の間、そして厨房の上には屋根裏にあたるタラクパンがあった。
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もともとは「ステラ」という洗礼名を持ったおばあさんが、旦那さんと二人で建てた韓屋の家だったという。家を建ててから3年後、旦那さんは亡くなって、その後、ステラおばあさんもこの家を去ったけれど、同じ聖堂に通う「ルチア」という洗礼名を持つ今の主人がカフェに改造したということだった。

「お一人様につき一つ注文でお願いします」といって渡されたメニューを見ると、ちょっとしゃれた名前のついたお茶がずらり。よく見てみると、緑茶だったりプーアル茶だったり。それで紅茶を頼むことにしたんだけれど、これもまた種類が多い。お店の人にヘルプを出すと「シャングリラが人気ですよ」ということなので、それを頼んでみた。

まずは妻のが出てきた。お茶は何だったか憶えていないけれど、おいしかった。茶碗も美しい。
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置いてある雑誌などをペラペラとめくりながら待っていると、ほんとうにしばらくして紅茶が出てきた。でも空間に流れる雰囲気がよすぎて、待たされた感じがしない。ゆったりとした時間の中に寄っているような感じだ。
そして、ポットからティーカップに注ぎ(ああ、これを書いている時にも、あのカップに注ぐ音が心地よく聞こえるよう!)、一口。んー、すばらしい香り! おいしく淹れたものを持ってきているし、ポットの中のお茶がなかなか冷めずに何杯も飲めるなんて!
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そしてクリスマスだということで、娘にはチョコレートのサービス。手作りのようで、ちょっとビターだったので、娘は食べられなかったけれど、私が食べるとおいしかった。
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ふと思い出して、近くにある「草花文学館」を見に、妻と娘を置いてしばらく出てきた。文学館は閉まっていてすぐカフェに帰ってきたのだけれど、少し紅茶が残っていたので、飲もうとすると、お店の人が「冷めたでしょう」といって、新しく淹れた紅茶のポットを持ってきてくださった。
え、これサービス⁉︎
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結局、2時間くらい居座っただろうか。居心地がよすぎて家に帰りたくなかった。CDプレーヤーから聞こえるバッハの無伴奏チェロもいつもよりも甘く心に響く。お店の人もとてもいい人たちで、この人たちがこういう雰囲気を創り出していたということもあるかもしれない。

出る時には絵葉書を2枚プレゼントしてくれた。
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雰囲気はいいし、人はいいし、お茶はおいしいし、本当に、ここを訪ねるためだけに公州に行く価値はあると思う。次は夏にでも、タラクパンか、縁側で過ごそうかな。




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by matchino | 2017-01-11 22:35 | 建築 | Comments(0)

公州建築巡り 3 旧公州邑事務所と公州第一教会

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公州の近代建築巡り、次は「ルチアの庭」に行こうかと思ったけれど、一緒に来た妻と娘がおやつを食べに他の店に入ってしまったので、私は一人で他の近代建築を見に行くことにした。

ここで公州を巡る時のヒントを一つ。ルチアの庭は最後に、そして時間をたっぷりとって行くべし!とても居心地のいい空間なので、他に行きたくなくなるのは必至!

公州映像歴史博物館。
日本統治時代の1920年に金融組合連合会の会館として建てられた、レンガと石造りの建物。1930年から1985年までは公州邑事務所として、1986年に公州邑が市に昇格してからは1989年まで公州市庁として使われたという。現在は公州映像歴史博物館として使われている。
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太い円柱が並んでいて、権威的なイメージ。両脇にある円形の窓にも石の装飾が付けられていてかっこいい。
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中は映像歴史博物館となっており、1階はインタラクティブな公州の観光地の説明パネルが並ぶ。2階は公州の昔の写真が展示されていた。内部がすっかり改装されているのは残念だけれど、階段の構造だけは当時のものだろう。
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側面に回ってみると、こんな可愛い柵が付いた丸窓。
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以前、ここを訪ねたりうめいさんが、この近くで木の電柱を見つけたといっていたのを思い出して探してみると、すぐ前の路地にみつかった。この電柱といい、建物といい、よく残してくれている。保存状態も素晴らしい。
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もう一つ訪ねてみたのが、公州第一教会。1930年に建てられた、この地域で初めてのプロテスタントの教会。
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窓からステンドグラスが見えたので、中に入ってみたかったけれど、すべての扉に鍵がかかっていた。やはりプロテスタントの教会だな…。

さあ、いよいよずっと前から行ってみたかった「ルチアの庭」へ。次回をお楽しみに!




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by matchino | 2017-01-07 22:34 | 建築 | Comments(0)

公州建築巡り 2 忠清南道歴史博物館

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公州の近代建築巡り、中洞聖堂の次は、隣の高台にある忠清南道歴史博物館を訪ねた。
ここは、今は忠清南道歴史博物館として使われているが、もともとは1973年に国立公州博物館として建てられたもの。
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四角い箱の脇に、上が丸くなった台形のような形の白い突起がいくつも並んでいる。突起は上下に分かれていて、よく見ると下は中央が出っ張っていて、上は凹んでいる。上の突起の脇には窓が付いているようで、間接照明として使われていたのかもしれない。
この突起の形、はっきりとは調べていないけれど、公州でみつかった百済時代の古墳である武寧王陵の石室の形をモチーフにしたのだろう。
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上には軒のような形が屋根として乗っている。わずかに四隅が上がっているのは、韓屋の屋根の反りを表現したのだろう。この頃、「韓国的な建築」を模索していて表現した一つの方法論だ。
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もう一つ、ここ頃の建築の流行を示すのがピロティ。ル・コルビジェが提唱した近代建築の5原則の一つだ。

誰が設計したのかが思い出せず、国立博物館をたくさん設計した金寿根氏かなとも思ったけれど、テイストがちょっと違うので、FBに上げてみると、大田の文化財の専門家が、すぐに生没年までつけて答えを上げてくれた。スバラシ!

で、この博物館を設計したのは李喜泰(イ・ヒテ)建築家。1925生、1981没。
切頭山殉教聖地の聖堂や恵化洞聖堂などの聖堂建築のほか、南山にある国立劇場などを手がけている。なんかこの方の建築によく出会う。

博物館の展示はそれほど、興味深いものではなかったけれど、一つだけ気になったのが、雨宮宏輔という日本人のこと。公州で生まれて解放まで公州で住み、その後も公州に住んでいた日本人の会である「公州会」の会長をしているという。雨宮氏はこの博物館に公州の昔の写真や遺物などを寄贈しているということだった。当時の記念ハガキなどは興味深かった。
この博物館に登る階段の前に井戸があって、そこの案内板にも雨宮氏が経営していた氷工場があったと書かれていた。ネットでは、雨宮氏が公州に桜の木を植えたという話も出ていた。
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で、その前にあった噴水(?)。動物の頭は理解できるけど、この子どもたちの頭は…。彫刻家の感覚を疑う…。
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さて、今度は旧公州邑事務所へ。
次回に続く!




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by matchino | 2017-01-04 23:29 | 建築 | Comments(0)