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傷心の奨忠洞 その2 105チョコレート+コーヒー

大好きな洋館が消えてしまった傷心を抱えながら京東教会のほうに戻っていく。
教会の裏手には文化住宅がいくつか残っており、その一つがカフェになっているという話を聞いてやってきたのだ。

けっこう経っていそうな石垣に囲まれた家。1956年に建てられたらしい。韓国戦争の終戦間もない頃か。
広い門の上には「105 Chocolate + Coffee」と店の名前が出ている。

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門のすぐ前は駐車場で、すでに2台の車が入っていた。
その左手には広い庭!

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テーブルがたくさん置いてあって、春や秋には外でくつろぐのもいいかもしれない。
そしてその向こうには大きな石造りの家!切妻がいくつか組み合わさった屋根で、お金持ちが住んでいました、という雰囲気。

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玄関の前の階段も時代を感じさせる。

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玄関に入るとすぐに注文するコーナー。娘用にはオレンジエード、私には「105コーヒー」3000ウォン。チョコレートの専門店でおいしいらしい。上の子たちを連れてくるほうがよかったな。(ついてこないケド)

さて、コーヒーより重要なのが、2階の部屋。住宅として使っていたものを家具などもそのまま使っているといううわさを聞いていたのだ。
人がいて写真を撮れなかったけれど、階段を上ると大きな円形の窓があって、板張りの部屋。ここが門の正面にくる場所だな。ベランダの手すりが重厚なデザイン。

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その隣には二つの部屋。一つの部屋は古めかしいソファのセット。元から使っていたものをそのまま使っているのだろうか。座り心地は悪そうだけど、レトロ感たっぷりでいい。犬のぬいぐるみも古そう。

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もう一つの部屋には楽な椅子が置いてあり、居心地がよくて眠くなるほど。窓の外には隣の文化住宅が見えていい感じ。

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なんだけど、窓際の席はおばさま三人組が陣取っていて、仕方なく壁側でくつろいだ。

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ちょっとくつろぎすぎじゃね?


娘が東大門を見にいこうというので、外に出た。さっきは暑かったけれど、夕方になって少し涼しくなっていたので、庭でブランコに乗る。いろんな木が植えられており、リンゴの木もあって、小さな実をつけていた。

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娘の相手をしていてコーヒーもまともに味わえなかったけれど、コーヒーもケーキもおいしいということだったので、今度はゆっくり行ってこよう。一緒に行きたい人、募集!

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by matchino | 2017-08-14 22:05 | 建築 | Comments(0)

傷心の奨忠洞 その1

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知り合いの先生が奨忠洞を歩いているのに刺激されて、娘を連れて奨忠洞へ。
一昨年、京東教会とウェルカムシティなどを見に来てから気に入って何回か訪ねていたところだった。
マチノアルキのプレイベントでも歩き、マチノアルキの次回の場所としても考えていたので、その下見も兼ねた踏査だった。

東大門歴史文化公園駅から奨忠洞に向かって歩く。
まずは京東教会。夏だから蔦に覆われていると思ったら蔦がすっかり払われていた。

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補修も兼ねてのことだろうか。蔦が根を下ろしていた花壇には新しい蔦の若葉が育っていた。

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奨忠壇の前の十字路まで出て、太極堂の前を右に折れる。そのすぐ裏は、ドーマーが三つ並んだ古い洋館があった場所だ。数ヶ月前に解体されてしまい、とても残念だった。

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これが2年前の姿


その洋館がなくなったことで、その裏にある2階建文化住宅がよく見える。ここには4軒の文化住宅があって、少しずつ形は違うものの、似たような要素を持った家だ。

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空き家のようにみえるが、夕方に訪れた時に路地には灯りが灯っており、一つの家屋の窓から灯りがもれていたので、少なくとも1軒は今も住んでいるのだと思っていた。しかし、実はパラダイスホテルの所有となっているということで、倉庫として使われているのかもしれない。


ここからさらに道に沿って登っていくと、もう一つの謎の洋館がある。庭付きのけっこう大きな家で、外観だけでも普通の家でないことを感じさせる家だ。

いや、「だった」のだ。

今回、とてもショックだったのが、この家が消えていたこと。ウェルカムシティを過ぎると路地から、石垣の上にあの家の姿が見えたのに、今日訪ねてみると、石垣の上には白い仮の塀が立てられ、その上には青い空が見えたのだ。思わず目を疑った。
正面に回ってみると、やはりそこにあの家屋の姿はなかった。敷地に入る門の方へと回ってみると、門柱の一番下の段だけが残されており、後は消え失せてしまっていた。

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敷地全体に雑草が茂っているのをみると、解体してから数ヶ月は経っているのではないだろうか。もしかしたら、先ほどの洋館と共に解体されたのかもしれない。

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これが2年前の姿。すでにフェンスはあった。


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2年前の姿。サンルームとかアーチの窓がいい。


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2年前の姿。緩やかにカーブする屋根。


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レンガ造りの塀もなくなっていた。


放心状態になりながら、知り合いの先生が上げていたカフェに向かう。これがよくって私の傷心をわずかながら癒してくれた。そのカフェについては更新を待て!

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by matchino | 2017-08-13 18:12 | 建築 | Comments(0)

〈堤川の近代建築巡り 2〉葉煙草受納取扱所

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葉煙草生産組合旧社屋の裏のほうへ回っていくと、葉煙草受納取扱所の建物がある。

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一見、日本統治時代の建物によくある下見張りの壁の倉庫のようだけれど、真ん中で折れてL字型になっている。
連結部も斜めになっていたりとちょっと複雑な構造になっている。

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現在も使われている建物なのだろうかと思ったが、入口が開いている。ガラスのドアには、都市再生事業とかなんとか。
入ってみると、隣の部屋に向かって下りるスロープ。

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ドアの向こうには待合室のような空間があって、両側に長椅子、床には四角い穴が二つ開いていた。

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その部屋の奥には事務所があって、待合室に向かって窓があった。人がいたので、ここが何に使われているのか聞いてみた。すると、「ちょっと待ってください」といって、案内をするためにわざわざ外まで出てきてくれた。

文化財として残しながら都市再生事業に活用


この建物は、もともと葉煙草受納取扱所として使われたもので、1943年に建てられた。
待合室のような部屋は、煙草の葉を販売するために来た農家の人たちが受付を待っている部屋だった。床の四角い穴は「暖炉」だったということだが、いわゆる囲炉裏だったのではないだろうか。

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その隣の部屋は煙草の葉を陳列する場所だったという。煙草の葉は鑑定によって等級が決められるが鑑定を待つ間にここに並べておいたのだ。
今は二つの部屋に分かれており、イベント会場として使われている。一つは新しく壁と天井が作られていたが、もう一つは天井がなく、木造のトラスが見える。新しく設置した壁も、文化財となっている本来の壁は残している。

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扉も当時のものを残しており、なかなかいい雰囲気を醸し出している。
この部屋の外には煙草の苗が何本か植わっていた。花は終わりかけていたけれど、初めて見たぞ。

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取扱所の中心部、鑑定所と保管所


取扱所の中央の連結部分は、解説してくれた職員の言葉を借りれば、この建物の「花」ともいえる鑑定所。
部屋の真ん中には、円形のレールが敷かれており、レールの上には荷台が乗っている。ここでは農民が持ってきた煙草の葉を、二人の鑑定士が鑑定する空間。荷台に煙草の葉を乗せて回しながら鑑定したというわけだろうか。部屋には他の部屋より大きな窓が開いていて、光がよく入ったと解説していることからすると、鑑定に光が重要で、あらゆる方向から光を当ててみて鑑定したのだろう。

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その隣は煙草の葉の保管所。
ここは取扱所だった当時の様子がほぼそのまま保存(あるいは再現?)されていた。
湿度を調節するために天井はなく、木造のトラスがむき出しになっている。

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そして広い床の中央には、長方形の短辺の方向に長く、深い溝が掘られている。ここに水を溜めて湿度を調節したという。今は一つしか残っていないがもともとは三つあったらしい。

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こうして見ていくと、韓国のもともとのタバコ産業がどうなっていて、なぜ堤川にこの施設があるのか気になる。すぐ近くの清州にも大きな煙草工場があるし。

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堤川の近代建築は、この他にも大韓通運の倉庫が駅の近くにあるらしい。葉煙草受納取扱所の周りも面白そうなのでもう少し周ってみたいな。鑑定所の窓の外に見えたこの家屋も気になったし。

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そうそう、葉煙草生産組合旧社屋の向かいにある「松鶴飯荘(ソンハクパンジャン)」という中華料理店も60年以上の伝統を持つ店なんだとか。次に訪ねる時は、食事前に行かないとだな。

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by matchino | 2017-08-06 22:08 | 建築 | Comments(0)

〈堤川の近代建築巡り 1〉葉煙草生産組合旧社屋

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夏休み、忠清北道の堤川(チェチョン)を訪ねた。
毎年、韓方エキスポを行なっている医療観光で有名な都市で、2015年には韓国観光公社が選ぶ「今年の観光都市」として事業を行なったこともある。
今回訪ねたのは、忠州湖のほとりにある清風文化財団地だが、どうせ堤川まで行くのだから近代建築を調べてみた。すると、あったあった!
久しぶりに訪ねる韓国の地方都市。近代建築もあるということで心が踊った。

堤川市にある近代建築の一つは、葉煙草受納取扱所と、葉煙草生産組合旧社屋。堤川のバスターミナルから南にしばらく行ったところにある。
今も韓国のたばこの専売会社であるKT&Gの社屋の敷地内で倉庫として使われているという。

入り口にミニオンズ? 葉煙草生産組合旧社屋


KT&Gの門を通ってすぐ左にあるのが旧社屋の建物。1935年に建てられた。
なんといってもこのミニオンの頭のような入り口部分が特徴。
(最初はニョロニョロと書こうかと思ったけれど、ミニオンのほうが似てるよな、と)

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正面部を強調するために付けられた装飾なんだろうか、横から見るとただの板状の看板に過ぎない。

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そして窓のさんも特徴的。アーチを三つに区切ってさらに斜めのラインを入れるなど、けっこう凝ったデザインだ。

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入り口のひさしは単純だけれど、木でつくられた支え部分が装飾的だ。

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入り口の両脇の窓にも工夫が見られる。
そのころよく使われた上下開閉式の窓で、シンプルながらも、窓の上にレンガの装飾をつけたり、入り口の脇にだけアーチにしたりと変化を持たせている。

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案内板にある全体の正面図を見て分かったのだけれど、左右対称になっていない。おかしいなと思ったら、左のほうは後から増築されたということ。

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裏のほうに回ってみると、入り口が開いており、倉庫として使われているのが分かった。
中は改装されており、つくられた当時のものは見つからなかった。

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復元されたという話もあるので、もしかしたら外観も、大きな構造は変わっていないものの、材料などは新しく加えられているのかもしれない。窓の上のレンガも周りと同じグレーの何かが吹き付けられてるように見えたので、全体に壁材を吹き付けたのかもしれない。

そして、この裏には葉煙草受納取扱所の建物が残っているという。続きは次回!

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by matchino | 2017-08-06 10:05 | 建築 | Comments(0)

徽慶洞の再開発地域を歩く

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ソウル建物年齢地図というサイトがあることを最近知った。ソウルのすべての建物の使用承認を得た年度を記載したというものすごい地図。それで気になっていた建物の年代を興奮しながら調べまくった。
そして、思いついたのが、古い家屋がある辺りを歩いてみようかと。

徽慶洞の古い家屋について昔書いたことがあったが、その反対側のあたりにも古い家がけっこう残っていることを最近発見して、歩いてみることにした。
地下鉄1号線の回基駅に着く前に電車の窓からだいたいの位置の目星を付ける。
が、解体作業用の幕が張られている!再開発されてしまうのか!

回基駅を出てしばらく歩くと、気になっていた連立住宅があった。年代は1980年。

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その向こうにも古そうな建物が見える。


そこから少し歩いていくと、空き家が並んでいた。やはり再開発の地域になっており、住民はすでに出ていたのだ。
古い一階建ての家屋がいくつもあった。こういう瓦屋根の家は1960年代のものらしい。

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すでに撤去された残骸の向こうに古い家屋が見える。

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その中で見つけたとんがり屋根の家。何の家だろうかと気になって前まで行ってみると、「荷居堂」という文字。巫堂の家なんだろうか。
とんがり屋根の中の窓も面白いが、その脇に書かれた「永存」が何を意味するのかと気になる。

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この屋根に気を取られて気付かなかったけれど、家に入る細い路地の両側の塀には絵が描かれていた。

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アングルの「泉」とか

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朝鮮戦争のときに空に現れたイエスの姿とか
(その上のはダリの描いたイエス?)

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虎とか。
元の絵が分かるものもあれば、分からないものもあって、不思議な感じだ。
どんな人が、何の目的で描いたんだろうか。まあ、ただの趣味なのかもしれないけれど。

さらに路地を回っていると、古い倉庫のような建物を見つけた。

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通りの表側に回ってみると、道路から少し奥まったところにこの建物の入口があった。
今も使われているようだ。

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写真を撮っていると、一人のおじさんが現れた。
「何かの工場なんですか?」と訊いてみると、
「そう。11の小さい工場が入ってるんだ」とおじさん。
「ここも再開発の地域なんですか?」
「いや、再開発はこの裏側だよ。この建物の2階が再開発の事務所」といって、隣のビルを指差した。
よかった。とりあえずこの建物は残りそうだ。
今度中を見せてもらおう。

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by matchino | 2017-06-18 12:19 | 街歩き | Comments(0)

益山・旧益沃水利組合事務所(現・益山文化財団)

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公州に行った前日、百済文化のもう一つの遺跡地、益山を訪ねた。
本当は益山の旧市街を歩き回りたかったけれど、時間がなくて帰り道にちょっとだけ近代建築を見てきた。
弥勒寺址の解説士に教えてもらったのが、益山文化財団として使われている建物。

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もともとは益沃水利組合の事務所として使われていた建物で、1930年に建てられたもの。後に全北農地改良組合の庁舎として使われた。

調べてみると、この水利組合というのは農業の灌漑や水害対策のための組合だということだけれど、韓国内では日本統治時代に行われた収奪のための団体として悪名が高いようだ。灌漑のためにダムを建設したりするのだけれど、農業用水を使うことに対して水税を取って小作農を苦しめたりと問題が多かったらしく、組合に対する反対運動も起こったという。

そんな水利組合の建物だから、韓国の人たちにとっては痛みの歴史が刻まれた場所といえる。
それでも建築的には価値が認められて、2005年には登録文化財に指定されている。

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レンガの外装で、1階は鉄筋コンクリート造、2階はレンガ造となっている。
そして、水色に塗装された屋根は2段階の傾斜があるマンサード屋根。屋根裏は倉庫として使われたらしい。
この屋根の中を見てみたかったけれど、事務所の建物なので入れないだろうなあ。
でも、文化財庁が行なった調査報告書があり、屋根裏の写真もあった。写真を見たらもっと入りたくなってしまったけど。

その隣りにあったレンガ造りの倉庫。

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レンガ造の建物もいいけれど、その右側にあった新庁舎もなかなかいい。
1975年に建てられたらしい。

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モダニズム的な直線とか、上の円形とか、後ろの煙突とか、萌え要素はたくさん。
もとは農地改良組合として使われていた時代の建物で、組合が場所を移してから放置されていたようだ。
そして今は芸術家のレジデンスとして使われているようだ。ここで展示も行なったらしく、痕迹が残っていた。

このあたりは益山の旧市街で、日本人もたくさん住んでいたらしい。少し歩いただけでも古びた日本家屋がところどころに見つけられる。

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ずっとこの辺りを歩き回りたかったけれど、次回に。益山、また行くぞ。





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by matchino | 2017-05-09 20:00 | 建築 | Comments(0)

公州、錦江の鉄橋を渡れ!

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「錦江の鉄橋を渡れ」
なんだか戦争映画のタイトルみたいだが、前回、公州を訪れた時に私に課せられたミッションだった。
しかし、冬で小さい娘を連れてだったので、そのときは果たせなかったミッションなのだ。
今回の取材が公山城だったので、バスターミナルから鉄橋を渡って歩いて行くことに。

この錦江鉄橋がつくられたのは、日本統治時代の1933年。当時、漢江以南では最も長い橋だったという。
1932年に忠清南道庁が公州から大田に移す代わりに架けられ、これによって公州は交通の要地となったわけだ。
ワーレントラス構造の上弦材をアーチ形状にした、当時としては珍しいものだという。

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昔は車道が2車線だったが、その横に大きな橋がつくられ、交通においては重要な橋ではなくなった。

そしてもう一つ、映像展示館の近くをふらついていて見つけたのがこの劇場。
韓国古建築散歩のりうめいさんが見つけていて、湖西劇場と似ているようで違うらしい形なので、どこにあるのかと思っていたところだった。
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今回、公山城を案内してくださった文化解説士が、公州の旧都心について詳しい人だったので訊いてみると、公州劇場といって、湖西劇場と共に70〜80年代の公州を代表する劇場(映画館)なんだという。
湖西劇場の脇の絵について訊いてみると、最近行われた撮影イベントのために描いたものだという。「公山城の血闘」という映画は実際にあった映画で、そのポスターを模写したものなんだとか。
で、一つ残念だったのは、草花文学館にまた入れなかったこと。


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by matchino | 2017-05-07 10:13 | 建築 | Comments(0)

「トッケビの家」雲峴宮洋館を訪ねる

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コン・ユ主演のドラマ「トッケビ」。
娘たちが観ているのを横からときどき観ていただけだけれど、ちょっと気になったことがあった。
それは、トッケビの家として出てきた洋館。雲峴宮(ウニョングン)の隣にある「雲峴宮洋館」と呼ばれている建物だ。

実はこの洋館、徳誠女子大の事務所として使われていて、普段は関係者以外は入れなくなっている。以前、外観だけでも見たいと思って学校の門を通過しようと思ったら、守衛のおじさんに呼び止められて入れなかったことがある。
でも最近、「トッケビの家を見てきました!」というブログがいくつか見られたので、敷地内に入れるようになったのかと思った。それで、旧正月の連休、娘に「トッケビの家を見に行こう」とうまく誘い出して行ってみることにした。

鍾路三街駅を出て、昔のピカデリー劇場を通り、益善洞へ。
そこから楽園商街の通りを北上して、徳誠女子大の門の前へ。
でも、連休中で門がしっかりと閉まっていた。そりゃそうだよなあ。
でも「トッケビ」のためか、外国人たちが門の前でうろうろしていた。

仕方がないので、塀越しにでも見ようかと、雲峴宮に入った。

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雲峴宮は朝鮮第26代王・高宗の父親である興宣大院君(フンソンテウォングン)の私邸。立派な韓屋が並んでいる。
そして、その向こうに雲峴宮の洋館が見える。

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ところで、実はこの次の日、私がよく聞いている「トコトコ歴史紀行」というポッドキャストで雲峴宮の話が出てきた。その話がなかなか面白かったので紹介しよう。

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まず、雲峴宮という名称の由来。
今、現代の社屋がある辺りに、現在の気象庁にあたる「書雲観(ソウングァン)」という官庁があったという。その「雲」の字を取って、地形が少し丘になっているため、丘を意味する「峴」の字をつけて、この辺りは「雲峴」と呼ばれた。
高宗がここで生まれ、12歳までここで暮らしていた。そして12歳で幼くして王となったため、父親の興宣大院君が摂関政治を行い、雲峴宮は政治の中心となった。当時は昌徳宮と接しており、興宣大院君が昌徳宮と行き来する門をつくったという。
後に興宣大院君の権力は弱くなり、大院君は雲峴宮で死を迎えた。

日本統治時代を経て、解放された時、雲峴宮は高宗の孫である李鍝(イウ)の所有となっていた。
李鍝は日本政府の政策で強制的に日本で住まわされていた。しかし、李鍝の妻である朴贊珠(パク・チャンジュ)は気が強い人で、政府に「朝鮮に帰してほしい」と要求していた。結局、李鍝は帰れなかったが、朴贊珠は許可されて朝鮮に帰ってくることができたという。どれほど気が強い人だったんだろうか。
李鍝は日本で軍人として階級を与えられて広島で勤務していたが、不幸にも原爆が投下されて広島で爆死した。

韓国の解放後、朴贊珠は息子の李清(イチョン)と共に帰国して雲峴宮に住んでいた。
その時、韓国では皇室の財産を国有化する政策をとっており、すべての宮は国有化された。国有化の手はもちろん雲峴宮にも及んだ。
しかし、朴贊珠は最後まで雲峴宮は私有財産であると主張し、ロビー活動まで行いながら国会から許可を得て個人所有として残すこととなったという。

その後、李清に対し、李承晩大統領は養子となることを勧めたという。自分が朝鮮王朝の子孫であると主張していた李承晩は、王室の子孫を養子にすることでさらに権力者としての正当性を強化しようとしていたのだ。もちろん、朴贊珠はそれを断固として拒絶した。
しかし、李承晩の要求を拒んだしっぺ返しが帰ってきた。それまで李王朝の子孫に与えられていた財政支援が断ち切られのだ。朴贊珠は雲峴宮の一部を売却せざるを得なくなり、徳誠学院はそれを買い取って徳誠女子大を創設した。長い間、徳誠女子大の土地となっていたのはこのようないきさつがあったのだ。
現在はソウル市が買い取って雲峴宮を復元した。

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これがポッドキャストで紹介していた雲峴宮の話だ。

そして、その数日後にソウル歴史博物館を訪ねると、雲峴宮の遺物がたくさん展示されていた。
雲峴宮洋館で使われていた家具や、朴贊珠の服などが展示されている。

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雲峴宮で使われていた食器もある。これらはすべて特注で制作され、底には「雲峴」の字が入っていた。

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この展示も細かく見ていくと面白そうなので、また行ってみよう。


この日は洋館は塀越しにしか見られなかったけれど、その後のある日曜日、もう一度訪ねた時に敷地内に入ることができた!
守衛のおじさんがいなかったのだ。私の他にも「トッケビの家」を見に来た人がたくさんいた。もちろん男たちも!

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やっと目の前で見られたので感無量。
でも、この美しい洋館、実は韓国の建築の本では「西洋の歴史的様式を真似しただけのあまり価値がないもの」と評されていることが多い。日本人が建てた建物だからだろうか。

今は建物の中に入ることはできないが、近々開放されるようになるという噂があるという。早く入れるようになったらいいな。

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by matchino | 2017-03-04 20:39 | 建築 | Comments(0)

公州建築巡り 5 トンボが遊んでいった路地と草花文学館

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公州近代建築巡りの続き。ルチアの庭の前の路地は「トンボが遊んでいった路地」と名付けられており、昔の様子がけっこう残っている。
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倉庫のような建物なのに、なぜか旅館の看板。旅館は別のところにあるのかな?
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怪しげな大きな壁!
壁には「公山城の血闘」という映画なのか演劇なのか、広報のための絵が描かれている。
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建物の表側に回ってみると、角が丸くなった古い劇場っぼい建物だった。
でも看板には「学生百貨店」とある。
そしてその学生百貨店も閉店しているようだった。
後から調べてみると、湖西劇場という劇場だったことが分かった。
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それから、「公山城の血闘」の壁画の向かいにあったゲストハウス、キレイそうだなと思っていたら、1泊3万ウォンだとあるブログで紹介されていた。泊まるとしたらここかな。まあ、日帰りで充分なんだけど…。

その向かいには古い商店。この辺りは昔の繁華街なんだという。もう少し歩いたら昔の痕跡が見つかるかもしれない。
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それから、前回、少し話した「草花文学館」。
旧市街を見下ろす山の麓に建っている日本統治時代の裁判所の官舎を改装したものだった。
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詳しくはこちら

黒く塗り直しているけれど、当時の構造はそのまま残っている。
この日は閉館時間後に訪れたので入れなかった。
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裏の方に回ってみると、外に面した廊下があって、まさに日本家屋。
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窓から中を覗くとアコーディオンが置いてあった。いいなああ。
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公州、そんなに頻繁に訪れることはできないけれど、1年に一度くらいは訪れて歩き回りたいな。
草花文学館も入れなかったし、今回見に行けなかった洋館もあるし、鉄橋を歩いて渡ってみないとだし、やるべきことは多いのだ。




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by matchino | 2017-01-12 21:15 | 建築 | Comments(0)

公州建築巡り 4 ルチアの庭

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公州近代建築巡りの続き。
公州の旧市街には昔の家屋がたくさん残っている。そんな家屋の一つを改造したカフェ、「ルチアの庭」。いろいろな雑誌などで紹介されており、一度行ってみたいと思っていた。

公州の旧市街を流れる済民川に沿って歩くと細い路地の入り口に木でできた小さな案内板があった。素朴な雰囲気を求めて多くの人が訪れるようになったのか、「トンボが遊んでいった路地」という名が付いていた。
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路地に入って曲がり角にある青い門の家、そこが「ルチアの庭」だった。小さな庭には簡単に花が植えられている。
話題になっていたカフェなので、席はないかもしれないと思っていたが、奥の小さなテーブルが一つ空いていて、そこに三人で座った。
入り口で靴を脱いで上がりこむかたちになっていて、私たちが座った部屋と縁側を改造したと思われる板の間、そして厨房の上には屋根裏にあたるタラクパンがあった。
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もともとは「ステラ」という洗礼名を持ったおばあさんが、旦那さんと二人で建てた韓屋の家だったという。家を建ててから3年後、旦那さんは亡くなって、その後、ステラおばあさんもこの家を去ったけれど、同じ聖堂に通う「ルチア」という洗礼名を持つ今の主人がカフェに改造したということだった。

「お一人様につき一つ注文でお願いします」といって渡されたメニューを見ると、ちょっとしゃれた名前のついたお茶がずらり。よく見てみると、緑茶だったりプーアル茶だったり。それで紅茶を頼むことにしたんだけれど、これもまた種類が多い。お店の人にヘルプを出すと「シャングリラが人気ですよ」ということなので、それを頼んでみた。

まずは妻のが出てきた。お茶は何だったか憶えていないけれど、おいしかった。茶碗も美しい。
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置いてある雑誌などをペラペラとめくりながら待っていると、ほんとうにしばらくして紅茶が出てきた。でも空間に流れる雰囲気がよすぎて、待たされた感じがしない。ゆったりとした時間の中に寄っているような感じだ。
そして、ポットからティーカップに注ぎ(ああ、これを書いている時にも、あのカップに注ぐ音が心地よく聞こえるよう!)、一口。んー、すばらしい香り! おいしく淹れたものを持ってきているし、ポットの中のお茶がなかなか冷めずに何杯も飲めるなんて!
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そしてクリスマスだということで、娘にはチョコレートのサービス。手作りのようで、ちょっとビターだったので、娘は食べられなかったけれど、私が食べるとおいしかった。
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ふと思い出して、近くにある「草花文学館」を見に、妻と娘を置いてしばらく出てきた。文学館は閉まっていてすぐカフェに帰ってきたのだけれど、少し紅茶が残っていたので、飲もうとすると、お店の人が「冷めたでしょう」といって、新しく淹れた紅茶のポットを持ってきてくださった。
え、これサービス⁉︎
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結局、2時間くらい居座っただろうか。居心地がよすぎて家に帰りたくなかった。CDプレーヤーから聞こえるバッハの無伴奏チェロもいつもよりも甘く心に響く。お店の人もとてもいい人たちで、この人たちがこういう雰囲気を創り出していたということもあるかもしれない。

出る時には絵葉書を2枚プレゼントしてくれた。
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雰囲気はいいし、人はいいし、お茶はおいしいし、本当に、ここを訪ねるためだけに公州に行く価値はあると思う。次は夏にでも、タラクパンか、縁側で過ごそうかな。




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by matchino | 2017-01-11 22:35 | 建築 | Comments(0)