駐韓英国大使館を訪ねる その3

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英国大使館探訪記の続き。
2号館からさらに奥に入ったところに建っているのが1号館。ここは大使の家族が住んでいる大使公邸となっている。
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ここにも2号館と同じ「VR」があるが、中にあって見えないとのこと。
正面の前には広い庭があって、芝生が植わっており、色とりどりの花が咲いている。
大使がいらっしゃるので近くからは見られなかったが、庭越しに正面を見せていただいた。
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東側が正面で南側に玄関があるという構造は2号館と似ているが、正面の2階のベランダがより装飾的で美しい。
角柱と円柱が交互になっていて、オーダー(柱頭)は見たことのない感じ。円柱のオーダーと同じ装飾が角柱にもついている。
この頃に建てられた西洋建築は「コロニアル・スタイル」といって、新古典主義建築を植民地に合わせた様式をとっていると聞いたことがある。
それで、「イギリス本国の建築はこんな感じでベランダがあるんですか?」と案内してくれた大使館の方に訊いてみると、「違います。これは避暑のためのベランダがついていているんです」と。「いわゆるコロニアル・スタイルですね?」と訊くと、「そうです。シドニーなどの住宅もこうですね」という。
この方も建築の知識があるのかと思ったけれど、よく考えてみたら、コロニアル・スタイル」って建築の専門用語というよりは「植民地様式」っていうことなんだな。
韓国や日本においては西洋建築って特別な感じがするけれど、西洋ではこれは当たり前の建築なんだという事実にいまさらながら気づいた。
それと同時に、この大使館が当時、西洋から来た人たちにとって、住み慣れた故郷を思わせるような安息の地だったのかもしれないと思った。
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1号館の裏側から。

大使公邸の隣にはテニスコート。
韓国で初のテニスコートなんだとか。アメリカ大使館官邸の南側にもテニスコートがあって、アペンゼラー牧師が撮った写真が残っているけれど、あれよりも古いのかー。
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さて、英国大使館に入って確かめたかったことがもう一つある。
それについては次回に!

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# by matchino | 2016-04-17 22:33 | 建築 | Comments(0)

駐韓英国大使館を訪ねる その2

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前回の続き。
英国大使館にいよいよ入城!

名前とパスポート、それから荷物のチェックをして大使館の敷地内へ。
おお、この門の中に入ってる!っていう感動w
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門を入って目の前にあるのが大使館の建物。これは1992年に建てられた比較的新しいもの。
地下には最初の駐韓総領事であるアストン総領事を記念したアストンホールがある。
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ここはチャールズ皇太子とダイアナ妃が離婚する前に訪れて開館したということで、記念の石碑がある。
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この建物の裏には19世紀に建てられたレンガ造りの1号館と2号館がある。これが見たかったのだ!
でもちょっとじらして、ここで英国大使館の歴史について簡単に説明しておこう。

英国と韓国(朝鮮王朝)との間に修好通商条約が結ばれたのは1883年11月26日。北京駐在のパークス公使が全権大使として訪韓して条約を締結。翌年の1884年4月に批准された。
そして、間もなく公使館が置かれることになるが、イギリスは、駐韓大使館としては唯一、最初から現在まで一度もその場所を変わらずに守っている。
最初は、もともとあった韓屋6棟を使用したが、西洋人にとったは不便であったため、ヒリアー総領事の時代に西洋式の建物を建てた。1888年、上海建設局のマーシャルの設計によって工事の準備が始まり、1891年に1号館が竣工、その1年後に2号館が建てられた。

大使館の建物の左側の通路を抜けると、目の前にレンガ造りの建物があった。1892年に建てられた2号館だ。
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大使館の職員のための住宅として使われている。
2号館の脇に回ってみた。
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灰色のレンガと赤レンガが装飾的に使用されている。1号館の設計が終わってから資材の調達に時間がかかったといわれているが、レンガが国内では調達できなかった時代、どこから輸入したんだろうか。
玄関の上にある「VR」という文字は、「Victoria Regina」の略で、ヴィクトリア女王の時代に建てられた建物であることを意味するらしい。
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2号館と1号館の間にはプールがある。
季節柄、シートに覆われていたが、青い水をたたえたプールを前景に大使官邸を撮ったらどんなに美しいだろう!
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この日はあいにくの曇り空で「残念ですねー」と話していたが、イギリスの天気ってこんな感じなのかも、と思った。
イギリスには行ったことがないけれど、イギリス通の木谷さんは、「この景色、ほんとにイギリスに来たみたいですね!」といっていた。
そうか!ここはイギリスなんだ!
日本統治時代にここを訪ねた外国の旅行作家たちは、彼らの著作の中で、英国大使館(当時は領事館)の建つ丘を、慣れない朝鮮の中の安息の地として褒め称えている。
ああ、イギリス、行ってみたいな…。
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さて、またまた長くなってしまったので、次回に続く!

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# by matchino | 2016-04-16 21:59 | 建築 | Comments(0)

駐韓英国大使館を訪ねる その1

徳寿宮の北側に、前から行ってみたかった場所がある。それは駐韓英国大使館。普段は関係者以外は入れないし、外からも建物の一部が見えるだけ。昨年、一度だけ開かれた公開イベントでは、80人の定員で、500人以上の応募があった。私にとってはまさに、「シークレット・ガーデン」だったのだ。

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これは2年ほど前に英国大使館の北側のビルの屋上から撮った貞洞の写真。
中央が徳寿宮で、そのすぐ下が英国大使館。左の赤い屋根は聖公会ソウル聖堂。

その英国大使館に、関係者の方の特別な計らいで入れることになった。思いもよらない展開に大興奮だった。

行く前に資料を調べて予習する。でも、情報は極端に少ない。特に建築について調べたいと思ったが、設計者の名前と、基壇部分と屋根の構造にコンクリートを使ったくらいの情報しかない。様式としては、古典主義を植民地に合わせて適用した「コロニアル・スタイル」というものだということが分かった。

大使館に入るので、名前とパスポート番号を事前に登録し、訪問時間や滞在時間なども申請する。否が応でも緊張感は増した。
そして、英国大使館の歴史を調べてみると、韓国との間で摩擦が多かったようだ。徳寿宮の石造殿から大使館の中が見えるので、見えないように木を植えてほしいという要請が大使館側からあったとか、日本統治時代に日本を妨害した英国人の裁判を行ったとか、英国大使館について調べる中で読んだ本の著者の感情が入っているかもしれないけれど、あまりいい情報はない。「開放の時代において、自ら殻に閉じこもっているのではないか」とまでいうのだ。

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今回、調べた本「貞洞と各国公使館」

そしてさらに、昔は徳寿宮の北側には道があって通れたのに、今は英国大使館に塞がれて通れなくなっているという話まである。
どうなってるの、英国大使館!

しかし、実際に訪問してみると、すべての否定的なイメージはガラガラと音を立てて崩れ落ちた。それどころか、英国についてもっと知りたい!という好奇心まで湧いてきた。

イギリス、いいぞ!

導入で長くなってしまったので、本編は次回に!

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# by matchino | 2016-04-15 21:59 | 建築 | Comments(0)

浅川巧さんの墓地を訪ねる

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次女が「アッパ、峨嵯(アチャ)山に行こう」といいだした。お、来たぞ来たぞ!
実は、峨嵯山からつながる忘憂(マンウ)山に前から見に行きたいところがあったのだ。
それは、日本統治時代に韓国を訪れ、韓国の民芸を愛し、日本に紹介した浅川巧さんの墓地。
それで、忘憂山に行くことに。娘よ、すまない。

私が住んでいる九里市から、ソウルへ抜ける忘憂里峠を越える道があるが、途中で左に入っていくと共同墓地がある。忘憂山から峨嵯山にかけてずっと共同墓地になっているのだ。
韓国のお墓は日本のお墓と違って、公園のようなのどかさがある。墓地の間に作られた散策路には、色とりどりの登山服を着た人たちがたくさん歩きに来ている。春になってサンシュユやレンギョウも咲き始めていた。

位置をネットで調べていこうと思ったが、詳しく出ているものが見つからなかったので、とりあえず行ってみたのだが、お墓の数があまりにも多すぎて、現場で娘に検索させてみた。
すると、あるブログにトンナクチョン薬水場の近くだと書いてあった。でも、ネットの地図には薬水場が出ていない。散策路の入り口にある地図には表示されていたが、どのくらいの距離なのかも見当がつかなかった。
まあ、道は一本なので、たどり着くだろうと歩き始めた。

中1の次女と3歳の末っ子を連れてきたので、末っ子のペースに合わせて歩いていくが、なかなか見えてくる兆しも見えない。たどり着けるのか不安になってきて、下の子をおぶって歩くことにした。
娘が私の背中でうとうとし始めたようだ。次女もペースが遅れだした。
うーん、いつになった着くんだろう…?

家を出てからもう2時間が経とうとしていた。次女も遅れているので、ちょうど道の脇にあったベンチに腰を下ろした。
次女が来るのを待って、「どうする?たいへんだったら帰ろうか?」と訊いてみると、「ここで帰ったら後悔する気がする」と。なかなか根性があっていいぞ。

で、もう一度歩き始めると、なんと50mも行かないところに薬水場があった。
さっきのブログにあった地図を見てみると、まさにここだ!
娘がいなかったら目の前であきらめて帰ってしまっていた!

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暖かい日差しが当たるいい場所に浅川巧さんの墓はあった。
隣の碑には、「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人、ここ韓国の土となる」とあった。
じーんと来るなあ。。。
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碑の裏側には略歴が刻まれていた。
朝鮮総督府の山林課に勤めていたとあった。それで「山と民芸を愛し」なんだな。
そして植木日の行事の準備中に殉職したとある。
40歳。私よりも若い!
そんなに若くして亡くなってしまったんだ。
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以前、韓国の民芸を愛し、日本に紹介した柳宗悦さんの本を読んだことがあるが、浅川さんの本も読んでみないとだな。
私は韓国の土になるのかどうかはまだ分からないけれど、韓国で生きた日本人として、何か残せるだろうか。

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行ってみたいという人たちのために、行き方を書こうと思ったけれど、ソウルナビに紹介されていたので。
それにしても養源駅から歩かせるかー。まあ、へたにバスに乗るよりはいいかも。
だいたいの位置が分かるように、その場で地図を撮っておいた。
青い三角の位置が浅川さんのお墓。
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# by matchino | 2016-04-04 20:37 | 旅行 | Comments(0)

毋岳洞「獄バラジ旅館通り」を歩く

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毋岳洞(ムアクドン)「獄(オク)バラジ旅館通り」を歩いてきた。

ここは西大門刑務所に収監されていた独立運動家に面会するために、地方から上京してきた家族が宿泊した旅館が並んでいるところ。獄中にいる人に食べ物や服などを差し入れして世話することを「獄バラジ」というので、その通称がつけられた。独立運動家の金九の母親もここで泊まったという。
しかし、刑務所が義王市に移ってからは、旅館は廃れ、貧しい人たちが住む街となっていた。最近、再開発が決まり、住民の移住と撤去作業が始まっていた。

そんな中、「獄バラジ旅館通り」としての歴史的価値を根拠に、この町を残そうという運動が立ち上がった。そのイベントがあるということで、さっそく訪ねてみた。イベントには路地裏大将のランスキー先生こと金蘭基氏の路地裏ツアーチームも参加して、一緒にこの町を回ることになった。
まず、ビルの一室で、運動の中心となっているらしい住民の一人が涙ながらに保存を訴え、町歩きに出発した。
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平地には4階建てくらいのビルが建っているが、斜面を登ると階段式に韓屋が建っている。
再開発の前の撤去作業によって、散らかり放題だが、家屋の基本構造は残っているため、韓屋の勉強ができた。今読んでいる「韓国の住宅、その類型と変遷史」に書いてあった内容を実際に確認する機会ともなった。

この辺りの韓屋は1930年代に建てられた都市型の改良韓屋。宅地開発業者が数十件単位で建てた分譲するという形式だ。そのため、「住む」ための目的だけでなく、「売る」という目的も加わった最初の家屋がこの時代の改良韓屋だ。
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「売る」という目的がよく表れているのが「ソロ」。上の写真にある、小さな四角い部材のこと。これは、「ドリ」または「チャンヨ」と呼ばれる横材を下から受ける形で付いている部材で、本来は高級な家屋に見られるものだという。それで、見た目だけでも高級感を持たせるために「ソロ」の形を貼り付けたもので、「タクチソロ」と呼ばれているということ。写真の家屋では左にもあったであろう「タクチソロ」が落ちてしまっている。
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オンドルの煙突。案内してくださったランスキー先生は「土管の煙突は久しぶりに見たなあ」と。
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ランスキー先生が、「マチノ、ちょっとこっちへ来てごらん」と呼んで説明してくれたのが、このT字型の窓。明り採りの横長の窓の下に、小さな縦長の窓がある。今は塞がれているが、昔は出入り口だったのではないか、とのこと。他ではなかなか見られない形式だという。
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「第一洋服店」の看板。洋服とは韓国では背広のことを指すが、ランスキー先生曰く、「こんなところに背広を仕立てに来る人がいると思いますか?私の推測では、囚人服を作っていたんじゃないかと」。なるほどー。だてに路地裏大将やってないな!
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この後、運動をしている人たちに聞きたいことがあって、先ほどの会場に戻ったが、住民とのいざこざがあって、再開発の管理事務所に行ったという。夜にはライブをやるということだったが、とりあえず帰ってきた。

実は最初に説明する時も、建物のオーナーが怒鳴り込んでくるトラブルがあった。いろんな利害関係がからんでくる複雑な問題なのだ。
聞きたかったのは、保存運動をする人たちに代案はあるのかということ。住民のほとんどがここを去り、建物も半壊したような状態で、ここをどのように活用していくというのだろうか?機会があれば聞いてみたい。
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# by matchino | 2016-02-28 18:05 | 建築 | Comments(0)