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〈マチノアルキ〉龍山の古アパートと日本式家屋と路地を歩く その1

以前、私が城北洞から梨花洞、昌信洞を案内した美女2人から、「また路地に連れてって!」という要請が来て、マチノアルキを決行した。
今回のエリアは龍山区。古いアパートと日本統治時代の建物を巡った。

地下鉄4号線三角地駅に集まって歩き始めた。
が、路地に入ろうとした途端、2階にある写真館に目が集中!古い建物に古い写真館。
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幸先のいいスタートを切って、最初に訪ねたのは、三角マンション。
1972年に建てられたアパートで、かなり老朽化している。再開発の話もずっと前から出ているものの、いつも頓挫してきたのだという。
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そして、このマンションの隣にある敷地は、日本統治時代の京城電気株式会社の倉庫地であり、それを受け継いだ韓国電力の倉庫地だった所で、当時の木像倉庫が残っている。
三角マンションとこの倉庫を敷地内から見たかったが、今回はマンションの敷地に入ることができた。すると、すぐ隣に木造倉庫が見える!
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この近辺は日本家屋がたくさん残っている。
けっこう広い敷地に残る大きな家屋。2階のベランダには障子が見えたりして、中がすごく気になる。
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やはり統治時代の建物で、日本の建設会社の間組(はざまぐみ)の社屋だったという。ところどころタイルが貼り直してあったりして、「あのタイルは当時のものかなあ?タイルって時代によってサイズとか違うんだよね」とインテリアの専門家の釜山LOVEさん。
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再開発の波の中でも残された建物。増築された痕跡が残る。
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統治時代、日本の医療団体である「同仁会」が建てた龍山鉄道病院。1907年に建てられた。
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普段は入口を柵に塞がれているが、なんとこの日は柵の門が開いている!車が停まっていて何かの作業をしているようだった。
「入っていいですか?」と聞こうと思ったけれど、やぶ蛇になるかも知れないので、そのまま中へ。まったく制止もされずに入れた。ラッキー!
中は廊下を挟んで両側に診療室らしい部屋が並んでいる。部屋には当時の洗面台が残されていた。窓以外は古めかしい感じはない。
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診療室以外の部分はアーチになっている。エントランスの部分かと思ったが、建物の凹んだ部分にあたるため、もしかしたら小さな庭に面した待合室のような所だったのではないだろうか。
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↑この部分。


階段の丸窓が古めかしい感じでいい。
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が、階段の壁がきれいになっていた。新しく改装されるのかもしれない。きれいになってしまう前に見られてよかった!
2階もほぼ同じような形で診療室が並んでいる。
廊下の天井の門がアールになっているのが興味深い。
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龍山駅から二村駅に向かう線路の周辺は、統治時代の鉄道官舎がところどころに残っている。多くが建て直されてまばらにしか残っていないが、小さな切妻屋根の家屋がいくつか見つかった。
…けど、官舎の写真は撮ってなかった!すみません…
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さて、この次はセナムト殉教聖地へ!
次回へ続く。

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by matchino | 2015-08-30 12:10 | マチノアルキ | Comments(8)

建築家・鄭奇鎔氏の茂朱プロジェクトを訪ねて 予習編!

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全羅北道の茂朱(ムジュ)郡に行くことになった。
韓国観光公社の祭りモニターとして、茂朱蛍祭りに行くことになったのだ。
1泊2日で、祭りを体験し、周辺の観光地を回ってくるというミッションが課せられる。
それで、茂朱郡の観光地について調べてみた。
山と川がきれいで、山葡萄のワインが飲めるいいところらしい。
でも、個人的にはアート&建築系を見てきたい。
いろいろと調べるうちに出てきたのが、鄭奇鎔(チョン・ギヨン)氏という建築家の話だった。
鄭奇鎔氏は、10年にわたって茂朱のさまざまな公共建築を手がける「茂朱プロジェクト」を行ったのだという。

さて、鄭奇鎔氏の名前に触れたのは今回が初めてではない。
国立現代美術館で建築関係の展示がシリーズで行われているが、その最初の展示が鄭奇鎔氏のアーカイブ展示だった。大腸ガンで亡くなった鄭奇鎔氏が、自分のさまざまなスケッチや資料などを国立現代美術館に寄贈したが、そのアーカイブが「絵日記」という題名で展示されていた。
鄭奇鎔氏の代表的なプロジェクトである「奇跡の図書館」や、貧しい人たちのための「土の家」など、人にやさしい建築をつくるその思想にとても感銘を受けた。

そして興味を持ったので、「奇跡の図書館」について書いた本も読んでみた。
「奇跡の図書館」は、「ヌッキムピョ」というテレビ番組で行った、図書館のない田舎の町に子供のための図書館を建てるというプロジェクト。全国各地にいくつもの図書館が建てられたが、その建築家として抜擢されたのが鄭奇鎔氏だった。鄭奇鎔氏のこの図書館の建築に対する思想がとても感動的で、子供の目線に立った図書館設計がとてもすばらしいと思った。
奇跡の図書館をぜひ一つでも見てみたいと思っているが、皆、田舎にあるため訪ねる機会がなかった。

そして思いがけず、鄭奇鎔氏の建築を見に行く機会がやってきたのだ。
ネットで調べてみると、茂朱に「鄭奇鎔建築ツアー」に行っている人が何人もいた。
茂朱プロジェクトについては鄭奇鎔氏が「感応の建築」という本に書いているということなので、茂朱に行く前にその本を読んでいる。
郡庁や面事務所、昆虫博物館、郷土博物館、運動場、バス停など、小さくとも意味深い建築がたくさん建てられたらしい。
プロジェクトから何年も経っているため、今はどのように使われているのか、この目で確かめてみたいと思う。

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by matchino | 2015-08-23 22:03 | 建築 | Comments(0)

廃焼却場を利用した美術展「空間の耽溺」展

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韓国のあちこちで、廃墟となった空間の再利用がなされているが、また新しい再利用空間が誕生した。
仁川に近い、京畿道富川市の廃焼却場が文化空間として生まれ変わったという。その第1回のイベントとして、19人の芸術家たちが作品を展示する「空間の耽溺」展が開かれている。
廃墟好き、インスタレーション好きとしては行かずにはいられない展示だ。家から2時間、電車とバスを乗り継いで行ってきた。

富川駅からバスに乗って30分。近くの停留所から歩いていくと、交差点に門が面していて、展示の横断幕が張られていた。
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入ってすぐ事務棟があり、その建物で展示が行われていた。

建物に入るなり、廊下の一面が茶色い紙とテープで覆われている。さらに左側の廊下に入っていくと、廊下全体が紙とテープに覆われていた。
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クリストの建物を覆ってしまうプロジェクを思わせる。内部から覆っているからクリストの反対だな。部屋に入ると、部屋の中にまで紙が入り込んでいた。

そして、部屋の片隅には廃材で作られたオブジェ。
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他の部屋ではスタッフが、一般人対象の参加型プログラムを準備していた。
が、観客は誰もいない。まだ早い時間とはいえ、一人もいないとは…。

さて、地下と2階にも展示があるらしく、まず地下に降りてみた。
地下は薄暗く、映像が再生されているような光が部屋から漏れていた。
階段を降りきったところで、足を踏み外してしまった。
と思ったら、

「あ! 水!」

足を踏み外したところに水たまりがあったようで、靴が濡れてしまった。
子供を前におぶっていたので見えなかったのだが、地下は床一面水浸しで、人一人が通れるくらいの足場が作られている。
雨が入り込んだのかと思ったが、足場を伝って部屋に入って驚いた。
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部屋の奥の一面に映像が投影されていて、下の水にその映像が反射している。部屋が暗いので深い池のようにも見えて、神秘的な雰囲気さえ感じさせる。

地下には3つの部屋があり、そのすべてが水が張ってあった。
隣の部屋には壁に工場の内部の写真が展示されていて、奥には煙突のようなオブジェがあって水蒸気の煙を吐き出している。怪しげな工場のようにも見えるが、森の中の池で不思議な生物に出会ったような感覚もする。
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もう一つの部屋はさらに暗くなっていて、外からの光が差し込む一角があり、その反対側には木で作られたボートと小屋のオブジェが、水の上に浮かぶように置かれている。
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この三つの部屋は4人の作家による展示だが、床に水が張られていることによって作品がより一層引き立つ。これは作家たちが自ら提案したものなんだろうか。ロケーションとも相まって素晴らしい展示だ。
(追記: この水が張ってあるのは、浸水してしまったものをそのまま活用したのだという。そういうことができるセンスって素晴らしい!)

2階の展示も面白かった。
部屋に入ると、部屋の一角には焼却場時代のものらしい機械が置かれていて、部屋の真ん中には天井から下がった水風船。
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機械とオブジェと、広い窓のある部屋の雰囲気との不思議な調和。

2階の他の部屋はまあまあ。
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この建物の向こうにも大きな建物があって、そちらの方に行ってみたが、入り口にシャッターが下りている。スタッフに訊いてみると、積んであった段ボール箱が雨と風で倒れてしまったため、閉鎖したという。
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スタッフは「作品だけ見ますか?」と、裏口に案内してくれた。
大きな倉庫のような空間にいくつかの作品が展示されていた。
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何本かの細長いライトが並んでいる。
これを手で触ると手の熱に反応して光が集まってくる。
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36個のスピーカーが円形に吊るされていて、ときどき「ごおーん」という鐘の音が聞こえる。
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50年代にこの焼却場が建てられてから、産業化がなされてさまざまな出来事が起きてきたが、それらの出来事を旗によって表現したという。緑色の旗がセマウル運動の旗を思わせる。床に置いてある三つの星はサムスン(三星)だという。
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そして最後の作品。
柵があって、その向こうは…虚構⁉︎
…と思うくらいの広い空間が広がっていた。というよりは、天井が高くて下も深い。そして正面には巨大な布が風にゆっくりと揺れている。
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ゴミが最終的に集められる空間だったそうで、この空間だけで圧巻!
布には白い光が投射されて弧を描く。
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隣には、その光の軌跡を合成して月の姿を作った写真作品があった。
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これからどんなイベントが行われていくんだろうか?
家から遠くて行くのは大変だが、また来てみたい。

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by matchino | 2015-08-09 20:31 | 展覧会 | Comments(0)

大学路の恵化洞聖堂

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数年前に建築の本を読んで、見に行きたくなったのが、切頭山殉教聖地の教会。
建築家・李喜泰氏の設計で、建築の本を読むとたくさん出てくる名前だった。
そして大学路あたりを歩きながら気になったのが、恵化洞聖堂。設計は李喜泰氏。
いつか行ってみようと思っていたところ、時間ができて行ってみた。

地下鉄4号線の恵化駅から北に数分歩くと、東南アジア系の人たちが歩道にテントを張って食材を売っている。恵化洞聖堂に通うフィリピン人たちなんだそうだ。
そのテントの群れを過ぎると間も無く現れるのが恵化洞聖堂。
坂の上に、更に階段の上に聖堂が建っているため、遠くからでも塔や白い壁のレリーフがよく見える。

花崗岩のレリーフは、金世中が原画を描いて張基殷と共に作成した「最後の審判図」で、イエスを中心に4人の福音書の著者たちの象徴が刻まれているんだという。
でも、イエス以外は、羽が生えた動物で、一人は人間の姿をしている。
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どの動物が誰を示しているのか、ネットではそれ以上の詳しい説明は見つからなかった。で、図像学について調べてみて、やっと誰なのか分かった。左から、マルコ(獅子)、ヨハネ(鷲)、マタイ(人間)、ルカ(牛)なんだそうだ。

その左側には花崗岩の白い壁と対比になっているレンガ造りの四角い塔。そこにもレリーフが飾られている。このレリーフは恵化洞教会の守護聖人である聖ベネディクト。

普通、教会建築は左右対称になっていることが多いが、ここは非対称になっている。
前に読んだ本によると、西洋では秩序を重要視するため対称を多用し、韓国の伝統建築ではなるべく非対称になるようにするんだとか。
この教会も、西洋建築でありながらも韓国の伝統を取り入れようという試みがなされた初期の教会建築なんだという。
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正面に三つのドアが付いていて、ドアには四角いガラスがはめ込んである。中に入ってみると、ステンドグラスだった。
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人が少ない時間で照明が点いていないためか、玄関ホールは薄暗くなっていて、ステンドグラスがよく見える。
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礼拝堂のドアをそっと開けると、シスターや信徒たちが何人か祈りを捧げている。一緒に来た娘に「静かにするんだよー」と言って中に入った。

右側のドアから入ると目の前に見えたのがいばらの冠を被ったイエスの像。
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そしてその向こうに信徒席があり、祭壇がある。
祭壇はモザイクタイルで何かが描かれている。空なんだろうか、左の方に太陽が描かれているが、抽象的な絵だ。
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礼拝堂の両側には正方形のステンドグラスが3つずつ。
左側は聖書の物語に関する絵なんだろうか。
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そして右側は鳩と十字架と太極。
韓国を代表するイメージが入っているのも興味深い。
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右側のステンドグラスは黒い部分がはっきりしているのに対し、左側のものは黒のキワがぼかしというか、かすれというか、独特な効果を出している。それで、作家が違うのかと思ったが、李南圭という作家が数年かけて29点作ったんだという。
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娘が静かにしていられる限界が来たので、礼拝堂を出た。
祭壇の横のステンドグラスも見たかったけど、残念。後で調べてみると、祭壇の右側には韓国の103人の殉教者たちの姿が描かれた絵がかかっているらしい。これも次に見に行かないとだな。
後で調べてみると、この聖堂はキリスト教美術の宝庫ともいわれるような所で、著名なキリスト教徒の作家たちの作品がたくさんあるんだという。

建物の外を回ってみると、ステンドグラスの脇に薄いコンクリートの板が突出している。なぜこのような構造になっているのか、ちょっと考えてみた。礼拝堂の中に柱がないため、壁で屋根を支えなければならないけれど、ステンドグラスも大きいので、壁にも荷重をかけられる幅をとるのが難しい。それで、壁の一部を外に突出させて面積を稼ぐことにしたんではないだろうか。誰かに聞いてみよう。
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これは祭壇の右にあるステンドグラスの外側。
機能的な構造なんだろうけれど、なんかいい感じ。

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聖堂を後にし、梨花洞を散歩して帰った。
大学路あたりってなかなかいい建築と路地が多い。
また来よう。

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by matchino | 2015-08-05 22:32 | 建築 | Comments(0)