カテゴリ:街歩き( 3 )

徽慶洞の再開発地域を歩く

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ソウル建物年齢地図というサイトがあることを最近知った。ソウルのすべての建物の使用承認を得た年度を記載したというものすごい地図。それで気になっていた建物の年代を興奮しながら調べまくった。
そして、思いついたのが、古い家屋がある辺りを歩いてみようかと。

徽慶洞の古い家屋について昔書いたことがあったが、その反対側のあたりにも古い家がけっこう残っていることを最近発見して、歩いてみることにした。
地下鉄1号線の回基駅に着く前に電車の窓からだいたいの位置の目星を付ける。
が、解体作業用の幕が張られている!再開発されてしまうのか!

回基駅を出てしばらく歩くと、気になっていた連立住宅があった。年代は1980年。

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その向こうにも古そうな建物が見える。


そこから少し歩いていくと、空き家が並んでいた。やはり再開発の地域になっており、住民はすでに出ていたのだ。
古い一階建ての家屋がいくつもあった。こういう瓦屋根の家は1960年代のものらしい。

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すでに撤去された残骸の向こうに古い家屋が見える。

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その中で見つけたとんがり屋根の家。何の家だろうかと気になって前まで行ってみると、「荷居堂」という文字。巫堂の家なんだろうか。
とんがり屋根の中の窓も面白いが、その脇に書かれた「永存」が何を意味するのかと気になる。

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この屋根に気を取られて気付かなかったけれど、家に入る細い路地の両側の塀には絵が描かれていた。

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アングルの「泉」とか

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朝鮮戦争のときに空に現れたイエスの姿とか
(その上のはダリの描いたイエス?)

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虎とか。
元の絵が分かるものもあれば、分からないものもあって、不思議な感じだ。
どんな人が、何の目的で描いたんだろうか。まあ、ただの趣味なのかもしれないけれど。

さらに路地を回っていると、古い倉庫のような建物を見つけた。

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通りの表側に回ってみると、道路から少し奥まったところにこの建物の入口があった。
今も使われているようだ。

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写真を撮っていると、一人のおじさんが現れた。
「何かの工場なんですか?」と訊いてみると、
「そう。11の小さい工場が入ってるんだ」とおじさん。
「ここも再開発の地域なんですか?」
「いや、再開発はこの裏側だよ。この建物の2階が再開発の事務所」といって、隣のビルを指差した。
よかった。とりあえずこの建物は残りそうだ。
今度中を見せてもらおう。

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by matchino | 2017-06-18 12:19 | 街歩き | Comments(0)

中林洞・ホバクマウル

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最近、中林洞(チュンニムドン)がアツい。らしい。
来週(5月20日)にはソウル駅の高架道路が歩道としてオープンするし、聖ヨセフアパートがKBSの「ドキュメンタリー3日」という番組で紹介されたりしていた。

その日の放送内容はこちらから視聴できる。(会員登録が必要)

ちょっと調べたいこともあって、中林洞へ。
ソウル駅で降りて、いつものように文化駅ソウル284の前を通る。
そうすると、道を塞ぐ大量の靴!

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ソウル駅の高架道路のオープンに合わせたオブジェなんだろうか。
今思うと、近くに塩川橋の靴屋通りにちなんでのことかな。

その塩川橋に行ったら、解説板が立てられていた。
解説によると、塩川橋のいわれについて、「火薬を製造する焔硝庁(ヨムチョチョン)があったということで『ヨムチョチョン橋』といわれていたが、音が変わって『塩川橋(ヨムチョンギョ)』となった」とある。
以前、ネットで調べたときは、毋岳川(蔓草川)に架けられていた塩川橋という橋があったが、川が暗渠化したことで橋がなくなり、その名前を持ってきてつけたとあった。どれが本当なんだろうか。
今の塩川橋ができたのは鉄道が敷かれた後だから、なくなった以前の塩川橋は1900年以前にすでに暗渠になっていたところにあるはず。
それで地図を調べてみると、1908年の地図では、独立門のあたりから下流は暗渠になっていないので、以前の塩川橋は独立門より上流にあるはずだな。
どこにあった橋なんだか気になる…。

さて、塩川橋を渡って薬峴聖堂の前を通って聖ヨセフアパートへ。前から行きたかったカフェ「コーヒーパンアッカン」に寄ろうかと思ったけれど、残念ながら店じまい中で、次回に行くことに。

さあ、今回の目的の中林洞のタルトンネにやってきた。
以前、訪ねた時に気になっていた地域だけれど、最初に紹介した番組によると、「ホバクマウル」というらしい。
でも、ちかぢか再開発されるようで、ところどころに赤いスプレーでバツ印が付けられていた。

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路地に入っていくと、思いがけないバラのトンネル。
韓国では珍しい白バラだった。

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今まで注意してみたことはなかったけれど、つぼみにうっすらと薄紅色が指していた。
開いた花は真っ白なのに、あの紅色はどこに行ってしまうんだろう。

このブロックを回っていくとなかなか面白い。
カラフルなシートが窓に貼られた床屋。
外から見えないようになっているっていうことは、あの噂のいかがわしい床屋なんだろうか…?

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大通り側に出ると、資材を売る店。
茶房(タバン)的な看板がいい。けれど、閉店して久しいようだ。

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この並びにも撤去のバツ印が。なんとか残って欲しいけれど、難しいかな…。

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by matchino | 2017-05-14 22:15 | 街歩き | Comments(0)

ソウル駅春の散策 その2

「ソウル駅春の散策」の続き。
スタンプラリーが終わってもう一度、塩川(ヨムチョン)橋に戻って出発した。
今回のガイドは、「ソウル散策」という社団法人の方。建築を専攻して、町づくりの事業をしているらしい。

今回のコースは、塩川橋の靴屋通り − 薬峴聖堂 − 孫基禎体育公園 – 国立劇場
まず、塩川橋のたもとにある手製靴通りについて話してくれた。ここに手製靴の店ができたのは、日本統治時代のこと。ソウル駅の裏に物流倉庫があって、そこから流れてきた皮の端切れでここに靴市場ができたのが始まりだという。けれど、ネットで調べてみると、米軍のブーツを修繕することから始まったとか。何が本当なんだ…?
ソウルの手製靴通りとして有名な聖水洞は、ここが狭くなって移った人たちがつくった町だとのこと。全盛期にはここに地方から観光バスで商人たちがやってきて、靴を買っていったという。
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そして、実際に靴屋に入って話を聞いてみた。一階は店で、地下には工房があるということで見せてくださった。もう何十年も使っているだろうミシンがいい感じ。ミシンは日本製か?
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次に訪ねたのは薬峴(ヤッキョン)聖堂。明堂聖堂よりも早く建てられた、ソウルで最初の西洋式教会建築だったが、1992年、放火により全焼。現在のものは、以前のそのままに再現されたもの。でも、「昔のもののほうがもっと美しかった」と語る人が多いという。って、どういうこと⁉︎
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この辺りは坂が多い。ベビーカーを押してだとたいへん…。
聖堂から少し降りて、また登ったところにあるのが孫基禎(ソン・キジョン)体育公園。1936年、ベルリンオリンピックでマラソンで金メダルをとったけれど、日本統治時代だったために日本の選手として記録が残っている孫基禎選手を記念してつくられた公園。孫基禎記念館としてレンガ造りの建物が残っており、これは孫基禎選手が通った学校の建物だったという。
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この建物の脇には大きな木が植わっているが、孫選手がオリンピックで月桂冠の代わりに受けたオークの苗を植えて大樹となったもの。
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孫基禎体育公園から丘を下り、昔は西武駅と呼ばれたソウル駅の裏側の方にやってくる。このあたりもけっこう古い家屋が残っていて、ソウル駅の表側とは大きく違いがある。再開発がなされていないのは、この辺りにキムサ(国軍機務司令部)の輸送隊があり、この周辺の建物の高さ制限がされていたためだという。キムサ輸送隊は情報を収集・分析する役割をしたために外から監視ができないようにしたと説明してくれたけれど、輸送隊が情報を管轄ってどういうと?まあ、キムサ自体が泣く子も黙る恐ろしい機関だということなので、キムサだけでも充分か?
1981年から30年間、キムサとして使われていたが、移転してからは国立劇場として使われている。キムサで使っていた建物をそのまま残して赤く塗っている。中も見学してもいいということだったが、公演中ということで入れず。
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私が気になったのは、ここが日本統治時代にどんな場所だったのかということ。訊いてみると、工場が集まった地域だったとのこと。

最後にもう一ヶ所、ケミスーパーを訪ねる予定だったけれど、スーパーの主人が手製靴通りのイベントに遊びに行ってしまったということで訪問できなかった。事前に連絡しておいたのに忘れていたようだ。なんかこういうゆるさがいい。
というわけで、約1時間の散策は終了。なかなか楽しかったし、また来てみたい所がたくさんあった。
「いつもは散策プログラムを有料でやってるんですけどねー」というガイドさん。これから本格的に散策プログラムを始めるということなので期待してみよう。


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by matchino | 2016-05-03 22:38 | 街歩き | Comments(0)