カテゴリ:建築( 75 )

近代的に改良された韓屋・都正宮慶原堂

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うちの会社の向かいに立派な韓屋が見える。社稷壇のすぐ隣で、何の韓屋なのか気になって見に行ったことがあるが、誰かの邸宅のようで入ることができなかった。
あとで調べてみると、都正宮の建物で、現在は現代グループの会長宅として使われているという。他の建物はほとんどが解体されてしまったが、建国大学の敷地内に慶原堂(キョンウォンダン)という建物が移転されているということが分かった。
偶然にもこの建物のことが、今読んでいる「韓国の住宅、その類型と変遷史」に出ていたので、気になって訪ねてみることにした。

地下鉄7号線のオリニ大公園駅で下りて、歩いて10分ほどで建大の正門にたどり着く。途中、慶原堂の標識もあった。有名な建物なんだなあ。

大学の建物を見ながら歩いて行くと、目当ての慶原堂があった。
が、門が閉まっている!長期の休みの期間には閉めて、観覧を希望する場合には事務所に連絡するようにとの案内があった。電話してみたが、取らない。旧正月で休みなんだろう。また来ないとだな。

それでも塀の外から眺めてもけっこう面白い。
伝統韓屋ではない、西洋建築や日本建築の影響を受けた都市型の改良韓屋だという。

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まず、玄関が目に入る。
伝統的な韓屋が部屋から直接マダン(前庭)に出られるようになっていて玄関がないのに対し、玄関から入るようになったという変化が見られる。
玄関に西洋建築的なポーチがあるというのも特徴的だ。西洋建築の要素でありながらも、ポーチの屋根は韓屋の瓦の様式となっている。
玄関の扉は開き戸ではなく、引き戸だという。扉にはガラスが入っており、上部はアーチになっているなど、西洋的な要素が入っている。

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玄関の向かって左側がアンチェ(女性たちの空間)となっており、伝統的な韓屋が扉がないのに対し、ガラスの扉が入っているのも改良韓屋の特徴。
伝統的な韓屋の場合、男性の空間であるサランチェと女性の空間であるアンチェが別々の建物になっているのが普通だが、この建物は右側がサランチェ、左側がアンチェで、中の廊下によってつながっている。台所も連結部にあるらしい。
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右側の部分は床を高くした部屋である「楼マル」となっているが、その下の地下室はトイレと浴室があり、裏口から出て階段で降りるようになっているという。
「韓国の住宅、その類型と変遷史」に書いてあった内容だが、実際に入って確かめてみたいな。
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右側の楼マルを外から見るだけでも興味深い部分が多い。
窓の下にはタイルが貼られているようで、改良韓屋で安いタイルが貼られているのは見たことがあるが、こういうタイルを見たのは初めてだ。
縦長のガラス窓の中央より少し上には山のような模様が入っている。これはもしかして、富士山…? 江華島の黄氏家屋には富士山の絵が入って窓ガラスがあって、あれはまさしく富士山だったけど、これはどうなんだろう。気になる。
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慶原堂は入れなくて残念だったけれど、この他にも面白い建築が幾つか見つかった。その話は次回に!

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by matchino | 2016-02-17 21:13 | 建築 | Comments(0)

清州建築旅行 4 清州聖公会聖堂

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清州旅行、最後の訪問地は、聖公会の聖堂。
聖公会はソウルと江華島の聖堂に行ったことがあるが、どれも私の大好きな建築。
ここ、清州の聖堂も韓洋折衷の聖堂ということで期待して行った。

先ほど訪ねた道知事の旧官舎の隣の丘の上にあるらしいので、一本隣の道を入っていった。丘の上に聖堂が見えるが、地図によると、反対側に進入路があるようで、そちらに回っていくことにした。
ところが、その途中に丘に登っていく道を見つけて入ってみた。すると門柱があって、「大韓聖公会清州教会」と刻まれている。道はそんなによくないが、久しぶりに冒険家族としての血が騒ぎだし、登ってみることにした。
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昔はここが入り口だったのだろうか、荒い石畳みの急な坂道だったが、ベビーカーを押していくにはあまりにもでこぼこが激しかった。
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結局、ベビーカーを長女に任せ、下の子をおぶって登ることにした。
ひいひい言いながら登っていくと、木々の間に聖堂が見えてきた。
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最後の階段を登ると、聖堂の真裏に出た。やはり、聖堂の脇にはきれいに舗装された道路。まあ、昔の信徒たちの道を体験したということでよしとしよう。


1935年に建てられたこの聖堂は江華島の温水里聖堂を思わせる造りで、韓屋スタイル。合閣部分にモザイクでつくられた大きな十字架。遠くからでもよく見える、この聖堂のシンボルだ。
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扉の様式は韓国式というべきだろうか、それでも独特な形だ。
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中に入ってみたかったので、正面のほうへ回ってみる。側面から全体を撮りたかったが、逆光で、残念。
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それでも陽の当たる側は日差しが暖かい。
側面にある入り口をみつけたが、扉は閉まっていた。鍵はかかっていなかったが、「関係者以外は立ち入らないでください。ここは見物のための場所ではありません」との張り紙。どうしようかと迷ったが、教会の意を尊重してそのまま帰ることにした。
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舗装された急な坂を下りると、「スアムゴル」の標識があった。娘に「キム・タックのロケ地があるんだけど、行ってみる?」と聞くと、「帰り道だったら行ってみよう」ということで、行ってみることに。けっこう距離はあったけれど、どうせ停留所に行く道だし。
スアムゴルは、「製パン王キム・タック」や「カインとアベル」などのロケ地で、いわゆる壁画マウル。御多分に洩れず観光地化していて、若い男女がたくさん。私も娘もそれほど興味はなかったので、すぐに帰ってきた。
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バスの停留所に着いて、帰宅。2時間半で家に到着した。日帰りでも十分見てこれるのがいいな。
今回は昔のタバコ工場がバスの窓からしか見られなかったので、清州工芸ビエンナーレの時にまた来よう。2年後だな…。

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by matchino | 2016-02-15 21:46 | 建築 | Comments(0)

清州建築旅行 3 清州塔洞洋館

清州建築巡り、この日のハイライトは宣教師住宅。
1900年代の初めの大韓帝国時代から日本統治時代の初期に韓国に定着した米国の宣教師が建てた韓洋折衷式の住宅で、「清州塔洞洋館」の名で親しまれている。
洋館は1号から番号が振られていて、6棟あるうちの3号から6号までは一信女子高の敷地内にある。

洋館2号

地図で一信女子高の位置を確認して行ってみると現れたのが、洋館2号。忠北老会の建物として使われており、門は閉まっているので近くからは見られなかった。6棟の洋館のうち最後の1932年に建てられたもので、壁には年号が刻まれた石がはめられている。
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他の洋館はどこにあるだろうと振り返ったとたん、丘の上に美しい洋館の姿が見えた。
洋館2号よりもっと美しい感じ。
女子高の敷地内のようだったので、なんとか近くから見てみたいと入り口を探してみた。
他にも幾つかの洋館が見えたが、入り口はことごとく閉まっている!
旧正月の連休だからだろうか?
遠目に見ても美しい洋館なので、これを見ないで帰ったら後悔すること間違いない!
女子高の周りをほとんど一周しようという時、女子高の正門が現れた。
門が大きく開いている!
よかったー!T^T

学校の門を通って丘の上に登っていくと、左手に洋館が見えてきた。
市内が見渡せる丘の上に建てられており、芝生が植わっている。

洋館6号

洋館6号は、1908年、米国のダンカン婦人が寄付した7000ドルで建てられた病院。1912年に完成した。宣教師たちは「ダンカン記念病院」と呼んだが、一般の市民たちは「蘇民病院」と呼んだ。
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赤レンガと緑色に塗られた窓枠やドアのコントラストが美しい。
建物の前には芝生の広場があり、ベンチが設置されている。
春になったらベンチに座ってこの建物を眺めていたいな。
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洋館5号

道を挟んだ向かいにあるのが洋館5号。
1911年にマックラング夫妻の寄付によって聖書学校として建てられたもので、幼くして死んだ息子を記念するために寄付したものだという。蘇民病院で働いていた医師や看護婦など、宣教師と家族の住宅として使われ、ロウ医師(魯斗義)が神社参拝を拒否して強制追放されるまで住んでいたため、魯斗義記念館と呼ばれている。
建物の側面が突出しており、アクセントとなって、シンメトリーのように見える。地下は集会場として使われ、突出部の下の入り口から入るようになっているという。
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洋館4号

その裏にもまた洋館があり、その前には宣教師たちの碑が立っている。
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洋館4号で、他の洋館は学校の施設として使われているが、これは使われていないようだった。
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1906年に建てられたもので、他の洋館は切妻屋根なのに対し、この洋館4号は八作屋根(入母屋造)となっており、他の洋館より韓国の伝統様式が色濃く出ている。
地下1階、地上2階建てで、屋根には採光のためのドーマーがある。
ドーマーの上の瓦も韓国の伝統様式なのが興味深い。
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米国シカゴのフォーサイス夫妻の寄付によって建てられた寄宿舎で、フォーサイス記念館とも呼ばれている。
基壇の石材は、昔、殉教者たちが閉じ込められた刑務所に使われていたものだという説明があった。
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洋館3号

洋館4号のさらに奥に建てられている。
1911年に建てられ、忠北で最初の宣教師であるミラー(閔老雅)宣教師が住んでいたため、閔老雅記念館とも呼ばれる。
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斜面を活用して地下がつくられており、前面から見るとそれほど高く見えないが、裏に回ると地下も含めて3階建てのようになっている。横に長い切妻造だが、裏面には三つの切妻屋根がつくられており、3軒の家が並んでいるようにも見える。
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丘の上からは遠くまで見渡せる。少し離れた所に民家となっている洋館1号の姿も見えたが、時間がなかったので探せずに終わってしまった。
それでも5棟の洋館があまりにも美しく、お腹いっぱい。清州まで来た甲斐があった。
こんな洋館を眺めながら過ごせるなんて、この学校の生徒がうらやましい!

寒くなってきた。最後の訪問地、聖公会の聖堂へ急ごう。
次回に続く!

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by matchino | 2016-02-13 20:49 | 建築 | Comments(2)

清州建築旅行 2 忠北道知事旧官舎

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清州建築旅行、次に訪れたのは、この日の大きな目的の一つ、忠北道知事の旧官舎。
これも日本統治時代に建てられたもので、最近まで道知事官舎として使われていたが、現在は文化財となって、「忠北文化館」として一般開放されている。

道庁の東側にある清州郷校へ向かう緩やかな坂道を登っていくと、忠北文化館の駐車場が見えてくる。その後ろの小高い丘の上に道知事の旧官舎がある。
忠北道庁と同時期に建てられ、道庁の前にあった池を埋め立てるために山を削った部分に建てられたという。
登っていくと、すごく見晴らしがいい。すぐ手前に道庁があり、その向こうに清州市内が見渡せる。
道の反対の斜面にあるアパートも独特な感じ。
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木々の間に見えてきたのが官舎。
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木造の窓枠の装飾がいい感じ。
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正面の左の方にある丸い窓がアクセントになっている。そういえば、忠南道知事の官舎にもこんな丸窓があったなあ。忠南のほうは2階建てで、こちらの忠北は1階建てで、規模は忠北の方がずっと小さいけれど。道庁舎も似ているようで装飾が控えめだったり、その辺を比較してみたら面白そう。
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館内は開いてはいたが、案内の人が昼休みということで、官舎の周りを歩いてみた。
左側に回っていくと、テラスがあって、壁にはこの官舎の中でも紹介されている忠北の文化人たちの肖像画が描かれている。絵が下手なのが残念。
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官舎の正面は西洋式だが、裏に回ってみると、日本家屋の様式になっている。庭に面した廊下と障子が懐かしい感じ。
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今読んでいる「韓国の住宅、その類型と変遷史」によると、この頃、日本人によって建てられた家は、接客のための空間は西洋式、生活のための空間は和式にすることが多かったという。
ただ、この官舎の解説によると、前面の西洋式住宅の部分も、後ろの日本式の部分も、両方とも接客のための空間として使われ、居住のための空間は別途にあったという。
当時、住宅の近代化が官公庁の主導で行われていたため、当時推進していた和洋折衷の住宅を模範事例として道知事官舎に適用したのだろうという推測だった。なるほどー。

お昼前でお腹が空いていたが、また来るのも面倒なので、案内なしで見学することにした。
スリッパに履き替え、中に入ってまず驚いたのが天井。木造の屋根がむき出しになっていて、棟札が見える! 木造の屋根を見せている例は何度か見たけれど、棟札を見たのは初めてだ。
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最初の部屋は、忠北出身の文化人たちを紹介したコーナー。
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韓国の文学はあまり知らないので簡単に見たが、その中で気になったのが時代を感じさせるイラスト。権九玄というアナーキストなんだとか。
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先ほどのテラスに面した所から裏に回っていくと、廊下にはこの官舎の建築に関する解説パネルがあった。
「折置組」と呼ばれる屋根の構造や、窓や床の構造について簡単に説明してある。日本家屋の様式なのにちゃんと解説しているってのはいいな。
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改装工事の写真もあり、ちゃんと記録しているのが分かる。ただ、最初に建てられた時からの変遷については記録があるだろうか。調べてみよう。
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この廊下から後ろの方へ、先ほどの庭に面した廊下が伸びている。暖かい日差しが差し込んで、とても気持ちがいい。
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廊下の床は長い板かと思ったら、韓国独自の井形式の床だった。部屋の障子も格子ではなく韓国スタイル。当時のものかと思ったが、長い間使われているうちに改装されていて、その過程で変わったものかもしれない。その辺りの歴史が調べられると面白いかもしれない。
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障子の扉の中は畳部屋で、ブックカフェとなっている。昔は押し入れや床の間だったと思われる部分は棚が作られて本が並べられている。テーブルの中央には韓国の歌曲が聴けるMP3プレイヤー。
この部屋も改装前の写真は、押し入れや床が韓国スタイルなので、一般開放するにあたって建てられた当時の姿に復元したのかもしれない。
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官舎の裏には「森のギャラリー」と名付けられたギャラリーがあり、この日はデザイナーの卵たちの作品の展示が行われていた。裏庭も木々の中でのどかな日差しがあふれる気持ちのよい空間。街中から比較的近い場所にこんないい場所があるなんてうらやましい。
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さて、隣の丘には聖公会の聖堂があるが、とりあえずご飯を食べてから宣教師住宅を見に行くことに。
続きは次回!

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by matchino | 2016-02-09 22:09 | 建築 | Comments(2)

清州建築旅行 1 忠清北道庁舎

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韓国の路地裏を歩いていると、住宅の様式について知りたくなってくる。それで、最近、韓国の近代から現代の住宅についての本を読んでいる。
前回読んだのは、「韓国住居の社会史」。今、読んでいるのが「韓国の住宅、その類型と変遷史」という本。後者は具体的な住宅の平面図や立面図が載っていて、とても興味深い。
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この本を読む中で興味深い住宅がいくつも出てきたのだが、その中でも気になったのが、1900年代初頭の大韓帝国時代とその後の日本統治時代に韓国に定着したキリスト教の宣教師たちの住宅。大邱にも宣教師住宅がたくさんあって、見に行ったことがあるが、清州にも宣教師住宅が残っている地域があるという。
忠清北道はソウルからも比較的近くて行きやすいため、旧正月の連休に行ってみることにした。

どうせ行くなら他の建築も見てきたい。調べてみると、興味をそそる近代建築がたくさんあることが分かった。
日本統治時代に建てられた旧忠北知事官舎や、忠北道庁舎、江華島にある温水里聖堂に似た聖公会の聖堂など。
清州の観光地といえば、青南台。数年前だとドラマのロケ地になったスアムゴルの壁画村に行く人が多いようだけれど、それよりはずっと素晴らしい!


そして、連休初日の土曜日、さっそく清州へ出発した。
清州まではソウルの各ターミナルからバスが出ており、家から近い東ソウルターミナルから北清州までバスで向かった。
旧正月なのにまったく道は混まず、東ソウルターミナルから1時間40分で到着。8300ウォン。

北清州の停留所で降りて、まずは清州市庁へ。
清州市庁も誰が設計したんだろう?気になる建物!
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この周辺も気になる建物がたくさんあった。
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何だか気になる木造建築。
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市庁から少し南に行った所にあるのが忠清北道庁。
日本統治時代の1937年に建てられた。スクラッチタイルの旧忠清南道庁舎にも似た感じ。
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中に入ると、忠清南道庁舎に比べるとシンプル過ぎるけれど、廊下のアーチや階段の手すりなどがいい感じ。
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天井に設置された蛍光灯の器具が装飾的で、レトロチックな建築によく合っている。
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設計した建築家とか、照明器具とか忠清南道庁との関係とか、いろいろと気になって調べていたら、文化財庁のサイトに忠清北道庁舎の研究資料があった。
読むのに時間がかかりそうだけれど、読んでみよう。

さて、次は忠北道知事の旧官舎へ。次回に続く!

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by matchino | 2016-02-08 23:17 | 建築 | Comments(0)

徽慶洞の日本式家屋(?)

ある日の出勤途中、中央線から地下鉄1号線に乗り換える回基(フェギ)駅に到着する直前、目の端にちらっと古い家屋が見えた。
錯覚かと思ったけれど、次の日の注意して見てみると、確かに古い瓦屋根の家屋があった。
屋根の傾斜からして、日本統治時代に建てられた日本式家屋のようだ。
いつか見に行ってみたいと思っていたが、たまたま時間ができたので行ってみることにした。
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この屋根。

回基駅で降りて、線路沿いに歩いていくと踏切があった。
踏み切りでは、線路の上の施設の写真を撮っている人がいた。ちょっと変わった感じ…。私もそうか?
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踏み切りの前には空き地があって、その空き地に面しているのが目的の家。しかし、路地のほうからは2階建ての建物に隠れていてよく見えない。正面は入口が閉ざされた空き地の方に向いており、道からは直接見ることができなかった。
隣の駐車スペースからのぞいてみると、ガラクタがたくさん。人が住んでいないのかもしれない。
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とりあえず、「見えない」という結論が出たけれど、物足りないので、この徽慶洞(フィギョンドン)の辺りから線路に沿って歩いてみた。
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再開発地域になっているらしく、布に囲まれた町。路地裏のクリストだ。
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ここもでかいアパートが林立するようになるんだろうな。

住民がまだいるところもあるようだ。
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パワーショベルとダンプカーのおもちゃで遊んでいる子供たちがいて、写真を撮りたかったけれど、おばあちゃんが一緒にいたのでやめた。

中浪川(チュンナンチョン)を渡って中和洞(チュンファドン)へ。
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線路の脇にある建物。何の会社なんだろうか?
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線路の下にはタイルで描かれた花。
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このあたりも古い家がちらほらと。
住宅の様式の歴史なんかも勉強してみたいな。
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というわけで、中浪駅で歩きは終了して帰宅。
再開発されてしまう前にこのあたりをもう少し歩いてみよう。

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by matchino | 2016-01-21 20:42 | 建築 | Comments(2)

雪の降る日は近代建築散歩に ~「ディルクシャ」と「洪蘭坡家屋」~

私の職場は社稷洞にある。朝鮮時代、国の豊作を祈った祭壇である「社稷壇」があるところで、街歩きをするにも持ってこいの場所。それで、集中力がなくなってくるとときどき散歩に出たりする。
散歩のコースとしてよく行くのが、「ディルクシャ」と「洪蘭坡(ホン・ナンパ)家屋」。ある日、雪が降って午前中から積もりだしたので、雪をかぶった「ディルクシャ」と「洪蘭坡家屋」を写真に撮ろうと昼休みに出かけてみた。

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まずはディルクシャへ。ディルクシャは、3・1運動を初めて世界に知らせたアルバート・テイラーというアメリカの事業家兼ジャーナリストが彼の妻と住んでいた家。ディルクシャというのは「喜びの心の宮殿」を意味するヒンディー語で、インドにある「ディルクシャ宮殿」から名前をとったという。
美しいレンガ造りの家だが、主人がこの家を出た後、戦争などで避難してきた人たちが不法占拠したまま放置されている状態だ。ソウル市が文化財に指定しようとしたものの、現在住んでいる人たちの移住問題で霧散している状態だという。

最近、韓国近代史についての本を読んでいるが、どうせならこのディルクシャについての本も読んでみようと思い、テイラー氏の夫人であるメアリー・リンレイ・テイラー女史の自伝「琥珀のネックレス」を読んでみた。(韓国語の翻訳本は「ホバク・モッコリ」なのだが、「ホバクといったらカボチャ? ハロウィンか?」と思ったけど、琥珀だったという…笑)

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テイラー夫人はイギリスの裕福な家で生まれた演劇俳優で、巡回公演先の日本でテイラー氏と出会い、インドで結婚式を挙げ、テイラー氏が金鉱を営んでいた韓国で生活した。日本統治時代の韓国の様子がこの本に描かれているが、韓国でも日本でもない観点からの記述が新鮮だった。また、日本統治時代に韓国で西洋の人たちがどのような生活をしていたのか、当事者が語っているため、とても興味深い。
あまりにも多くの出来事が起こっていて、代表的なエピソードを紹介するのも難しいが、興味があればぜひ読んでみることをお勧めしたい。

次は、ディルクシャから歩いて3分もかからないところにある「洪蘭坡家屋」へ。「故郷の春」、「鳳仙花」などの歌を作曲した作曲家の洪蘭坡氏が晩年まで住んでいた家で、1930年代にドイツ人が建てたドイツ式の煉瓦造りの建物。
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展示館になっているが、今まで何度も訪れていながらも、中に入ったことがなかった。平日の昼しか開いていないので、時間が合わなかったのだ。でも、この日は入り口が開いていて、中からピアノの音が聞こえる。
入り口で入ろうかどうしようかと迷っていると、案内のおじさんがドアを開けて中に入るように言ってくれた。
中は洪蘭坡氏の生涯を紹介する展示館となっていた。洪蘭坡氏の出版した本や楽譜などが展示されていて、パネルで説明している。さきほどのおじさんが「今日、最初のお客様です。説明しましょうか?」といって、洪蘭坡氏の生涯を簡単に説明してくれた。
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洪蘭坡氏は幼い頃から音楽の才能に恵まれ、父の反対を押し切って、東京へ音楽の勉強に行く。20代で彼の代表作である「鳳仙花」や「故郷の春」を作曲したという。日本でもカルテットを結成したり、教壇に立つなど活発に活動していたが、日本で独立運動をしたということで、日本の警察に捕らえられ、拷問まで受けることになる。拷問の末、洪蘭坡氏は親日的な歌をつくることを強制されてしまう。その後、帰国してこの家に住んでいたが、日本で受けたひどい拷問の後遺症によって43歳の若さでこの世を去る。
「鳳仙花」や「故郷の春」は教科書にも載っていて、韓国人だったら誰でも知っている愛唱歌だが、洪蘭坡氏が親日的な活動をしたということで、現在はそれらの歌が教科書に載っていないのだという。
熱く語るおじさんの説明のBGMのようにして、もう一人の方が洪蘭坡氏の作曲した曲をピアノで弾いてくれていた。この空間で、洪蘭坡氏の生涯の話を聞きながら、洪蘭坡氏の曲に浸る時間。悲しくも美しい時間だった。
おじさんによると、ピアノを弾いてる白髪の女性はなんと洪蘭坡氏のお孫さんなんだという。写真を撮らせていただくと、「光栄です」と謙遜された。
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おじさんはもう少し解説したかったようだったが、昼休みの時間に出てきたので、また来ることを約束して出てきた。
落ち着いたいい空間だったので、また来てみたい。今度もまた、昼休みだな…。

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by matchino | 2016-01-17 18:04 | 建築 | Comments(0)

美術館となった旧ベルギー領事館

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ソウルにある近代建築は圧倒的に漢江の北にあるものが多い。今でこそ漢江の南は栄えているが、昔のソウルの中心は漢江の北にあったからだ。それで、古い建築がないから、私と江南とはあまり縁がないのだが、江南を訪ねていく理由の一つが、このソウル市立美術館の南ソウル生活美術館があるから。といってもなかなか行く機会に恵まれず、今まで2回しか行ったことがないのだが。

日本人の建築家によって設計された美しいレンガ造りの建物で、元をたどると会賢洞にあった駐韓ベルギー領事館の建物だった。それが領事館の移転によって横浜貿易会社に売却された。解放後も紆余曲折があったが、文化財に指定され、再開発によって移転されながらもその姿を保ってきた。現在はウリ銀行の所有となっており、ソウル市に無償で貸し出している状態だという。

その旧ベルギー領事館の110周年を記念して、まさにこの建物で行われている展示が、「美術館となった旧ベルギー領事館」。この建物の歴史と、それにちなんだ美術作品の展示で、「ソウルの近代建築の生き字引」といわれるアン・チャンモ教授のキュレーションで行われるとのこと。さっそく訪ねてみた。

今回の展示で期待していたことがある。それはこの建築の設計者のこと。どこの本を見ても「コダマ」としか書いていない。それで、もしかしたらこの「コダマ」さんの正体が分かるかもしれないということだった。

さて、旧ベルギー領事館は、地下鉄4号線の舎堂駅で降りてすぐのところにある。普通の韓国的な街の中にとつぜん美しい洋館が現れるので、驚く人も多い。久しぶりに訪れた旧ベルギー領事館は、やはり美しかった。

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重々しい扉を開けると中央に廊下があり、その両側が展示室となっている。
最初の展示室の壁には解体して再建するまでの写真が展示されており、この建物の年表があった。
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そして、概要を紹介する文章に、設計者の名前があった!
児玉琢。
(D. Godama)とあるのは、ハングルから変換した英文表記であることは間違いない。
名前の読み方は書かれていなかったが、「たく」だろうなあ。

さらに、「日本人・児玉琢が設計したといわれているが、児玉は設計士ではなく建築技師であり、建築様式は当時のベルギー国王であったレオポルド2世が好んだ新古典主義様式で建てられたため、『レオポルド2世様式』とも呼ばれた。正確な様式名は『後期古典主義建築』である」とあった。
実際、児玉氏は技師だったようだ。
でも、これを様式だけで片付けてしまうのはちょっと乱暴じゃないかなあ。
まあ、日本人が設計したものを「美しい」とは評価しにくいため、そのような方便をつかったのではないか、というのが私の推測。まあ、この美しい建物が残ってくれればそれでいいのだけれど。

部屋の真ん中には当時の資料。ほとんどがアン教授個人の所蔵だ。すごい…
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その中で目を引いたのが、ベルギーが朝鮮と修好通商条約を締結して最初に領事館を置いた場所を示す貞洞の地図。
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最近読んだ「ソンタクホテル」、「貞洞の各国公使館」という本に、ベルギー領事館について詳しく出ていたのだが、その本に書かれていたとおり、フランス領事館の向かいに「前比利斬領事館(前ベルギー領事館)」とある。ここは、朝鮮王朝のために多大な貢献をしたフランス産まれのドイツ人、ソンタク(孫澤)婦人のために、当時の国王である高宗が下賜した洋館なのだという。
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1階は、この建物の歴史に関する展示で、2階は旧ベルギー領事館をモチーフにした美術作品を展示していた。
けっこう興味深い作品が多かったが、その中でも一番気に入ったのが、近代建築をモチーフにした作品。
旧ベルギー領事館とか江華島の聖公会温水里聖堂、徳寿宮の静観軒など、私が気に入っているソウルの近代建築ばかりをモチーフをしているのがなんだかうれしかった。
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前回来た時は、それほど建物を見る時間を取れなかったけれど、今回はちょうど連れてきた娘が寝てくれたので、建物の細部を眺めることができた。それにしても、娘が大きくなってきたので、おんぶして写真を撮るのはつらい…。
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階段も美しい…


展示は2016年2月21日まで。地下鉄4号線舎堂駅6番出口を出てすぐ。

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by matchino | 2015-12-28 22:01 | 建築 | Comments(0)

金寿根建築ツアーその2 京東教会

イ・ボムジェ教授と巡る「金寿根建築ツアー」その2。京東教会。

私が京東教会を訪ねたのは2回目。本格的にみるのは初めてだ。
「京東教会は少し離れたところから近づきながら見るのがいいんです」ということで、50メートルほど前で車を降りて教会の方へ。
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1980年に建てられた教会。
ある日、金寿根氏 が馬山にいた時にある西洋人の神父が訪ねてきて、「聖堂を建ててください」と依頼したという。その神父は「人のための聖堂を建ててください」と依頼した。それに対し、金寿根氏は「私は信徒ではないのですが」というが、その神父は「信徒でないからお願いするのです」と答えたという。そうして建てられたのが馬山にある陽徳(ヤンドク)聖堂だ。
その陽徳聖堂を見た牧師が、金寿根氏に教会を建ててくださいと依頼したのだという。それがこの京東教会だ。
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教会の壁には一面にツタがはっているが、外装は全てレンガとなっている。李教授によると、この教会の特徴は屋根と壁の境界がないこと。それだけではなく、建物と地面と外の塀との境もない。すべて同じレンガで造られているため、レンガでできたこの教会の世界に入り込んだような感覚になる。
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金寿根氏がこの教会を建てる前から、空間に対して深く考えていたという。そのきっかけになったのが、扶余の国立博物館の事件だった。それまでは建築は、建築主の必要に応じて、「何々式に建ててほしい」という依頼に応じて建てるだけだったが、この事件によって、建築もこのような論争が起こりうるということが分かったのだという。このような悩みの中から生まれたのが、「空間」に対する概念なのだという。

そうしてさまざまな空間に対するスタディを重ねる中で生まれたこの京東教会のコンセプトは、「子宮空間」だ。胎児の状態によってフレキシブルに対応する空間。そして、母親の胎内に入ったような落ち着ける空間を究極の空間として追及した。

京東教会の形について語るとき、「祈る人の手の形を形象化した」とかいわれるが、別にそう考えて設計したわけではなく、金寿根氏の造形的な意識から生まれたものだという。
蚕室のオリンピック主競技場も「高麗白磁の形」といわれたりするが、金寿根氏にそのような考えはなく、記者などテキストで表現しなければならない人が勝手に書いただけなのだそうだ。
それでは金寿根氏の「造形的な意識」とは何だろうか?それがどういうものかはっきりとは分からないが、幼い時に住んでいた北村の街並みにその原点があるのではないかと李教授は話していた。

建物を建物として見るのではなく、大地から生えている自然の一部という概念で建てられた建築。それで外壁にもレンガを使っているが、欠けた感じのレンガを使っている。そして半分に割って荒い断面を見せるレンガも多用している。レンガのデコボコした表面によって、光が当たると多様な表情が演出される。金寿根氏は、欠けても割っても同じ質感が出てくるレンガ、そして人の手のサイズにぴったり合った、ヒューマンスケールを表現できる素材としてレンガを好んで使ったという。
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この教会には正面もないが、礼拝堂に入る入り口は、教会の左側にある細い道を登っていった裏の方にある。その道も直線ではない。複雑な建物の形に沿って曲がりながら登っていく。
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細い道を登って、一番奥まったところに礼拝堂に入る扉がある。教会の敷地自体は大きな道路に面しているが、この奥まった入り口は外から遮断されている。もし道路側に入り口があったとしたら、俗世から扉を開けてすぐに聖なる領域に入るとことになるが、この教会の場合は、階段を上ってくる間に心の準備ができるようになっている。また、ゴルゴダの丘へ登るイエスの十字型への道を追体験するようになっている。一般の教会のように塔の上に十字架が掲げられたりはしていないが、ここの壁にはかつて十字型がかかっていたという。

そして、ここからさらに建物の上階へと登る階段がある。その階段を上ると扉があって、小さな礼拝堂に入ったが、実はもともとは露天礼拝堂だったという。自然の中で神を礼拝するということがどれほど素晴らしい経験だろうか。それができるように設計したにもかかわらず、屋根をつくってしまったのだ。残念なことだ。
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今回の引率を担当してくれた金寿根文化財団の担当者が礼拝堂の後ろから呼んでいる。普段は入ることができない所に入らせてくれるという。行ってみると、礼拝堂の裏から下に降りる細い階段があった。
明かりもない暗い階段を降りていくと、どこからかパイプオルガンの演奏が聞こえてきた。秘密の洞窟に入っていくような、なんともいえない体験だった!

しばらく降りると窓があって、下の礼拝堂を見下ろせた。ここにも灯りは点いておらず、暗いホールの中にパイプオルガンの音だけが響いている。
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やがて礼拝堂の脇にある信徒席に出た。礼拝堂の内部を眺めながら息を呑んだ。なんと神秘的な光景だろう!
この礼拝堂がまさに、「子宮空間」だった。包まれるような、落ち着く空間がそこにはあった。ある参加者はこの空間に宇宙を感じたという。李教授は「子宮も小宇宙だといえますからね」と。
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礼拝堂の真ん中に下りてみた。パイプオルガンの練習をしているようで、灯りも点いていない荘厳な雰囲気の中でパイプオルガンの音に耳を傾けながら、この空間を堪能した。
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正面には縦に長い十字架がかけられており、上から光が差している。この音と空間と光とで、涙が出てくるような感動を覚えた! 神が降りてくるような感覚ってこんな感じなんだろうか。この教会に通いたくなってきた。
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いつまでもここにいたい思いを断ち切って、外へ。教会の外壁に沿ってさらに回った。
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裏から表の方へ出てくると、目の前にレンガ造りの煙突が立っている。暖房用に使っていた煙突で、これも空間的な面白みを加えている。
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右端に見える細い棒が煙突。

京東教会の体験は本当に素晴らしかった。
今度は礼拝の時間にでも合わせて行ってみたいな。紅葉の季節にはさらに美しいという。

また車に乗って、大学路のアルコ美術館へ。
次回に続く!

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by matchino | 2015-10-26 22:18 | 建築 | Comments(0)

金寿根建築ツアーその1 自由センター

ソウル建築文化祭の一環で行われた「建築文化ツアー」に参加した。いくつもの興味深いプログラムがある中で選んだのは、前から気になっていた「金寿根建築ツアー」。担当はイ・ボムジェ教授という方だが、金寿根氏の設計事務所である「空間」社で勤務し、アルコ美術館やアルコ劇場の現場設計をした経歴を持った方で、とても貴重な話が聞けた。教授も熱心に説明してくださり、一緒に参加した人たちもとてもいい感性を持った人たちで、とても幸せな時間だった。

集まったのは南山の斜面に建てられた「自由センター」。ここは今回初めての訪問だ。
李教授は話を初めながら、「今回の日程には入っていませんが、空間社屋を見れば、すべての要素が入っているので、本当は行きたかったのです。金寿根文化財団はアラリオ・ミュージアム側と中に入れるよう交渉したようですが、難しかったようです」と語った。
改装した部分が多いため、見せたくないのではないかという話だ。オーナーと建築家との意見の違いによって、本来の建築家の意図とは変わってしまう部分が多いと話していた。

さて、まずは自由センター。
1963年、朴正煕大統領がアメリカに対して反共主義者としての意志を示すために建てた反共勢力のための建物。
今はウェディングホールになっており、この日も結婚式の祝賀客たちがたくさんいた。今は南山の山側が正面のようになっているが、実は谷側が正面だという。今は駐車場しかなく、完全に裏のような感じだ。自動車劇場の名残りの大きなスクリーンも建物を無視して立っている。
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こちらが正面。天に向かって上昇する軒が、自由世界の発展を象徴する。
列柱の形は鷲の爪を象徴しているというが、北に向かう軍靴のようにも見える。
中央の後ろ姿がイ・ボムジェ教授。


この建物は金寿根氏の初期の作品。正面に列柱を並べ、比例を重視するという近代西洋建築のセオリーに則ったもので、今まで雑誌の中だけで見てきた西洋の建築様式が韓国に現れたということで、当時の韓国の建築界ではセンセーショナルな建物だったという。

建築を見る観点として重要なのは、目に見える「様式」と、身体で感じる「空間」だという。李教授はこの二つの観点をこの日もよく話していた。
この建物の空間的な特徴は、中央にある。普通の建物は真ん中にドアがあってロビーがあるという形になっているが、自由センターの真ん中にあるのは階段だ。正面の地平面から階段が3階まで上っており、裏側の地平面に連結されている。真ん中にはドアもない通路があるだけで、言い換えると何もない、すなわち「空間」があるというわけだ。
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また、列柱もそれまでになかった「空間」を作り出している。普通は柱を立てたらそこに壁をつくるが、ここでは柱と壁面の間に、外でもなく中でもない「空間」がつくられている。このような外と中があいまいなのは韓国の伝統家屋によく使われる手法だ。
列柱と壁との間の屋根には丸い穴が空いていて、光が差し込む。外からの光と、丸いフレームを通した光と、多様な光の効果が表れている。
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この建物が建てられた当時は打ちっ放しコンクリートだったが、今ではミントグリーンに塗られている。裏側は水平線を強調されていたが、後から付けられた窓がそのラインを壊している。そのような建築主による改装を、李教授はとても残念がっていた。
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こちらが本来の裏側。水平ラインが強調されている。

この自由センターで国際会議などが行われた時に来た外国の貴賓のための宿泊施設が建てられたが、それが、今はバンヤンツリーホテルになっているタワーホテルだ。韓国動乱の時の参戦国16カ国と韓国軍を合わせた17にちなんで17階建てになっている。そして、タワーホテルの付属施設が、タワーホテルの手前にあるハッピーホール。両方とも金寿根氏の設計だ。
この二つも最初と比べると大幅な改装がなされている。タワーは各階を拡張したため、当初のスリムなラインが失われ、寸胴に見える。ハッピーホールは十字型の柱が強調されていたが、今では柱の間にカーテンウォールがつくられている。
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タワーホテルとハッピーホール。


自由センターのすぐ下には「サファリ・クラブ」という名のクラブが建てられ、それも金寿根氏の設計だというが、会員制のため、一般の人は中に入れない。今はソウルクラブと名前が変わっている。

今回は説明を聞くのに一生懸命で写真をほとんど撮れなかった。
面白いディテールがたくさんあるので、今度また写真を撮りに行こう。

さあ、次はマイクロバスに乗って京東教会へ。
次回に続く!

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by matchino | 2015-10-11 21:49 | 建築 | Comments(0)