カテゴリ:建築( 80 )

公州建築巡り 3 旧公州邑事務所と公州第一教会

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公州の近代建築巡り、次は「ルチアの庭」に行こうかと思ったけれど、一緒に来た妻と娘がおやつを食べに他の店に入ってしまったので、私は一人で他の近代建築を見に行くことにした。

ここで公州を巡る時のヒントを一つ。ルチアの庭は最後に、そして時間をたっぷりとって行くべし!とても居心地のいい空間なので、他に行きたくなくなるのは必至!

公州映像歴史博物館。
日本統治時代の1920年に金融組合連合会の会館として建てられた、レンガと石造りの建物。1930年から1985年までは公州邑事務所として、1986年に公州邑が市に昇格してからは1989年まで公州市庁として使われたという。現在は公州映像歴史博物館として使われている。
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太い円柱が並んでいて、権威的なイメージ。両脇にある円形の窓にも石の装飾が付けられていてかっこいい。
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中は映像歴史博物館となっており、1階はインタラクティブな公州の観光地の説明パネルが並ぶ。2階は公州の昔の写真が展示されていた。内部がすっかり改装されているのは残念だけれど、階段の構造だけは当時のものだろう。
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側面に回ってみると、こんな可愛い柵が付いた丸窓。
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以前、ここを訪ねたりうめいさんが、この近くで木の電柱を見つけたといっていたのを思い出して探してみると、すぐ前の路地にみつかった。この電柱といい、建物といい、よく残してくれている。保存状態も素晴らしい。
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もう一つ訪ねてみたのが、公州第一教会。1930年に建てられた、この地域で初めてのプロテスタントの教会。
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窓からステンドグラスが見えたので、中に入ってみたかったけれど、すべての扉に鍵がかかっていた。やはりプロテスタントの教会だな…。

さあ、いよいよずっと前から行ってみたかった「ルチアの庭」へ。次回をお楽しみに!




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by matchino | 2017-01-07 22:34 | 建築 | Comments(0)

公州建築巡り 2 忠清南道歴史博物館

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公州の近代建築巡り、中洞聖堂の次は、隣の高台にある忠清南道歴史博物館を訪ねた。
ここは、今は忠清南道歴史博物館として使われているが、もともとは1973年に国立公州博物館として建てられたもの。
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四角い箱の脇に、上が丸くなった台形のような形の白い突起がいくつも並んでいる。突起は上下に分かれていて、よく見ると下は中央が出っ張っていて、上は凹んでいる。上の突起の脇には窓が付いているようで、間接照明として使われていたのかもしれない。
この突起の形、はっきりとは調べていないけれど、公州でみつかった百済時代の古墳である武寧王陵の石室の形をモチーフにしたのだろう。
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上には軒のような形が屋根として乗っている。わずかに四隅が上がっているのは、韓屋の屋根の反りを表現したのだろう。この頃、「韓国的な建築」を模索していて表現した一つの方法論だ。
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もう一つ、ここ頃の建築の流行を示すのがピロティ。ル・コルビジェが提唱した近代建築の5原則の一つだ。

誰が設計したのかが思い出せず、国立博物館をたくさん設計した金寿根氏かなとも思ったけれど、テイストがちょっと違うので、FBに上げてみると、大田の文化財の専門家が、すぐに生没年までつけて答えを上げてくれた。スバラシ!

で、この博物館を設計したのは李喜泰(イ・ヒテ)建築家。1925生、1981没。
切頭山殉教聖地の聖堂や恵化洞聖堂などの聖堂建築のほか、南山にある国立劇場などを手がけている。なんかこの方の建築によく出会う。

博物館の展示はそれほど、興味深いものではなかったけれど、一つだけ気になったのが、雨宮宏輔という日本人のこと。公州で生まれて解放まで公州で住み、その後も公州に住んでいた日本人の会である「公州会」の会長をしているという。雨宮氏はこの博物館に公州の昔の写真や遺物などを寄贈しているということだった。当時の記念ハガキなどは興味深かった。
この博物館に登る階段の前に井戸があって、そこの案内板にも雨宮氏が経営していた氷工場があったと書かれていた。ネットでは、雨宮氏が公州に桜の木を植えたという話も出ていた。
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で、その前にあった噴水(?)。動物の頭は理解できるけど、この子どもたちの頭は…。彫刻家の感覚を疑う…。
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さて、今度は旧公州邑事務所へ。
次回に続く!




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by matchino | 2017-01-04 23:29 | 建築 | Comments(0)

公州建築巡り 1 中洞聖堂

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クリスマスイブ、クリスマスらしいことをやりたくて、妻に「聖堂を見に行こうか」と提案してみたら、難なく提案が通過!
ただし条件が付いた。「今まで行ったことのない聖堂に行こう」と。望むところだ。いくらでも探してみせよう!

公州に有名な聖堂があったよなあと調べてみると、あったあった。中洞聖堂。そしてその近くの近代建築を調べて計画はばっちり。

イブの朝、東ソウルターミナルから11時10分の公州行きのバスに乗り、2時間で到着。とりあえず中洞聖堂へ。バスでも10分くらいで行けるけれど、タクシーで4000ウォン。途中に錦江に面した公山城も見えた。

錦江を渡ったあたりからすでに丘の上に聖堂の尖塔が見えた。丘のふもとでタクシーを降りて聖堂まで登る。
登る道沿いにはノアの箱船をモチーフにしたモザイク画があった。モザイク画のレベルも高くていい。その上には聖堂の歴史を年度ごとに表した手すりがあった。
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赤と灰色のレンガ造りの典型的なゴシック聖堂。よく手入れされ、修理も何度かされているようだった。1898年にここで宣教活動を始め、聖堂は1937年に竣工したという。
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内部はやはり三廊式で、石造りの柱が並んでいる。
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側面のステンドグラスは単純な四角いものだが、祭壇の後ろのステンドグラスはぶどうや星などをモチーフにしたものがあった。
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ところで、私の後に一人の男性が入ってきた。彼の頭はフランチェスコのようで、「彼は修道士かな?」と思ったけれど、話しかけてみるとたまたま通りかかっただけの人だという。頭が薄いだけだったのだ。「修道士ですか?」とか余計なこと聞かなくてよかった…。笑

聖堂の隣には、やはりレンガ造りの司祭館。これも1937年に建てられたようだ。
窓の構成がちょっと変わっていて、1階にはアーチの窓が3つ、2階にはアーチの窓が2つ、そしてその両脇にに四角い窓が付いている形。
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クリスマスのために、聖堂の脇にはイエスの誕生の様子のジオラマがつくられており、マリア像には電球が飾られていた。今日の夜にはクリスマスのミサがあるのだろう。キャンプファイヤーのような薪が積まれていた。夜にもう一度来たいな。
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あちこち回ってみると、ここが市内でも高台にあることが分かった。けっこう遠くまで見渡せ、近くにそれほど高い建物もないため、見晴らしは本当にいい。
そして、聖堂の後ろには今回、行こうと思っていた忠清南道歴史博物館があった。
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さきほど登ってきた車が上がれる道の他に、その裏には階段で登れる道があった。聖堂を眺めながら登れる気持ちの良い入り口だ。その階段を下りて、忠清南道歴史博物館へ。
続きは次回!




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by matchino | 2016-12-30 20:21 | 建築 | Comments(0)

大田の近代建築 梧井洞宣教師村

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晩秋のある日、大田に行ってきた。近代建築の研究者たちの勉強会で話してほしいという畏れおおすぎるオファー。結局、彼らの役に立ったのか分からないけれど、少なくとも私は楽しく有意義な時間を過ごしてきた。
今回、その場に呼ばれていたのは、私と、ブログ「韓国古建築散歩」のりうめいさん。それで、彼女と連絡して、勉強会の前に大田の近代建築を巡ることにした。りうめいさんがお願いしてくれて、大田の大学で教鞭をとっている伊藤さんが車を出してくださった。伊藤さん、ありがとうございます!
今回回ったのは、鉄道官舎村と日本統治時代に造られたトンネル、それから宣教師村と刑務所の監視塔というシブ過ぎるラインナップ。りうめいさん、さすがなのだ。

本当は一つひとつ紹介したかったのだけれど、なかなか書けそうにないので、私がリクエストした宣教師村から書いていこうと思う。これで終わってしまうかもしれないけれど、そうなったらご勘弁。

梧井洞にあるキリスト教の宣教師が住んでいた住宅群は、このブログでも何回か紹介した本「青春男女、100年前の世界を歩く」で知って、ぜひ訪ねたいと思っていたもの。2年前に大田を回った時は時間が足りなくて泣く泣く断念したのだった。

この宣教師村はキリスト教系の漢南大学の敷地内にある。大学内に車を停めて、伊藤さんの案内でその住宅があるほうへ向かう。大学のキャンパス自体、たくさんの木が植えられているが、宣教師住宅がある方は林のような自然に囲まれたところだった。この日は昼過ぎから雪が降り始め、私たちの他には人影も見えず、本当に静かだった。
写真で何度も見ていた家屋が道沿いに見えてきた。韓国式の瓦屋根に、大きな白い窓枠のついたガラス窓の韓洋折衷様式の家屋だ。写真で見た姿は木々の緑に映えて白い印象だったが、白い雪が降りしきるなかでは壁のレンガの赤褐色がよく見えた。
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夢にまで見た宣教師住宅が目の前にある!
感激だった。
紅葉の季節の終わりかけで、地面には真っ赤な紅葉の葉が敷き詰められ、他のところにはオレンジや黄色の落ち葉。そしてその上に少し早い初雪が降り積もっている。こんなに素晴らしい光景があるだろうか!

この住宅が建てられたのは1956年のこと。アメリカ南長老派の宣教部が大田大学を設立した時に建てられた住宅で、宣教師たちが去った後は、大田大学の後進である漢南大学の創設者であるリントンを記念する記念館として使われている。平日は中に入れるそうだが、この日は日曜日で入れなくて残念。
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コの字型になっていて、右翼の窓と比べて左翼の窓が大きく取られており、側面まで窓が続いている。ここはサンルームとしてつくられた部屋だろう。このサンルームに座って紅茶でも飲みながらまったりできたらどれほど幸せだろう。降りしきる雪を眺めながら談笑した宣教師たちの姿を思い浮かべてみた。

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リントンの像。


同じ形をした住宅が3棟並んでいた。それぞれの棟の前に落ちている落ち葉の種類がいろいろで、それぞれ違う趣を見せていた。秋ならではの醍醐味だな。

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その隣にあった建物。ここも関連した建物なんだろうか。


3人で話していて気付いたのは、ほかの宣教師住宅が2階建て以上なのに対して、ここは1階建てだということ。そして韓洋折衷様式の建物の中でもより韓屋に近い様式だということ。解放後の比較的最近に建てられたものであることが関連しているだろうか。

寒い中で傘をさしながらの訪問はたいへんだったけれど、あのような景色に出会えたことは幸運だった。思い出せば思い出すほどに香ばしく熟成している。
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by matchino | 2016-12-29 22:31 | 建築 | Comments(0)

漢陽都城案内センターとなった日本家屋

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11月、ソウル市長の公館として使われていた日本家屋が漢陽都城案内センターとして生まれ変わった。知り合いが何人か行ってきて、よかった!という話が上がっていたので、行ってみることにした。

4号線の漢城大入口駅で降りて、大学路方面に向かう。恵化門に上がって、都城の上を歩き、途切れたところで降りると、守衛の詰所っぽい建物が見えたので行ってみると、やはりそこが漢陽都城案内センターだった。
庭の階段を上がると、切妻屋根の東西方向に長い家があった。
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昔の日本家屋らしい雰囲気は外からではよく分からない。壁も真っ白にきれいに塗られていた。
入る前に、庭が気になったので、庭を回ってみた。家の脇に芝生が植わった広い庭があって、赤い実を付けた木がある。遠くには北漢山も見えて眺めのよい空間。実はここは都城の上だということが分かった。
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ドアを開けて中に入ると正面に案内デスクがあり、右側には漢陽都城に関する展示があった。
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気になったのは、真ん中にある大きなジオラマ。横のモニターの説明に対応して、ジオラマに説明が投影されるようになっていた。どこかと思ったら、恵化洞の一帯だった。説明の内容は興味深いし、ジオラマに投影される図解は分りやすそうなんだけど、同時に見られないので結局分からない。音声で説明してくれたらいいのに…。
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展示室の横は屋根の下でありながら地面が見えていて、都城がどのように積まれているのか説明してあった。その横には部屋の名残があった。ところどころに説明のパネルがあるため、展示の一部であることが分かる。そして壁の一部は開いたままになっている。その向こうには北漢山。
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スリッパに履き替えて上がる2階には、この家についての展示がなされていた。
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1941年に建てられたこの家は、朝鮮映画製作株式会社の社長である田中三郎氏の私邸だった。この付近は日本人が多く住んでいた地域だという。解放後は韓国人の企業家の私邸として使われた。1959年から79年までは大法院(最高裁判所)の所有になって、裁判官の公館として使われた。その後はソウル市に所有権が移り、2013年までソウル市長の公館として使われた。現市長のパク・ウォンスン氏もここを使用したという。
そして建築家のチェ・ウク氏によって漢陽都城案内センターとしてリノベーションされた。その時の原則は、なるべく最初に建てられた時の姿を残すこと。展示のための壁などは別途につけられたが、柱なども同時のものをそのまま削って使っている。天井は取り払われて、木造のトラスが見える。
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部屋の南側は、ちょっと変わった障子が設えてあった。古いものと新しくつくったものがはっきりと分かりながらも、それらが違和感なく調和している。リノベーションした建築家の実力だな。こういった事例がもっと紹介されて、多くの自治体で適用されて欲しいなと思う。
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2階の大きな展示室の反対側には小さな展示室があって、ここで暮らしたソウル市長たちのゆかりの品々と、ソウル市長たちのこの公館に関するインタビュー映像が流れていた。呉世勲元市長の「スプーンほどの大きなゴキブリが出て、娘たちが騒いだ」という話が印象的だった。

1階には降りてくると、階段の左にある小さなカフェで妻と娘がココアを飲んでいた。私もコーヒーを注文したら、なかなかかわいいマグで出てきた。
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カフェの窓から庭が眺められる。庭が広く、高台にあるため、とても気持ちがいい。「こんな家にいつ住めるようになるかなあ」と妻がため息をついた。
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展示内容が充実しているので、時間をとって訪ねたい空間。もちろん、軽い気持ちでその空間を満喫していってもいいのでは。
オススメ。

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by matchino | 2016-12-11 21:11 | 建築 | Comments(0)

キリンクリムの「韓国現代建築の今日」

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「現代建築の断面」という韓国・国立現代美術館のプログラムがあるらしい。そこで映像制作社「キリンクリム」の「韓国現代建築の今日」という映像が上映されるということでさっそく娘を連れて行ってきた。

「キリンクリム」は、チョン・ダウンさん、キム・ジョンシンさん夫婦の建築映像制作ユニットで、私は彼らが撮った伊丹潤の建築映像に感動して憶えていた。

伊丹潤の映像のトレーラーがYouTubeに公開されていた。


その後、このブログでも何度か紹介したランスキー先生こと金蘭基氏のイベントで偶然にも「キリンクリム」のキム・ジョンシンさんに出会い、その後も何度かお会いしている。
時には私が主催している街歩きイベント「マチノアルキ」の出発の場所にたまたま居合わせて、一緒に歩いたこともあったりと、不思議な縁を感じさせる。

さて、今回上映する映像は、韓国の今を代表する8人の建築家の作品を一つひとつ選んで、建築家自身によるコンセプトの紹介と、評論家による解説がなされる中で、建築の美しい映像が流れるもの。
建築自体の美しさもさることながら、それを切り取る映像が、言葉を失うほどに美しい。一つひとつの建築をぜひ訪問してみたい。

映像の一部がYouTubeにあった。

映像を見終わった後は、「キリンクリム」の二人と建築家たちのトークの時間。
実は一番前の席には、この映像に出てきた建築家と評論家たちが勢ぞろいしていたのだ。私も何度かお会いした劉成龍教授が来ているのは分かったけれど、まさかこの建築家たちがほとんど参加しているとは思ってもみなかったので驚いた。

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トークの最初にチョン・ダウンさんは「勇気の問題だった」と語った。これだけの建築家の映像を撮ることに対して「応じてくれるだろうか」という心配はあったけれど、勇気を持ってお願いしてみると応じてくれたというのだ。もちろん、実力と実績があったから可能だったことは確かだが、「勇気」という言葉にとても感銘を受けた。
チョン監督には2回お会いしたことがあるが、いつも彼女の情熱に感心する。そして建築に対する愛情を感じるひと時だった。
「建築家の方たちが愛情を込めて建てたこの建築をいかに撮るか」という話をしていたが、建築家の愛情と映像作家の愛情が一つになって生まれた作品だと思う。
また、今回の映像を観て、チョン監督の「建築が空間と時間の芸術であるため、それを表現するのには写真より映像がふさわしい」という言葉に強く共感した。私は今までは建築を写真でしか撮ったことがないけれど、今度は動画で撮ってみよう。

現在、キリンクリムは伊丹潤のドキュメンタリーをより長編の作品にする作業をしているという。どこで上映されるようになるかはまだ分からないけれど、より多くの人たちの目に触れるようになればいいと思う。

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by matchino | 2016-12-08 22:20 | 建築 | Comments(0)

培花女子高の近代建築 その2

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培花女子高の近代建築めぐりの続き。
生活館の上にあるのは本館。
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生活館もそうだけれど、シンメトリーになっているのは西洋建築の特徴だ。中央の玄関を中心に、両側に突出した部分があり、切妻屋根の三角と、屋根の上の三つのドーマーが統一感を与える。
この大きめのドーマーが三つあるのは、貞洞にある培材学堂の建物に似ているな。メソジスト派の宣教師が建てたからなんだろうか。あるサイトによるとアメリカのカントリーハウスの様式なんだとか。

もう一つの、1915年に建てられた近代建築、科学館は運動場の片隅にあった。
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レンガ造りの3階建てのように見えるが、あるサイトによると4階建てだという。屋根裏の4階があるんだろうか。中央の突出した部分は階段だろうか。
運動場にそのまま建てられている感じで扱いがちょっとぞんざいな気がするが、建てられた当時はどんな感じだったんだろうか。


この他にも面白そうな建物がありそうだったけれど、女子高生に混じっておじさんが違和感出しまくりな気がしたので退散。今度はこの上にある大学のほうを回ってみようかな。

そうそう、今回参考にした「あるサイト」というのはこのサイト。写真と細かい説明が素晴らしい。

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by matchino | 2016-10-03 20:15 | 建築 | Comments(0)

培花女子高の近代建築 その1

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会社からの帰り、横断歩道に一枚のポスターが貼ってあった。9月9日、培花女子高で学園祭を行うというのだ。培花女子高には、最近文化財に指定されたレンガ造りの建物があるということを思い出して、「この時しかない!」と思った。なぜかというと、数年前から大学以外の学校は外部の人が入れなくなっているのだ。
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培花女子高はかつて培花学堂と呼ばれ、アメリカのジョセフィン・キャンベル宣教師が1898年に建てた学校。
キャンベル宣教師の足跡には、もう一ヶ所行ったことがある。社稷洞311番地の丘の上に建つ2階建ての洋館がキャンベル宣教師が生活していた家屋だということ。

もっともこの家屋は、この地域の再開発のための組合事務所として使われていて、文化財を残そうとする人たちの意に反して、この家を含むこの一帯をアパート団地にしようとしている人たちなわけだ。

さて、危機に瀕している家屋とは違い、この学校の中の建物はしっかりと保存されている。
門を入ると正面にレンガ造りに瓦屋根の建物が見えた。生活館だ。1916年に宣教師たちの住宅として建てられた。
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地上2階で斜面を利用して半地下がつくられている。西洋式のレンガ造りの構造に、韓屋の瓦屋根が乗っている韓洋折衷様式というのが説明だけれど、瓦は赤いので、中国式じゃないかなと。よくは知らないけれど。
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裏の方へ回ってみると、キャンベル宣教師の胸像。生活館の瓦屋根を背景に、フォトジェニックな空間となっている。
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生活館の写真を撮っていると、隣の白い建物が気になった。モダニズム建築っぽい感じで、レンガでつくったらしい網のような装飾がかっこいい。
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いつ頃建てられたのか気になってみてみると、定礎石があった。1958年12月11日。それだけが分かった。
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さらに気になって調べてみると、なんとか見つかった。現在は図書館として使われているけれど、建てられた当時は大講堂として使われていたらしい。1959年9月に完工し、当時、弘益大の教授だったキム・チャンジプ教授の設計だという。

さて、少し長くなりそうなので、続きは次回!

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by matchino | 2016-09-15 21:49 | 建築 | Comments(0)

韓屋の「マル」と「クムマル」のこと

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韓国の伝統住宅に「マル(마루)」という空間がある。日本語でいうと板の間のこと。
マルの代表的なものとしては、大廳(テチョン/대청)がある。韓屋の大きな板の間のことだ。そして、「テッマル(툇마루)」と呼ばれる縁側や、「チョッマル(쪽마루)」と呼ばれる廊下、「楼(ヌ)マル(누마루)」と呼ばれる高床式の楼などのいろいろなマルがある。
このマルは、基本的には1面以上が開いている。西洋建築が紹介され、ガラスなどの新しい材料が紹介され出してからはガラス窓で閉じられるようになってきてはいるが、空間的な類型からいうと、開放された空間だ。
それで、マルという空間は、中でありながら外であるという、境界があいまいな空間。韓国の建築の本を読んでいると、よく転移空間という言葉が出てくるが、このような中間的な、媒介的空間がマルなわけだ。
韓国の伝統建築の特徴の一つがこういった転移空間があるということ。
そして、韓国人はこのような空間が好きだ。
マルに横になって庭を眺めたりするのが好きだ。私も雨の日に韓屋のマルに座って、ただ雨の音を聞きながら庭を眺めていたいと思うことがある。

そんなことを考えながら思い出したのが、私の大好きな建築で、ここでも何度も紹介した「クムマル」。
羅相晋(ナ・サンジン)という建築によって建てられ、忘れ去られて解体の危機に陥ったが、趙成龍(チョ・ソンニョン)建築家によってその価値を見出されてリノベーションされた。
生まれ変わったこの建物に付けられた名前は「クムマル(꿈마루)」。「クム」は夢で、「マル」は、上で説明したマルなのだが、以前、このブログで紹介するときに、何と訳すべきか悩んで、「床」と訳した。それが適切な訳かどうかは分からない。

それではなぜ、この建物の名前に「マル」という言葉を使ったのか。昔はよく分からなかったが、「マル」という空間について知ってみると、その理由がだんだん分かってきた。
マルが中でもなく外でもない空間であるように、クムマルも外と中との境界がない。韓屋に玄関がなく、各部屋に庭から直接入るように、クムマルも特定の入口がなく、いろんな所から入ってその空間を楽しみ、いつの間にか外に出ている。
それから、韓屋のマルや門のフレームに外の風景が切り取られることによって、風景が自分のものとして対することができるように、クムマルでも2階の横長のフレームに切り取られた風景が美しい。
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こういった全ての要素が韓屋から来ているのだろう。それでこの建物に「マル」という韓屋独特の用語を使ったのだ。
なんといってもクムマルと韓屋のマルと似ている点は、そこにずっといたくなる心地よさだ。眺める風景はもちろん、なぜか分からない心地よさが漂っている。
いつか気の合う人たちとここでパーティーをしたり、映画の上映会をしてみたいと思っているが、まだ実現していない。
誰か一緒に企画しませんか…?

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by matchino | 2016-04-22 21:38 | 建築 | Comments(0)

駐韓英国大使館を訪ねる その4

英国大使館訪問記、これで最後!

英国大使館に実際に入ってみて、そののどかな雰囲気に満足していたが、一つ気になることがあった。
それは、徳寿宮の北を通る道が英国大使館によってふさがれているが、その道を開放するというニュースについてだ。ソウル市と英国大使館との間に、この道を開放するというMOUが交わされたと報道されていた。
そのニュースを見て私も喜んだし、いつごろ開放されるのかが気になっていた。

今回、徳寿宮の塀の北を通る道を実際に案内してくださった。
徳寿宮の塀と英国大使館側のレンガ造りの塀の間に舗装された道路があった。
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もともとこの道はソウル市の土地で、英国大使館がソウル市から借りていた土地だという。しかし、契約の期間が終了してもソウル市から何も通知がなかったため、そのまま英国大使館が使用していたという。
それに異議を唱えたのは、英国大使館のすぐ裏にある高級料亭。料亭が駐車場を作りたいと思っていたところ、この道に対する資料を探し出して、この土地を占有していることに対する異議を申し立てたしたというわけだ。

しかし、開放にするには解決するべき問題が多い。
まず、塀越しに大使公邸がよく見える。
よく見えるどころかほとんど丸見えだ。
塀が低いため、越えようと思ったらすぐに越えられる高さだ。
さらに塀の途中に大きな木が生えていて、木の両側は大きくスペースが開いている。
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もしこの道を開放するとなると、大使館のセキュリティにとって大きな問題になることは火を見るよりも明らかだ。鉄条網を張るなりして保安を強化しないといけないし、プライバシーの確保のために塀をもっと高くしなければならないだろう。
塀の位置に立っている木も問題だ。もしこの木が倒れた場合、責任の所在はソウル市側に行くのか、大使館側に行くのかが問題になってくる。他の国でも実際にそのような問題が起きているという。
また、英国大使館の建物が道を覆っている部分もあり、その部分を通すとしたらトンネルを掘らなければならなくなる。

このような問題を実際に目にすると、むしろこの道は英国大使館のために残しておいてあげなければならないのではないかという気持ちになってくる。
大使館側の人にとっては不安の材料になるし、こんなにも美しい庭園を持ち、塀の向こうには徳寿宮の木々が眺められるこのすばらしい楽園が壊されてしまうのではないかと思うのだ。ここが高い塀と殺伐とした鉄条網にふさがれたら、どんなに残念だろうか!
別に私が入ってこの景色を楽しめるわけでもないし、外国人の立場でこんなことをいう資格はないのかもしれないけれど、この道は大使館に譲歩してあげてほしいというのが正直な感想だった。
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英国大使館の道路から見た徳寿宮

今回、建築を見学するだけのつもりで大使館を見学したが、いろいろと考えされられた。
貴重な機会を与えてくださった関係者の方々に感謝!

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by matchino | 2016-04-18 21:13 | 建築 | Comments(0)