コン・ユ主演のドラマ「トッケビ」。 娘たちが観ているのを横からときどき観ていただけだけれど、ちょっと気になったことがあった。 それは、トッケビの家として出てきた洋館。雲峴宮(ウニョングン)の隣にある「雲峴宮洋館」と呼ばれている建物だ。 実はこの洋館、徳誠女子大の事務所として使われていて、普段は関係者以外は入れなくなっている。以前、外観だけでも見たいと思って学校の門を通過しようと思ったら、守衛のおじさんに呼び止められて入れなかったことがある。 でも最近、「トッケビの家を見てきました!」というブログがいくつか見られたので、敷地内に入れるようになったのかと思った。それで、旧正月の連休、娘に「トッケビの家を見に行こう」とうまく誘い出して行ってみることにした。 鍾路三街駅を出て、昔のピカデリー劇場を通り、益善洞へ。 そこから楽園商街の通りを北上して、徳誠女子大の門の前へ。 でも、連休中で門がしっかりと閉まっていた。そりゃそうだよなあ。 でも「トッケビ」のためか、外国人たちが門の前でうろうろしていた。 仕方がないので、塀越しにでも見ようかと、雲峴宮に入った。 雲峴宮は朝鮮第26代王・高宗の父親である興宣大院君(フンソンテウォングン)の私邸。立派な韓屋が並んでいる。 そして、その向こうに雲峴宮の洋館が見える。 ところで、実はこの次の日、私がよく聞いている「トコトコ歴史紀行」というポッドキャストで雲峴宮の話が出てきた。その話がなかなか面白かったので紹介しよう。 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + まず、雲峴宮という名称の由来。 今、現代の社屋がある辺りに、現在の気象庁にあたる「書雲観(ソウングァン)」という官庁があったという。その「雲」の字を取って、地形が少し丘になっているため、丘を意味する「峴」の字をつけて、この辺りは「雲峴」と呼ばれた。 高宗がここで生まれ、12歳までここで暮らしていた。そして12歳で幼くして王となったため、父親の興宣大院君が摂関政治を行い、雲峴宮は政治の中心となった。当時は昌徳宮と接しており、興宣大院君が昌徳宮と行き来する門をつくったという。 後に興宣大院君の権力は弱くなり、大院君は雲峴宮で死を迎えた。 日本統治時代を経て、解放された時、雲峴宮は高宗の孫である李鍝(イウ)の所有となっていた。 李鍝は日本政府の政策で強制的に日本で住まわされていた。しかし、李鍝の妻である朴贊珠(パク・チャンジュ)は気が強い人で、政府に「朝鮮に帰してほしい」と要求していた。結局、李鍝は帰れなかったが、朴贊珠は許可されて朝鮮に帰ってくることができたという。どれほど気が強い人だったんだろうか。 李鍝は日本で軍人として階級を与えられて広島で勤務していたが、不幸にも原爆が投下されて広島で爆死した。 韓国の解放後、朴贊珠は息子の李清(イチョン)と共に帰国して雲峴宮に住んでいた。 その時、韓国では皇室の財産を国有化する政策をとっており、すべての宮は国有化された。国有化の手はもちろん雲峴宮にも及んだ。 しかし、朴贊珠は最後まで雲峴宮は私有財産であると主張し、ロビー活動まで行いながら国会から許可を得て個人所有として残すこととなったという。 その後、李清に対し、李承晩大統領は養子となることを勧めたという。自分が朝鮮王朝の子孫であると主張していた李承晩は、王室の子孫を養子にすることでさらに権力者としての正当性を強化しようとしていたのだ。もちろん、朴贊珠はそれを断固として拒絶した。 しかし、李承晩の要求を拒んだしっぺ返しが帰ってきた。それまで李王朝の子孫に与えられていた財政支援が断ち切られのだ。朴贊珠は雲峴宮の一部を売却せざるを得なくなり、徳誠学院はそれを買い取って徳誠女子大を創設した。長い間、徳誠女子大の土地となっていたのはこのようないきさつがあったのだ。 現在はソウル市が買い取って雲峴宮を復元した。 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + これがポッドキャストで紹介していた雲峴宮の話だ。 そして、その数日後にソウル歴史博物館を訪ねると、雲峴宮の遺物がたくさん展示されていた。 雲峴宮洋館で使われていた家具や、朴贊珠の服などが展示されている。 雲峴宮で使われていた食器もある。これらはすべて特注で制作され、底には「雲峴」の字が入っていた。 この展示も細かく見ていくと面白そうなので、また行ってみよう。 この日は洋館は塀越しにしか見られなかったけれど、その後のある日曜日、もう一度訪ねた時に敷地内に入ることができた! 守衛のおじさんがいなかったのだ。私の他にも「トッケビの家」を見に来た人がたくさんいた。もちろん男たちも! やっと目の前で見られたので感無量。 でも、この美しい洋館、実は韓国の建築の本では「西洋の歴史的様式を真似しただけのあまり価値がないもの」と評されていることが多い。日本人が建てた建物だからだろうか。 今は建物の中に入ることはできないが、近々開放されるようになるという噂があるという。早く入れるようになったらいいな。
by matchino
| 2017-03-04 20:39
| ソウル
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