次女が「アッパ、峨嵯(アチャ)山に行こう」といいだした。お、来たぞ来たぞ! 実は、峨嵯山からつながる忘憂(マンウ)山に前から見に行きたいところがあったのだ。 それは、日本統治時代に韓国を訪れ、韓国の民芸を愛し、日本に紹介した浅川巧さんの墓地。 それで、忘憂山に行くことに。娘よ、すまない。 私が住んでいる九里市から、ソウルへ抜ける忘憂里峠を越える道があるが、途中で左に入っていくと共同墓地がある。忘憂山から峨嵯山にかけてずっと共同墓地になっているのだ。 韓国のお墓は日本のお墓と違って、公園のようなのどかさがある。墓地の間に作られた散策路には、色とりどりの登山服を着た人たちがたくさん歩きに来ている。春になってサンシュユやレンギョウも咲き始めていた。 位置をネットで調べていこうと思ったが、詳しく出ているものが見つからなかったので、とりあえず行ってみたのだが、お墓の数があまりにも多すぎて、現場で娘に検索させてみた。 すると、あるブログにトンナクチョン薬水場の近くだと書いてあった。でも、ネットの地図には薬水場が出ていない。散策路の入り口にある地図には表示されていたが、どのくらいの距離なのかも見当がつかなかった。 まあ、道は一本なので、たどり着くだろうと歩き始めた。 中1の次女と3歳の末っ子を連れてきたので、末っ子のペースに合わせて歩いていくが、なかなか見えてくる兆しも見えない。たどり着けるのか不安になってきて、下の子をおぶって歩くことにした。 娘が私の背中でうとうとし始めたようだ。次女もペースが遅れだした。 うーん、いつになった着くんだろう…? 家を出てからもう2時間が経とうとしていた。次女も遅れているので、ちょうど道の脇にあったベンチに腰を下ろした。 次女が来るのを待って、「どうする?たいへんだったら帰ろうか?」と訊いてみると、「ここで帰ったら後悔する気がする」と。なかなか根性があっていいぞ。 で、もう一度歩き始めると、なんと50mも行かないところに薬水場があった。 さっきのブログにあった地図を見てみると、まさにここだ! 娘がいなかったら目の前であきらめて帰ってしまっていた! 暖かい日差しが当たるいい場所に浅川巧さんの墓はあった。 隣の碑には、「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人、ここ韓国の土となる」とあった。 じーんと来るなあ。。。 碑の裏側には略歴が刻まれていた。 朝鮮総督府の山林課に勤めていたとあった。それで「山と民芸を愛し」なんだな。 そして植木日の行事の準備中に殉職したとある。 40歳。私よりも若い! そんなに若くして亡くなってしまったんだ。 以前、韓国の民芸を愛し、日本に紹介した柳宗悦さんの本を読んだことがあるが、浅川さんの本も読んでみないとだな。 私は韓国の土になるのかどうかはまだ分からないけれど、韓国で生きた日本人として、何か残せるだろうか。 行ってみたいという人たちのために、行き方を書こうと思ったけれど、ソウルナビに紹介されていたので。 それにしても養源駅から歩かせるかー。まあ、へたにバスに乗るよりはいいかも。 だいたいの位置が分かるように、その場で地図を撮っておいた。 青い三角の位置が浅川さんのお墓。
by matchino
| 2016-04-04 20:37
| 京畿道
|
Comments(0)
|
by matchino カテゴリ
マチノアルキのお知らせ
最新の記事
以前の記事
2022年 03月 2022年 02月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 more... フォロー中のブログ
外部リンク
最新のコメント
検索
タグ
ブログパーツ
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||