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清州建築旅行 3 清州塔洞洋館

清州建築巡り、この日のハイライトは宣教師住宅。
1900年代の初めの大韓帝国時代から日本統治時代の初期に韓国に定着した米国の宣教師が建てた韓洋折衷式の住宅で、「清州塔洞洋館」の名で親しまれている。
洋館は1号から番号が振られていて、6棟あるうちの3号から6号までは一信女子高の敷地内にある。

洋館2号

地図で一信女子高の位置を確認して行ってみると現れたのが、洋館2号。忠北老会の建物として使われており、門は閉まっているので近くからは見られなかった。6棟の洋館のうち最後の1932年に建てられたもので、壁には年号が刻まれた石がはめられている。
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他の洋館はどこにあるだろうと振り返ったとたん、丘の上に美しい洋館の姿が見えた。
洋館2号よりもっと美しい感じ。
女子高の敷地内のようだったので、なんとか近くから見てみたいと入り口を探してみた。
他にも幾つかの洋館が見えたが、入り口はことごとく閉まっている!
旧正月の連休だからだろうか?
遠目に見ても美しい洋館なので、これを見ないで帰ったら後悔すること間違いない!
女子高の周りをほとんど一周しようという時、女子高の正門が現れた。
門が大きく開いている!
よかったー!T^T

学校の門を通って丘の上に登っていくと、左手に洋館が見えてきた。
市内が見渡せる丘の上に建てられており、芝生が植わっている。

洋館6号

洋館6号は、1908年、米国のダンカン婦人が寄付した7000ドルで建てられた病院。1912年に完成した。宣教師たちは「ダンカン記念病院」と呼んだが、一般の市民たちは「蘇民病院」と呼んだ。
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赤レンガと緑色に塗られた窓枠やドアのコントラストが美しい。
建物の前には芝生の広場があり、ベンチが設置されている。
春になったらベンチに座ってこの建物を眺めていたいな。
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洋館5号

道を挟んだ向かいにあるのが洋館5号。
1911年にマックラング夫妻の寄付によって聖書学校として建てられたもので、幼くして死んだ息子を記念するために寄付したものだという。蘇民病院で働いていた医師や看護婦など、宣教師と家族の住宅として使われ、ロウ医師(魯斗義)が神社参拝を拒否して強制追放されるまで住んでいたため、魯斗義記念館と呼ばれている。
建物の側面が突出しており、アクセントとなって、シンメトリーのように見える。地下は集会場として使われ、突出部の下の入り口から入るようになっているという。
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洋館4号

その裏にもまた洋館があり、その前には宣教師たちの碑が立っている。
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洋館4号で、他の洋館は学校の施設として使われているが、これは使われていないようだった。
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1906年に建てられたもので、他の洋館は切妻屋根なのに対し、この洋館4号は八作屋根(入母屋造)となっており、他の洋館より韓国の伝統様式が色濃く出ている。
地下1階、地上2階建てで、屋根には採光のためのドーマーがある。
ドーマーの上の瓦も韓国の伝統様式なのが興味深い。
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米国シカゴのフォーサイス夫妻の寄付によって建てられた寄宿舎で、フォーサイス記念館とも呼ばれている。
基壇の石材は、昔、殉教者たちが閉じ込められた刑務所に使われていたものだという説明があった。
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洋館3号

洋館4号のさらに奥に建てられている。
1911年に建てられ、忠北で最初の宣教師であるミラー(閔老雅)宣教師が住んでいたため、閔老雅記念館とも呼ばれる。
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斜面を活用して地下がつくられており、前面から見るとそれほど高く見えないが、裏に回ると地下も含めて3階建てのようになっている。横に長い切妻造だが、裏面には三つの切妻屋根がつくられており、3軒の家が並んでいるようにも見える。
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丘の上からは遠くまで見渡せる。少し離れた所に民家となっている洋館1号の姿も見えたが、時間がなかったので探せずに終わってしまった。
それでも5棟の洋館があまりにも美しく、お腹いっぱい。清州まで来た甲斐があった。
こんな洋館を眺めながら過ごせるなんて、この学校の生徒がうらやましい!

寒くなってきた。最後の訪問地、聖公会の聖堂へ急ごう。
次回に続く!

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by matchino | 2016-02-13 20:49 | 建築 | Comments(2)
Commented by ビョン at 2016-02-15 22:12 x
洋館4は大邱の青蔦の丘にある宣教師の家にちょっと似ています。
薪をくべる場所でしょうか?床下のへしまがったグリーンのトタンの扉がなんとも言えず味があります。
利用されていないからか、ちょっと哀れな姿になっていますが。。。
どこでも宣教師たちが学校、教会や聖堂、病院を建てたという点は共通ですね。
スアムゴルには行ったことがりますが、清州再訪しなくては!!!
Commented by matchino at 2016-02-16 10:27
ビョンさん
確かにブレア住宅と似てますね。建てられた年代によって流行のスタイルがあるみたいなので、似た時期に建てたのかもしれませんね。
このドアは何でしょうねえ。この建物はオンドル式ではなく、スチーム暖房と暖炉だということなので、倉庫じゃないかと。薪の保管場所?この上の部屋はサンルームですね。
宣教師たちが学校や病院を建てたのは、朝鮮王朝が宣教目的での入国を許可しなかったため、医療活動や教育活動として入ってきたというのもあるでしょうし、奉仕することで地域の人たちを感化させるという目的があったんでしょうね。
清州、ぜひ再訪を! 国立清州博物館も金寿根建築だということなので、行ってみないと!
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