<< 公州・公山城の「蚕種冷蔵庫」 国立現代美術館ソウル館「若い建... >>

金寿根氏の問題の建築、旧・国立扶余博物館


e0160774_21044050.jpg

ユネスコ世界遺産に日本の産業遺産が登録される前日、韓国の「百済歴史地区」も世界遺産の登録が決定した。
その遺跡の広報のために、この地域にあたる忠清南道と全羅北道の知事と共に巡る記者団のファムツアーが行われ、参加してきた。
私が忠清南道の公州市と扶余郡の百済に関する遺跡を訪ねるのは実は3回目で、それほど期待していなかったが、解説をしてくれた人たちがその分野の専門家で、素晴らしく興味深いツアーだった。
その内容は別のメディアに書くことにして、ここでは、百済とは違う、近代建築系に出会った話。

まず、扶余郡の扶蘇山城に訪問した時の話。百済時代の遺跡があり、落花岩の逸話で有名な所だが、偶然にもずっと前から見たかった近代建築に出会った。
扶蘇山城の入り口付近にある「扶余客舎」という建物の前で解説を聞いている時、屋根の向こうに不思議な形の突起物が見えた。

あ、あれは旧・国立扶余博物館だ!
韓国現代建築の第一世代にあたる金寿根氏が設計した、独特な形の建物。
でも、この建物はこのフォルムのために大きな非難を受け、金寿根氏の建築家としての人生に大きな打撃を与えた。
e0160774_21044605.jpg
この建物が完成して間もない1967年8月19日、東亜日報の社会面にある記事が載った。内容は、国立扶余博物館の建物が日本の神社に酷似しているというもの。
新聞に掲載された写真は入り口部分を意図的に神社の鳥居に見えるように撮影したもので、明らかな情報操作の意図が含まれていたが、当時の社会は言論のいうことは無条件信じるような状況だったため、世論は完全に金寿根氏に不利な方向に傾いた。
その写真は明らかなでっちあげだが、博物館の屋根の形が日本の神社の屋根に似ているということは、他の建築家たちも認めるものだった。
今でも韓国では旭日旗を思わせるデザインは批判の的になったりするが、神社参拝を強制されていた韓国人にとって神社に似たデザインはあり得ないものだったし、それが百済の歴史を展示する博物館であるならなおさらのことだ。
新聞の記事に対し、金寿根氏は、「百済の遺物からとったデザインだ」と反論したが、金寿根氏と並ぶ韓国現代建築界の双塔である金重業氏が新聞に博物館を非難するコラムを書き、新聞を通した「炎上」騒ぎはさらに大きくなった。
その後も金寿根氏は「これは私のオリジナルのデザインだ」、「日本で建築を学んだ私が日本の影響を受けていることは間違いないが、影響を受けてはならないという法がどこにあるのか」などと反論したが、金重業氏だけでなく、他の建築家たちも金寿根氏を批判した。
そして、国立扶余博物館の「審議委員会」の現場調査の結果、「この建物は直す余地なし。解体すべし」という結論に至った…という新聞記事が出た。
e0160774_21044645.jpg
それでは、博物館は解体されてしまったのかというと、私が今回見てきたように、しっかりと残っている。国立扶余博物館は新しく建てられた建物に移り、この建物は百済工芸文化館として使われている。
それでも、いくつかの修正は加えられたようだ。「鳥居のようだ」といわれた入り口部分はなくなり、屋根には瓦が乗っていて、なんとか「韓国らしさ」を出そうとした痕跡が認められる。もちろん、今となってはそのような上辺だけの「韓国らしさ」は前時代の考え方となっているが、その当時は韓国を代表する建築家さえそのような考えを持っていたのだ。
ある意味においては、この国立扶余博物館に関する論議は、建築における「韓国的なものとはなにか」という疑問を投げかける契機を与えた事件だったといえる。
e0160774_21044090.jpg
後で調べてみると、内部構造などは「神社に似ている」と断罪して壊してしまうには惜しい素晴らしい空間を持っているのだという。今回は外観しか見られなかったので、もう一度訪ねないとだな。
e0160774_21044097.jpg
冒頭にも書いたが、今回のツアーの目玉はなんといっても解説をしてくださった専門家の皆さんだが、そのうちの一人の方がとっておきのコースを案内してくださるという話をいただいてきた。それで、「世界遺産登録の立役者と巡る百済の遺跡ツアー」を企画してみようと思う。
また、扶余・公州は近代の路地が残っている地域でもあるため、そちらのツアーも企画中。関心のある方はコメントをお願いします!

[PR]
by matchino | 2015-07-20 21:09 | 建築 | Comments(0)
<< 公州・公山城の「蚕種冷蔵庫」 国立現代美術館ソウル館「若い建... >>