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城北洞と二つの愛の物語 その1

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ある日、FB友達が上げていた、城北洞の吉祥寺(キルサンサ)の観音菩薩の写真を見て、妻が「行ってみようか」といいだした。

去年、城北洞(ソンブクドン)に行ったけれど、吉祥寺は行かなかったので、いい機会だと思って調べてみた。
すると、城北洞には二つの興味深い愛の物語があることが分かった。

数日間、その物語を妻に話したくなる思いを抑えながら過ごし、ついに城北洞訪問の日がやってきた。


地下鉄4号線の漢城大入口駅を出て北へ歩いていくと、韓屋が残っていたりしてけっこう面白い。
そして途中にあった雑貨屋とその隣のデザイン書店。
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かわいい店が増えてきたなあ。
時間がなくて簡単にしか見られなかったけれど、本屋はまたゆっくり見に行きたい。

大通りから路地に入って吉祥寺への道を登っていく。
だんだん高級住宅街に入っていった。
このあたりは大使館がたくさんあるらしい。
各国の国旗があちこちにはためいていた。


坂を登りながら、吉祥寺にまつわる愛の物語を語り始めた。

吉祥寺はもともとは大苑閣(テウォンガク)という料亭だった。
韓国3大料亭の一つである名門料亭だったが、寄贈されて寺となったのだ。
寄贈した大苑閣の主人は金英韓(キム・ヨンハン)という女性だが、この女性には悲しくも美しい愛の物語がある。

もともと裕福な家に生まれたが、父の死によって家系が傾き、16歳の歳である男性の所に嫁に行くことになってしまった。
しかし、その男性が死ぬことで金英韓は妓生として売られてしまう。
それでも賢かった金英韓は妓生として大成功し、朝鮮一の妓女と呼ばれるようになる。ある高官に気に入られて日本へ留学もしたという。
そんな中で、今の北朝鮮の地で出会ったのが韓国の天才詩人・白石(ペクソク)だった。
お互いに深く愛し合った二人だったが、白石の家族の反対によって、白石はむりやり結婚させられてしまう。
しかし白石は逃げ出して金英韓のもとへ戻ってきた。
白石は金英韓に「一緒に満州に逃げよう」と誘うが、白石の足かせになってはいけないと身を引き、白石は一人で満州に旅立つ。
しかし、間も無く南北が分断されることによって二度と会えなくなってしまう。

その後も白石のことを忘れることができなかった金英韓は、白石が勉強していた英文学を勉強し、白石への思いを綴った随筆も出版した。
そして、心の平安を求める中で、法頂(ポプチョン)僧侶の本「無所有」を読んで感銘を受け、料亭「大苑閣」を、法頂僧侶がいる松廣寺に寄贈したのだ。
7000坪、時価総額1千億ウォンといわれる大苑閣。
寄贈することに対して「後悔はしないか」という質問に、金英韓は「後悔なんて! 1千億くらい、あの方の詩の一行にさえ及ばない!」と答えたという。
金英韓は法頂僧侶から「金祥華(キム・サンファ)」という法名を受けた。
金英韓は「私が死んだら火葬して、初雪が降った日に灰を吉祥寺の松の木に撒いてほしい」という遺言を残して亡くなった。
その願いは聞き入れられ、吉祥寺には金英韓を祀る碑が立てられている。


だいたい話が終わった頃に到着した吉祥寺の門。
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思ったよりも豪勢な門だった。
これはいつ建てられたものなんだろうか。
吉祥寺は大宛閣だった時の姿をほとんど残しているという。
そのため、伽藍配置や建築様式は普通の寺のものとはまったく違う。

門を入って正面に見える極楽殿の姿は、やはり料亭のそれだ。
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中には仏像が安置されているのだろうが、大苑閣だった当時、毎夜、ここで行われていた宴会の様子が想像できる。
色とりどりの韓服をまとった妓生たちの姿や楽しげな笑い声を想像してしまうのは不謹慎だろうか。
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極楽殿は修復中なのか、さまざまな資材が置いてあり、裏の屋根はビニールシートが被せられていた。

極楽殿の右のほうには観音菩薩像が立っている。
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これは法頂僧侶が宗教和合への思いを込めて、カトリック信者である彫刻家に依頼したもの。
どこかマリア像のような感じを受けるのはそのためだろう。

極楽殿の後ろの方へ登る道には昔の名残と思われる塀や門が残っている。
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極楽殿の左の方は奥の方までバンガローのような建物が幾つも建てられている。
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料亭だった当時からのものだが、今では僧侶たちの修業のための小屋として使われている。
たまたま小屋から出てきた僧侶に挨拶をすると、金色のカードをくださった。僧侶の言葉を書いたカードだった。
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一番上の韓屋は、法頂僧侶を祀る所だった。
中には法頂僧侶の遺品が展示してあり、外には法頂僧侶が座ったという木の椅子。

そして、極楽殿の左のけっこういい位置に金英韓を祀る碑が立てられていた。
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その脇には金女史の簡単な略歴が書かれていたが、白石との関係については言及されていなかった。
しかし、略歴の下には白石の詩「私とナターシャと白いロバ」が刻まれていた。
この詩は白石が金女史のことを思って書いた詩で、ナターシャは金英韓のことだという。

妻は寺の雰囲気も、愛の物語もとても気に入ったようで、また来てみたいと話していた。

さて、少し長くなってしまったので、もう一つの愛の物語については次回に!

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by matchino | 2015-02-21 19:59 | 旅行 | Comments(0)
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