大邱美術館の続きを投稿するのを忘れてた。で、前回の続き。
さて、1階の展示室を見終わると動線が2階の展示室へ向かう。2階では「身体の現在」展が行われていた。「身体」に対する現代的な変化について考察した作品だ。 ここでよかったのが、リ・ウ氏の作品、の裏だ。展示室の真ん中に壁が作られており、リ・ウ氏の作品がその壁一面に並べられていたが、その裏に回ってまた驚いた。窓に面した広い展示空間の真ん中に黒い物体が置かれていた。ベッドの上にドラム缶などを詰め重ねて焼いたような真っ黒な作品だが、異様な存在感だ。 展示空間の使い方としてはすごく贅沢な使い方だと思う。でも、そのオブジェ単体ではなくインスタレーションのように部屋全体で一つの作品のようにその存在を主張しているのだ。このように展示したのは作家のアイデアなんだろうか、あるいはキュレーターのアイデアなんだろうか、気になる。 2階の反対側の展示室は作家イ・ワン氏の「ああ、純情」展。大邱美術館では有望な国内の若手作家を発掘・支援する「Y artist Project」が実施されており、その一環としての展示だという。イ・ワン氏は日常生活の中で慣習や他者からの視線に影響されて生きる私たちの現実をインスタレーションで表現している。 この人の作品はちょっと分かり難かったが、一つ気になったのは「ウリ(私たち)になる方法」という作品。部屋いっぱいに量りが並べられていて、その上にいろんな物が載せられている。どの量りの上の物も一部だけだったりしてガラクタになっている。よく見ると、すべての量りは5.06キロを指しており、空の量りだけが0を指していた。そこにいた係の人に聞いてみると、作家が一つひとつ量りながらぴったり重さを合わせたという。すべての物が自分の身を削り、機能を喪失しながら「ウリ(私たち)」になろうとしているのだ。 後になって考えてみると、この美術館の姿をよく表している作品のように思えてくる。 韓国人は「ウリ」という言葉が好きだ。それだけ団結心が強いし、お互いに一つになろうとする気持ちが強い。だからその精神自体は素晴らしいものだし、否定するつもりは全くない。しかし、「ウリ」を語るがための安易な行動が、外国人の私にとっては気になることがあるのだ。「韓国を代表するもの」の表面的な形ばかり真似て、韓国のアイデンティティを表現したつもりになっていたり。 しかし、この美術館にはそのような安直さはまったく見られない。国内の作家の作品が圧倒的に多いが、その背後に確固たる思想があると感じられる。国内の作品に対する変な固執がある訳でもないし、海外の作品に対する「かぶれ」や盲目な「礼賛」のようなものも感じられない。純粋に、今、何をどのように展示するべきかということに集中しているように見える。 ある記事を読むと、館長は30年の経歴を持つキュレーター出身者なのだという。サムソン美術館ができた時にトップで採用され、海外の作品をコレクションする流れの中で国内の作家の作品を購入しようと提案した人だったという。そして、全世界の美術館を回りながら、韓国的美学のアイデンティティを国際的な視点で見つめる必要性を感じたという。そのような意思がはっきりと感じられる美術館だった。 今の展示は6月まで行われ、7月からは草間彌生の企画展が予定されている。ほとんど全ての展示室が草間氏の作品で埋め尽くされるという。 見に行きたいけど、ソウルから往復8万ウォンは大きな出費だなあ。大邱市よ、苦しゅうない、もそっと近うよれ。
by matchino
| 2013-06-15 22:36
| 展覧会
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